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世界政府と民衆

既存の国家が、その利害調整を個別の国家外交に寄らず、調整する機関が国連だろう。国連はその「主権」を国家に帰属している。その最高機関は、国家単位で派遣された寡頭の理事国制度に頼ってる。常任理事国の権限は非常に大きい。

社会契約論的に、集団として契約を結ぶ対象が国家ということになっているが、これは1762年にフランス革命の背景になった思想がベースだ。258年前の理論だ。

これ以来、本質的な「社会」に対する発明が行われていないと受け止めて良いだろうか?個々人に守り合う単位が、物理的な居住地域をベースにし、それを無謬の主権移譲機関として運用される事が、正しいだろうか?

その後、それを乗り越えるマルキシズムが20世紀の前半を彩ったが、その革命は人間本質の退廃に負け、その理想を実現することはできなかった。

20世紀後半から始まったグローバリズムが世界を覆い、各国家をサプライチェーンが結び、経済的な利得が国家的なエゴを上回り、EUのようなゆっくりとした統合が世界に広まるかに見えた。新たな哲学的な背景を持たなかった事が原因なのか分からないが、リーマンショックと中東難民によって、その機運は潰えた。

ともあれ、先進国並みの大きさの売上と時価総額を持つ企業が生まれる21世紀の中盤に差し掛かった。グローバルな私企業は既に各国政府よりも、より多数の個人へのコンタクトポイントを持つ時代がすぐそこまで来ている。フィクションではGoogleやAppleと思しき会社経営者が、世界を脅かす存在として描かれることが多くなって来ている。単一国家の陰謀より、私企業による企みのほうが説得性を持つ時代になっている証左かもしれない。

世界政府が国家の拡大から現れるのか?それとも別の角度の利害の結論として生まれるのか、それともそのハイブリッドから生まれるのか?どんな流れが考えられるのか、、、

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