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「まごころ」ってなんだろう?

みほです。

今日は、あるコミュニティで
初めて自分のイベントを開催した

「読まずに語れる読書会」

今回は松浦弥太郎さんの
「しごとのきほんくらしのきほん100」から
3テーマくらいをランダムに選んで
思うところを自由にシェアしあった

その中の1つが

「まごころを表す」

好きな飲み物を前に一人で座り、「まごころ」について考えてみましょう。見返りを求めずに、自分が尽くすこと。嘘偽りのない心のこと。ピュアで混ざり気のない気持ちのこと。たとえ損をしても純粋でいること。自分なりの「まごころ」を見つけたら、それを誰かに対して表現してみましょう。大きなことでなくてもかまいません。表すことで、まごころとは何かが、少しずつ、わかってきます。

まごころ・・・?
いや、わたし見返りはほしいし
尽くすより尽くされたいし
混ざり気ばっかりだけど・・・!?

と内心焦っていたところ、
ある参加者さんがこんなシェアをしてくれた。
(一部わたしの妄想で話をねじ曲げています笑)

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最近友人が家に遊びに来たときに
「〇〇ちゃんが大事にしているものに
 囲まれている場所にいるだけで
 ものたちが大事にされているのが
 伝わってきて癒される、
 もてなされていると感じる」と言われた

多少断捨離はしたものの
自分は好きなものに囲まれて
生きているだけ

でもその空間に来ただけで
「もてなされている」と
受け取ってもらえるなら
わたしはわたしらしく生活することが
まごころなんじゃないか

---

自分が自分らしくいることが
「まごころ」。

あぁ、いいなぁこの感じ。
まさしく嘘偽りのない感じ。

他にも、
本当に「まごころ」だったら
自然にやっているから
ピュアすぎて
自分では気づかないんじゃないか?とか

自分がしたくないことを
素直に伝えることも
「まごころ」じゃないか?とか
(「今日はごはんを作りたくないから
  お米と卵だけでもいいですか」って
  言ってみるとか)

いろんな形の
それぞれの「まごころ」を
あーでもないこーでもないって
考えて話し合って

こういう
自己啓発系の本は
気づかされることが多い一方で
1人で読むと
自分の汚さや意識の低さ
足りなさに
凹みがちだったけど

みんなで一緒に読むことで
「著者はこうだろうけど、
 わたしはこう思う」
「できないけど、それでもいいよね」
「わたしはこっちを大切にする」

っていうのをシェアしあえて
しかも参加者さんのエピソードや
想いも一緒に受け取れて

1冊の本でなんとも豊かで
わたし得な時間を
受け取ってしまっている


読書会は
「これならわたしにも
 与えられるかも?」
って思って絞り出した
コンテンツの1つだったけど

何か与えたい
って思ってる時点で
たぶん与えてなんかいなくて

与えようとしているものより
受け取ってしまうものの方が
膨大で豊かで愛しくて

「与える」や「受け取る」は
きっと、もっともっと
わたしの考えの及ぶ範囲より
壮大で奥深くて

でもだからこそ
「与えよう」としていくことが
その姿勢でいることが
豊かに生きるコツなんじゃないか
って思い始めていたりする


最近
考えがまとまらないけど
まとまらないまま
放っておくことにした

その過程すら
楽しんでくれている人が
応援してくれている人が
いることを
知ってしまったので。

ふふふ。



みほ

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