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『源氏物語』は光源氏と若紫は異父兄妹なのです!
『源氏物語』には「按察大納言」が二人出てくるのです。
桐壺更衣の父親
若紫の祖母の夫
按察大納言と北の方との一人娘で、桐壺帝の更衣。後宮では後ろ盾が無いこともあり、局として清涼殿からもっとも遠く不便な淑景舎(桐壺)を与えられたことから桐壺更衣と称する。早くに父親を亡くした、父の遺言を受けた母北の方の尽力により、一族再興の期待を背負って入内した。出家した兄が一人いる(「賢木」)。
特別身分高い出自ではなかったが、桐壺帝の寵愛を一身に受けていたため、他の女御、更衣たちから疎まれたうえ、彼女らの後ろ盾である重鎮の貴族からは楊貴妃にあてこすられて、有形無形の嫌がらせを受けた。その心労から病気がちになり、帝の第二皇子(光源氏)を出産するも、源氏が3歳の夏に病状が急変、里下り直後にそのまま死去。女御にもできなかったことを後悔した帝により、従三位を追贈された。
源氏が最後に母親に会ったのは3歳(満1,2歳)のときなので、顔は覚えていないのです。
少女の大伯父の僧都によると彼女は藤壺の兄兵部卿宮の娘で、父の正妻による圧力を気に病んだ母が早くに亡くなった後、祖母の北山の尼君(40歳ほど)の元で育てられ10余年たったという。
前の按察使あぜち大納言はもうずっと早く亡なくなったのでございますからご存じはありますまい。その夫人が私の姉です。
按察使も大納言も役職なのですが、そうたくさんいるわけではないのです。
按察使(あぜち)は、地方行政を監督する令外官。数か国の国守の内から1名を選任し、その管内における国司の行政の監察を行った。
(略)平安時代以降は陸奥国・出羽国の按察使だけを残して、他は大納言・中納言・参議などとの兼任となり実態がなくなった。
桐壺、藤壺、若紫の三人はそっくりなのです。
先帝の后腹(皇后所生)の女四宮(第四皇女)。同母兄に兵部卿宮(後に式部卿宮。紫の上の父)、異母妹に源氏女御(朱雀帝の妃、女三宮の母。同じく藤壺と称した)がいる。
定説では二人の按察大納言は別人なのですが、実は同一人物なのです。つまり桐壺と藤壺は従姉妹、若紫は桐壷の実の娘、光源氏とは異父兄妹なのです。はっきり書くとつまらないのでボカして書いてあるのです。
先帝(僧都)ー皇后 大納言ー北の方(僧都の姉)
|ーーー+ |
(藤壺) 兵部卿宮ー桐壺ー桐壺帝ー藤壺
| | /ー冷泉帝
紫の上ー光源氏
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桐壺
源氏物語において、「先帝」なる語は(中略)「それぞれの時点での今の帝の一つ前の帝」を指すのではなく全て同じ人物を指しているという、固有名詞的な使われ方がされている。
これに対しこの「先帝」は、桐壺巻の時点ではすでに崩御していたと見られ、またその男子が「帝の后腹の子」という皇位を嗣いでもおかしくない血筋にもかかわらず兵部卿宮や式部卿宮という地位に留まって皇位を継ぎそうな気配が全く無く、同じく后腹の皇女である藤壺が後宮に入った際にも「力のある後ろ盾がいない」ことが問題とされて母后が入内に反対し、藤壺が産んだ皇子である冷泉帝が即位した際には通常母方の係累に繋がる人物が就くべき後ろ盾に「適当な人物がいない」として(実は冷泉帝の実父である)光源氏が就いている[5]など、この先帝の一族は全く勢力を失った政治的敗者という描かれ方がされている[6]。
シスコンの兵部卿宮が藤壺と姦通したので、父親の先帝は退位・出家して「若紫」の僧都になったのです。
それから間もなく僧都が訪問して来た。尊敬される人格者で、僧ではあるが貴族出のこの人に軽い旅装で逢うことを源氏はきまり悪く思った。
光源氏にとっては祖父なのです。
「突然な夢のお話ですね。それがだれであるかをお聞きになっても興がおさめになるだけでございましょう。前の按察使あぜち大納言はもうずっと早く亡なくなったのでございますからご存じはありますまい。その夫人が私の姉です。未亡人になってから尼になりまして、それがこのごろ病気なものですから、私が山にこもったきりになっているので心細がってこちらへ来ているのです」
