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モノに執着する人間が、骨身を削ってミニマリストに近付くかもしれない話

この記事にはさっきまで1731文字あった。

端的に言えば、やむを得ず引越しを控える男が5年以上抱え込んだ音楽機材を手放そうかという話だ。そしておそらく近くそれは現実になる。そんな文章を1731文字書いたが、何日かかけて書いていたら、自分が何を言いたいのか分からなくなって全部消してしまった。

そうして消してみたら、モノに執着することは時に、まさにそういう状態を生むのではないかと、そこに今考えていることの本質がある気がした。

昔の話をしたい。将来の夢の話だ。

昔何者になりたかったのかを今でも覚えている。幼稚園の頃はF1レーサーになりたくて、小学生の頃は漫画家になりたくて、卒業文集では格好つけて画家と書いた。中学生の頃は小説家で、高校生は音楽で何かを掴もうとした。けれどどの瞬間にも、自分自身が言う「なりたい」にリアルを感じられなかった。心から何かに打ち込んだ時期なんてなかったんじゃないかと思うけど、多分そうじゃなかった。今でも「何かを掴もうとして」買い込んだ残骸が残っていて、それだけが本当のことを教えてくれている気がする。

「一生モノ」だと思って買った、その心意気を今でも忘れられない。未来の自分に託したはずのそれを捨ててしまったら昔の自分を裏切ってしまうような気がして、身を切るような感覚がする。

けれど多分、それは言い訳にならない。・・・本当にそうか?反芻している。戸惑う自分に言い聞かせるように、頭と切り離して書いている。

今なりたいものになることだけが、過去の自分への報いだ。熱意を他人事みたいに懐かしむために買ったんじゃない。足を引っ張る道具なら、なくなってしまえよ。昔執心した彼女みたいなもんだな。悪癖が全く抜けてないなと呆れてしまう。

お前は俺だけど俺はお前じゃない。あの頃の熱意にこそ勝てないが、少しだけ年の功で多少現実が見えている。もっと、尖っていかないと勝てないのを知っている。へたくそなピアノは、その勝ちを味わった後にでも弾けば良いんだって言う。バカでかい防音室がなければ日課のボイトレが出来なくなって、そうなれば歌唱技術はこのへんで打ち止めになるだろう。もっと練習してればもっと上手く歌えたのにって、悔しさを感じる瞬間も増えるだろう。

ただ、腹を決めるなら今だと、感じてしまった。悔しさがあるなら儲けもの。ぶつけるその矛先を絞る。今はまだ、満たされなくて丁度いい。

要するに、心機一転がんばりますと言いたいだけなのだった。

読んでくれてうれしいです。