選挙と熊本の災害と…

どうもです。最近この手の文章を書いていなかったのでどこまで書けるかが気になるところであります。

長野ではあまり目立ちませんでしたが売木村村長選、東京では都知事選がありました。売木村の投票率は80%越え、対して都知事選の投票率は55%。騒がれなかった売木村の投票率の方が高いってこれ如何に。しかも売木村村長候補は現職と新人の一対一の対決、それに対して都知事選は22人の候補者。多ければ良いのかと言う訳じゃないけど、当選した方はその責任を重く受け取ってもらいたい。

まず現行の選挙制度は戦後に改正され、女性にも選挙権を与えられました。選挙権は当たり前と思ってる方も思いますが、決してそうではなく今でも選挙権がない国もあります。こういう事を踏まえると如何に東京では多くの方が選挙権を放棄したかというのはあまりにも残念でなりません。選挙権を放棄するという事は権利を捨てるというのと同じですし、意見も持たないという事になります。投票せず後からどうこう言うのは卑怯者ですので投票権を持ちながら放棄した方は後からK都知事に対してどうこう言うのはおやめ頂きたい。まかりなりにもS候補であれ、U候補であれ、Y候補であれ何らかの票を投じたのであればそれはそれで意思表示なので尊重できるが、投票しても何も変わらない、誰がやっても同じという意見でありながら後からどうこう言うのはあまりにも卑怯である。選挙時には意見や意思表示をせずあとからどうこう言うのは筋違いである。

九州の被災者の方々には心からご冥福をお祈りし、早期の復興(とはいうものの度重なる天災に襲われ非常に厳しいと思われるが)を祈念したい。
ただ熊本の球磨川氾濫の経緯に至ってはこういう事を申し上げるのは何であるがある種の自己責任としか言いようが無い。某新聞から引用したいと思う。

熊本県南部の記録的豪雨で1級河川・球磨川が氾濫し、甚大な被害が出ている状況について蒲島郁夫知事は5日、報道陣に「ダムによらない治水を12年間でできなかったことが非常に悔やまれる」と語った。球磨川水系では1966年から治水など多目的の国営川辺川ダム計画が進められたが、反対する流域市町村の意向をくんだ蒲島知事は2008年9月に計画反対を表明。国も中止を表明し、09年から国と県、流域市町村でダムに代わる治水策を協議してきたが、抜本策を打ち出せずにいた。
私が2008年にダムを白紙撤回し民主党政権によって正式に決まった。その後、国、県、流域市町村でダムによらない治水を検討する場を設けてきたが、多額の資金が必要ということもあって12年間でできなかったことが非常に悔やまれる。そういう意味では球磨川の氾濫を実際に見て大変ショックを受けたが、今は復興を最大限の役割として考えていかないといけないなと。改めてダムによらない治水を極限まで検討する必要を確信した次第だ。

蒲島知事は天から任命されたわけではなく、当然ながら熊本県民の投票によって選ばれた結果である。熊本県知事を擁護する気は毛頭ないが、極論を述べれば熊本県民の意見を反映しそれを実施したに過ぎない。最終決断したのは当時の民主党政権でもあるが、その民主党政権を選んだのも国民である。つまりは国民自ら望んだ結果である。これだけでも如何に政治と自らの生活に直結しているかが理解できるかと思う。

国政選挙、地方選挙共にAKBの人気投票と違い、国民の生活に直結する。自民党もどうしようもないが、野党もどうしようもない。これではだれがやっても同じと言われるのもある意味致し方がない。ただ意思表示をするという意味も含めて選挙権を放棄するのはやめて頂きたい。私が住んでいる長野県もある意味罰ゲーム的な候補者しかいなかったのも事実である。先の参院選では緊縮財政派、緊縮財政派、革命老人かN〇Kを…の何れかしかいなかった。これではまともな選挙にはならないだろうと思ったが投票という形で意思表示はした。国民が真っ当な議論をするにあたってもまずは投票する、自分の地域の候補者はどんな政策を掲げているのか、その政策は実現可能なものなのかよく検討していただきたい。特にこのコロナ禍において、また災害大国日本においては各政治家の政策は各自の生活に直結するので今一度ご自身で検証していただき、興味を持っていただきたいと思った次第である。

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