僧都の答えはこうだった。
「その大納言にお嬢さんがおありになるということでしたが、それはどうなすったのですか。私は好色から伺うのじゃありません、まじめにお尋ね申し上げるのです」
少女は大納言の遺子であろうと想像して源氏が言うと、「ただ一人娘がございました。亡くなりましてもう十年余りになりますでしょうか、大納言は宮中へ入れたいように申して、非常に大事にして育てていたのですがそのままで死にますし、未亡人が一人で育てていますうちに、だれがお手引きをしたのか兵部卿ひょうぶきょうの宮が通っていらっしゃるようになりまして、それを宮の御本妻はなかなか権力のある夫人で、やかましくお言いになって、私の姪めいはそんなことからいろいろ苦労が多くて、物思いばかりをしたあげく亡くなりました。物思いで病気が出るものであることを私は姪を見てよくわかりました」
などと僧都は語った。それではあの少女は昔の按察使大納言の姫君と兵部卿の宮の間にできた子であるに違いないと源氏は悟ったのである。藤壺の宮の兄君の子であるがためにその人に似ているのであろうと思うといっそう心の惹ひかれるのを覚えた。
私は好色から伺うのじゃありません:語るに落ちたのです。
だれがお手引きをしたのか:とぼけではなく僧都が本当に知らないのです。シスコンの兵部卿宮は妹の藤壺に似ている桐壺が生きていると耳にして押しかけて来たのです。宮の妻は桐壺のことを知らないから誤解して「尼と姦通するのは非常識にすぎる」とやかましく言ったのです。
物思い:桐壷の「我が子の源氏に会いたい」なのですが、とうとう桐壺は宮に孕まされ、若紫の出産時に亡くなったのです。
御息所みやすどころ――皇子女おうじじょの生母になった更衣はこう呼ばれるのである――はちょっとした病気になって、実家へさがろうとしたが帝はお許しにならなかった。
帝は溺愛する妻を手元に起いていたくて、イジメで弱った桐壺をなかなか実家へ帰さなかったのです。
はなやかな顔だちの美人が非常に痩やせてしまって、心の中には帝とお別れして行く無限の悲しみがあったが口へは何も出して言うことのできないのがこの人の性質である。
桐壺は宮中でも「非常に痩せてしまっ」たので、実家でも僧都が「姪を見てよくわかりました」。さすがに弱り切ったところで許しがでたのですが
帰った更衣の家へお出しになる尋ねの使いはすぐ帰って来るはずであるが、それすら返辞を聞くことが待ち遠しいであろうと仰せられた帝であるのに、お使いは、
「夜半過ぎにお卒去かくれになりました」
と言って、故大納言家の人たちの泣き騒いでいるのを見ると力が落ちてそのまま御所へ帰って来た。
使いは桐壺の死を確認していないのです。宮中に戻りたくなかった桐壺の芝居なのです。しかし愛する我が子の源氏とも会えなくなったのです。
桐壺は「貞淑で我が子を溺愛するママ」なのです。理想の女性のタイプの一つなのです。ちなみに名前は「虫を寄せ付けない壺」ないし「火がつかない壺」なのです。
藤壺
先帝の后腹(皇后所生)の女四宮(第四皇女)。同母兄に兵部卿宮(後に式部卿宮。紫の上の父)、異母妹に源氏女御(朱雀帝の妃、女三宮の母。同じく藤壺と称した)がいる。
桐壺更衣にそっくりの美貌の女性で、更衣の死後も悲しみに暮れていた桐壺帝がその噂を聞いて熱心に所望し、14歳で入内する。桐壺帝は藤壺と最愛の息子源氏を実の母子のように鍾愛し、共にその輝かんばかりの美しさもあって、藤壺は源氏の「光る君」と並んで「輝く日の宮」と称された(「桐壺」)。
藤壺が亡き母によく似ていると教えられ、5歳違いの彼女に懐いた源氏は、元服後も彼女を慕い続けて、次第に理想の女性として恋するようになる。そして藤壺が病のため里下がりした折に関係をもち(「若紫」)、その結果、藤壺は源氏に生き写しの男御子(後の朱雀帝の東宮、冷泉帝)をもうける。何も知らない桐壺帝は高貴な藤壺が産んだこの皇子を「瑕なき玉」と歓喜し溺愛したが、藤壺の心中は複雑だった。
