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ドラフト制な政治形態(プロ政治家)


「政治家をやりたい人」は誰でも立候補できて、その人達で似た考え方の人が集まって「政党」形成し、主権者(選挙権も持つ人)が、その中から「首長」や「代議員」を選ぶ。

なんか、つらつら日頃から考えてるけど、「この制度設計や実装」ってこれだけが解答?とか思う。仕事柄かもしれないけど、設計解にはある種の前提があったり、ある種の要請・要件に合わせて設計されるので、他に設計解無いの?思っちゃう。

個人の住宅には住宅の、宿泊施設には宿泊施設の、オフィスビルにも、タワーマンションにはそれの。車だって、自転車だって、ハサミだって、設計ということが成されている。なので、要請に合わせて、政治制度だって、いろいろ最適な設計がなされてるべきだろうなと思う(つうか、こういったことは、ある程度みんな考えてるだろうな)

「誰でも立候補できる」って言うは、ぱっと聞くと耳あたり良いし、変な候補者が出ても、「賢明な」有権者によって落とされるという、図式が想定されている。ただ、昨今の選挙結果やその後の顛末など見るに、その前提って正しいの?と思う昨今。

そもそもこれだけ成熟した社会であらゆるものが複雑になっちゃったのに「誰でも」立候補できるっていうものちょっと変な感じもするし、「ちゃんと主権者は選択できる」というのも、ある種の前提なので、この辺の前提ってあってるの?とか、もう既に疑問符がつくこのごろ。

というのも(つかもう論ずるに足らないのだけども)、選挙結果やそのあとのゴタゴタを見るに、民衆の欲望自体がハッキングされて、歪んだ構造を作られてる感じもする。

まあ、いい。日本民族がどれだけオワコンかなんて、一生懸命書いてもしょうがないというかつまらないので、単に空想を書こう。

与党・野党という構造ではなくドラフト型チーム制へ

権力というのは結局のところ「与党」で、この現在の制度での政策実行の中心になる。ただ、そもそも与党・野党が成立するのは、どちらも成熟していて、政権交代があっても、あるレベルで政治が成り立つ場合である。ただ、あまり政権交代が行われない場合などから来て、「与党」側に実質に優秀な人材が偏る場合、野党というのが育たない。健全な政治というか、政治家というか政策の切磋琢磨が成立するためには、人材が均等にアサインされないと行けない。

参入の自由がある市場経済での健全な競争や、プロスポーツでの戦力均衡と同じ原理が必要そうだ。

こういった健全性を担保するための制度であれば、プロスポーツではドラフトや予算枠がある。例えば、ドラフトでの指名は前年の下位から指名できるとか、各チームが選手に払って良いお金の上限にキャップがかかっていたり、収入が少ないチームに対して球界全体の収入から補填して平均化に動くような。全体が成立するような制度が存在している。

これを考えると、政党なんて個々人の政治家の「人気」というより行政能力そのものが本来的なことだとすると、チームみたいにして競っても良い気がする。政党がイデオロギーカットで政策セットを組むと「こうなる」というマニフェストが出てきて、どの政策チームも、そのイデオロギーカットの最上級と戦わせるような選挙(選択行為)になって欲しい。

だとすると、今の「やりたい人」「認知度高い人」とかじゃなくて「チーム」みたいなものがあって、そのチームが考えて欲しい。そのチームメンバがそのイデオロギーを信じている必要は無い。そのイデオロギーでカットを決めた場合、こういうチューニングや政策を実施するみたいものが出てくれば良い。

そのとき、そのチームは、毎年大学から供給されたり、地方自治界から供給されたり、官僚から政治に転身する人たちから、ドラフト指名するような方式を空想する。

こう書くと、特定の社会階層からしか出てこないんじゃないの?って言う話も思いつくが、高校までの無償化の話、また社会人大学の政治学科の無償化などセットにすれば、成立できるのでは無いだろうか?

こうプロスポーツみたいなものを考えると、チームから去ってもらう新陳代謝の制度も空想したくなるね、、、

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