夢はひらめきから

○夢をかなえる仕組み(本田健書店より引用)
まずは悟りのような、これだー!びびっときたひらめきをとらえる。
そしてその一瞬を捉えたら、しばらくの期間はあたためてイメージングする。
その後、それをかなえるための行動をする。
でもたいてい、時間がない、おカネがない、忙しい、タイミングじゃない、という邪魔が入る。
その邪魔に負けずに動いて、途中でやめなければ、必ず、夢はかなう。
世界が何と言おうとその道を行くぐらいの気持ちを持っていないといけない。

○私のパターン1 (韓流ドラマの映像翻訳家への道)
あるドラマの下訳の仕事をもらった時、
これは絶対に日本で売れる!
その当時ゼロだった韓国語から直で訳せる翻訳者になって、
NHKで放映される海外ドラマを訳したい!とひらめく

当時は韓国語から日本語への吹き替え翻訳のやり方を勉強する場所がなかった。
英語は得意ではなかったけれど、吹き替えの技術を学ぶためだけに英日の吹き替え講座に通って、コツコツ下訳を続ける。
チャンスが来たら制作会社に営業をする。
翻訳費用が安くてもアフレコ現場に通える仕事を選んで、
声優さんに台本ヘッタクソと嫌みを言われ、
ひや汗だらだら胃痛になりながらも
現場で経験を積む。

就職しないでバイトをかけもちしながら、
翻訳の下積みを3年ぐらいする。

NHK作品を翻訳できる可能性もルートもゼロに近かったけど、
なぜか絶対にできるという確信があり、ひたすらその時できることをやり続ける。

黙々と仕事をやり続け、
4年後、演出家さんに、NHKの仕事やってみない?と言われて、見事NHKの仕事をゲット。
当時、主演の声優は萩原聖人。
NHKエンタープライズの敏腕プロデューサーと、ベテラン演出家、豪華声優陣と仕事をするという、
普通ではなかなかできない経験ができた。

○私のパターン2(済州への移住)
PM2.5はもうイヤだ!
私は青い空の下で暮らしたい。
青い空を感じながら暮らす、という人間として当然の権利を
主張して何がいけないのだ。
(ソウルは秋~冬になると空が真っ白)
子供3人いて夫もいるけど、
リゾート地みたいなところで、
好きな時に海や山へ出かけ、最低限の翻訳や執筆をしながら、
自由に制限なくのんびり暮らしたい。

最初は、ソウル近郊の田舎で手を打とうとするが、
それが実は妥協だと気づく。
家族(特に夫と長男のこと)が気にかかってたけど、
やっぱり、リゾート地みたいにきれいで大自然のある場所で過ごすのが、自分の望みだ、それでもいいんじゃない?と許可が出る。

でも、移住費用がない。
でも、夫が済州島はダメと大反対。
でも、子供が日本から韓国の学校に編入するさい、
いろいろと手続きが大変なのと編入試験があって、心配。

他の人と同じように都会で暮らせばいいじゃないかと言う夫に、
他の人と同じようになんて生きられない、と号泣し、夫にプレゼンする。
なぜ行きたいのか、そこで暮らしたら私がどう幸せなのか、等々をめちゃ熱く語る。

よくわからないけど私のはちゃめちゃなプレゼンを聞いた夫がほだされたようで、夫から移住許可が下りる。
移住資金はなかったが、お金問題も夫に解決してもらう道ができる。

済州で家を探す。予算がぎりぎり…
本来予算外だった物件を、大家さんに交渉して、少し安くしてもらう。
家具付き物件だったので、引っ越し荷物はトランク1つだけ。

現在、家が2つ(賃貸だけど)
長男と夫はソウル近郊住まい。
私と双子は済州の山住まい。
いわゆる週末婚。
おかげで新婚気分を満喫。
ソウルの家の清掃状態は決してよくはないが、
夫と長男の自立心は確実に養われている。

