幸せが減っている

コロナが大変だ。機を同じくして、因果なのか否か、米中露が大きく不穏な動きを見せている。人々のヘイトを利用して、良からぬ方向に世界が動いていきそうな気配さえ感じるように思えてならない。

コロナで何が起こったか。経済の大きく外側では医療崩壊を招いた。多くの人々の幸福度に関わる経済の内側のところでは、観光業と飲食業、航空業の壊滅的ダメージを齎した。これによって、経済基盤がちゃんと廻っていた頃に比べて色々なものを失った。直撃した業界は勿論、それを利用していた市民も困惑した。通っていた店に通えず、会えていた人に会えない。毛細血管に酸素が行き渡らず細胞が死滅していくように、少しずつ我々を蝕んでいく。

いくばくかの支えを失い、それでもただ前を向いて生きようとする人がいる一方で、あるところでは責任のなすり合いが起こる。諸悪、巨悪がいる、と煽動する人に漬けこまれ、虚空に罵詈雑言を投げる人もいる。

果たしてその良からぬ衝動が向かう先はどこなのか、その結末について、良くない気がしている。良くない感情を持っている時、人は行動しないべきだとどこかの偉人の言葉があるらしいが、それに賛同する。正しくないと思っていても、理知的な行動が感情論で動く人々を動かすことが敵わないのは連綿の歴史が教えている。ただ見守るしかないと思っている自分がいる。

今、幸せの総量が減っている。それは確かだ。安定した経済基盤、さしずめエネルギーロスの少ない優秀な燃焼機関を持っていた我々は、突然のエンジンの故障によって大きな痛手を負った。誰が悪いわけでもなく、それぞれがそれぞれに見合った働きをしていたにも関わらず、不幸は起きてしまった。

どうしても綺麗事に聞こえてしまうが、今こそZERO TO ONEを思い出す時だと信じている。こんな時に、自分が受け取った以上に社会に尽くすという選択があることを思い出したい。誰に言われるでもなく負の感情をリセットし、プラスに転じることが出来る生き物が人間だと信じたい。

今の自分を余りに無力で不甲斐ない人間であると改めて思うとともに、こんな時にこそ痛烈な反撃の一手を出せる人間でありたいと思う。

もしも世界のどこかに、世界を変える最高の一手があるとするなら、それは他の誰の手の中にもなく、自分自身の中にこそあるということを、こんな時だから信じて欲しい。僕は、それを信じて止まない。

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