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写本という経験


はじめに

 どうも人生が退屈で飽きてしまったので、国立西洋美術館に行ってきた。というのも、私が自分なりに生成AIの考察を何度か重ねた結果、人間と生成AIとの相違はフィジカルな経験の有無にあると考えたからだ。インターネットを使えば古典も絵画も閲覧し放題ではあるが、そのような画像化された対象物は生成AIにとっても学習可能な形式へとデジタル化されたものである。しかしながら、古典も絵画も実在する物体としてはデジタルではなく、大きさも形も素材も様々な形態をとっている。美術館や博物館で人間が自分の眼で見て感じ取った経験は、生成AIには学習し得ないものであるから、今後はより重要性を増してくるはずだ。

写本という経験

 さて、今回ふらっと国立西洋美術館へ足を運んだところ、〈内藤コレクション 写本 — いとも優雅なる中世の小宇宙〉という企画展がやっていた。テクストを読むことに飽きてしまって、それで美術館に来たはずなのに、聖書の写本の展示を見ることになった。これも悪い経験ではなかろう。

国立西洋美術館入口(2024年8月1日撮影)

 写本の実物を見て分かることは、年代によって写本に用いられた獣皮紙の大きさがかなり異なっている点である。13世紀の写本は小さく、14世紀以降の写本は大きかった。

図式

 下の写本(図1)を見ると、家系図のようなものが描かれている。上から下へ時系列になっているのだろうか。
 このように円と線で示すやり方は、セフィロトという生命の樹でもお馴染みの方法だが、最初にこの図式化の方法を思いついたのは誰だろうか。

図1

装飾

 写本には装飾が施されており、ドロルリーバ・ド・パージュミニアチュールなどと呼ばれる、と解説されていた。

下の写本(図2)ではウサギ🐇が描かれているが、ウサギが描かれた写本は展示されていたものではこの一枚だけだったのではないか。傾向としては、蛇が描かれているものが目立った。

図2

註解

 下の写本(図3)にはタルムードでも有名な註解の形式が施されている。欄外には、小さな文字で細かいメモが書き加えられている。

図3

下の写本(図4)では、欄外をすべて埋め尽くすようにメモが書かれている。これには狂気すら覚えよう。

図4

音符

 西洋の音楽が教会音楽として発展したのは有名である。
 下の写本(図5)では、音符が黒い四角◼️で描かれている。音楽の形式も時代とともに変化していることがわかる。

図5

おわりに

 写本は文字通りにはコピーであってオリジナルではないが、中世の写本には人の手で一枚一枚細かい絵が書き加えられている。その意味では、中世の写本はすべてオリジナルの雰囲気を漂わせている。我々はその大きさ、色、装飾のデザインなどからインスピレーションを受け取ることができるだろう。こうしたデザインは、中世の記憶術を結びついていた可能性もある。活版印刷によって失われてしまったものがあるとすれば、それは中世の写本の中にいまだ眠っているのである。

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