○パターン3(作家への道、現在進行中)
(まずはひらめきまでの道のり)
10年前から翻訳ではなく、自分のお話が書きたいと思うが、
1行も書けない日々が続く。
5年ほど前、物語りが書けるようになりたい、という思いから、
ヒプノセラピーを受け始める。(当時は脚本家になりたかった)
ヒプノセラピスト養成講座というのを受けてチャネリングが始まる。
受講後から1ヶ月間、毎日「ずっとやりたかったことをやりなさい」(この本には自分のアーティスト性・創造性を引き出すためのワークが12週分用意されている)
という本にあるワークをしながら、ノートにチャネリングで降りてくる物語りを書く、ということを始める。

https://www.amazon.co.jp/.../4763136038/instantchurch-22

その後、 脚本家になりたいんだから、
映画の脚本コンクールに応募してみようと、
無謀にも韓国の映画脚本コンクールに応募する。
応募するために、
「ずっとやりたかったことをやりなさい」という本の
ワークをしながら下りて来たお話を3日間で完結させ、書き切る。
そしてそれを脚本形式でハングルに訳し直す、ということをする。
もちろん、当選するわけもないが、
書き切る、ということをここでしたので、それを自分では褒めたいし、どんな形でも最後まで書く、ということが大事。
作家になりたいとは全然思っていなかったのだけど、
ある日、韓国に講演にいらした奥平あみいさんと、お話する機会ができる。
その時はそれで終わったのだが、
その半年後、奥平あみいさんが審査員をしてる、
出版社のスピリチュアル系出版オーディションがあるよ、
という話を友人から聞く。
当時、出版にはまったく興味がなかったのだけど、
そのオーディションに行きたい!と思う。

まず第1次書類審査を受ける。(ここで200名ぐらい?)
無事パスして、東京でプレゼン審査を受けることになる。
友人にも協力してもらい、
プレゼン内容を必死に考え、プレゼン案を作成する。
友人が企画したミニコンサートの前座を利用し、
人前でプレゼンの練習もする。
50人ぐらいいた中で、準グランプリに選ばれ、
出版の企画コンサルを受けるチャンスをもらえる。

編集者さんとテーマを考えるも、
結局、テーマを決定するのに出版オーディションから2年もかかる。
本来ならスピリチュアル系の本のはずが、
「自伝的エッセイ」という文芸分野になり、
編集者さんに「文芸は厳しいですよ、可能性はほぼゼロ!」と言われる。
しかし、むしろ「可能性ゼロ!」とか面白すぎる。
ぜひやりたい、という気持ちになり、
自分の生い立ちやスピリチュアルに目覚めるまでのことを、
エッセイ風に綴ったブログをもとに企画書を作る。
実はこのエッセイではなく、
①映画の脚本コンクールに応募したチャネリング物語
②創作ファンタジー
の2つが自分の中では有力候補だった。
このエッセイの元になるブログ自体は、
出版オーディションを受ける半年前に、
すでに書き切っていて、なかなか好評だったもの。
正直、10年間書きたいと思っていたのは、
自分の物語りだったので、内容的にはこのブログがどんぴしゃだった。
でも、目をそらしてた。
それは、自分の人生をさらすのが怖かったから…
自分の人生をさらして、今の幸せが壊れる(と思い込んでた)のが怖かった。
その怖さを自然の中で過ごした1年半の移住生活で、
克服できるようになった、と思う。
企画ができるまで、怖すぎて、
手が震えて、ということを何度も繰り返した。
企画ができ上がった今では、
もはや何をそんなに怖がっていたのか分からない(笑)
怖さってそんなものなのである。
私の人生の物語だけど、
たくさんの人に共感してもらえる部分もあり、
人々が制限を外して自由に生きていけるきっかけに、
絶対になるはず、という思いがある。
そしてジャンル的には今までにあまりないジャンルの話なので、
世界が何を言おうとイケる!という感覚しかない。
(これはNHKの翻訳家を目指した時と同じ感覚)
そして、このエッセイには、
生い立ちや環境など、
たくさんの制限でがんじがらめになっている人たちに、
本質を思い出して、自由に軽やかに生きてほしい、
というめちゃくちゃ深い愛が詰まっている。
もちろん有名になりたい、とか、
お金持ちになりたい、という気持ちはあるけれど、
そこを超えた、伝えたい衝動、情熱がある。
この物語が世に出ることによって、
愛が広まるに違いない!という確信がある。
ということで、企画は出来たので、現在、
奥平あみいさんを世に出した敏腕編集者さんにバトンタッチ中。
本が世に出た時に、
一緒に祝える仲間を作るための行動を行っている。
(女神セッションで女神たちを集めた←今ココ)

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