「不二壺=無二の名〇」なのです。藤壺は「ビッチで名〇な女王様+ネトラレ」で、兄の兵部卿宮や義理の息子のショタ源氏に手を出したのです。これも理想の女性のタイプの一つなのです。源氏は桐壺の顔を覚えていないので、藤壺と似ていることは教えられて知ったのです。
若紫
若紫は「純粋無垢なロリ」なのです。
💛
突然な夢のお話ですね。それがだれであるかをお聞きになっても興がおさめになるだけでございましょう。
僧都はネタばれするなと言っているのです。
ここへ来ていらっしゃるのはどなたなんですか、その方たちと自分とが因縁のあるというような夢を私は前に見たのですが、なんだか今日こちらへ伺って謎なぞの糸口を得た気がします
ここにものしたまふは、誰れにか。尋ねきこえまほしき夢を見たまへしかな。今日なむ思ひあはせつる
おもひ-あは・す 【思ひ合はす】
他動詞サ行下二段活用
活用{せ/せ/す/する/すれ/せよ}
①考え合わせる。
出典枕草子 行幸にならぶものは
「昔語りに人のいふを聞き、おもひあはするに」
[訳] 昔ばなしとして人がいうのを聞き、考え合わせるけれども。
②思い当たる。合点がゆく。
出典大和物語 一四八
「顔も声もそれなりけりと思ふに、おもひあはせて」
[訳] 顔も声もそれ(=昔の妻)であったと思うと、思い当たって。
与謝野晶子は原文をよく理解して「謎なぞの糸口を得た」と意訳したのです。つまり現代語訳ならまず与謝野訳を参照すべきなのです(谷崎訳は「今日始めて思い当たりました」)。
源氏と北の方はパラレルなのです。
僧都は人世の無常さと来世の頼もしさを源氏に説いて聞かせた。源氏は自身の罪の恐ろしさが自覚され、来世で受ける罰の大きさを思うと、そうした常ない人生から遠ざかったこんな生活に自分もはいってしまいたいなどと思いながらも、夕方に見た小さい貴女きじょが心にかかって恋しい源氏であった。
源氏はまだ18歳なので、説話を聞いて怖くなっただけなのです。
「亡くなりますころに生まれました。それも女です。その子供が姉の信仰生活を静かにさせません。姉は年を取ってから一人の孫娘の将来ばかりを心配して暮らしております」
聞いている話に、夕方見た尼君の涙を源氏は思い合わせた。
「亡くなりはべりしほどにこそ、はべりしか。それも、女にてぞ。それにつけて物思ひのもよほしになむ、齢の末に思ひたまへ嘆きはべるめる」と聞こえたまふ。
「さればよ」と思さる。
原文は北の方と桐壺の「物思ひ」を重ねていますが、与謝野訳は「信仰生活」で源氏に重ね、原文にない「尼君の涙」を追加しているのです。ここの訳の「思い合わせた」は、注意深い読者にはここまでで「謎なぞが解けた」ことになるのです。
「あなたはまあいつまでも子供らしくて困った方ね。私の命がもう今日きょう明日あすかと思われるのに、それは何とも思わないで、雀のほうが惜しいのだね。雀を籠かごに入れておいたりすることは仏様のお喜びにならないことだと私はいつも言っているのに」
と尼君は言って、また、
「ここへ」
と言うと美しい子は下へすわった。顔つきが非常にかわいくて、眉まゆのほのかに伸びたところ、子供らしく自然に髪が横撫よこなでになっている額にも髪の性質にも、すぐれた美がひそんでいると見えた。大人おとなになった時を想像してすばらしい佳人の姿も源氏の君は目に描いてみた。なぜこんなに自分の目がこの子に引き寄せられるのか、それは恋しい藤壺ふじつぼの宮によく似ているからであると気がついた刹那せつなにも、その人への思慕の涙が熱く頬ほおを伝わった。尼君は女の子の髪をなでながら、
「梳すかせるのもうるさがるけれどよい髪だね。あなたがこんなふうにあまり子供らしいことで私は心配している。あなたの年になればもうこんなふうでない人もあるのに、亡なくなったお姫さんは十二でお父様に別れたのだけれど、もうその時には悲しみも何もよくわかる人になっていましたよ。私が死んでしまったあとであなたはどうなるのだろう」
あまりに泣くので隙見すきみをしている源氏までも悲しくなった。子供心にもさすがにじっとしばらく尼君の顔をながめ入って、それからうつむいた。その時に額からこぼれかかった髪がつやつやと美しく見えた。
北の方は幼気な孫娘の将来を案じているのです。彼女や桐壺の「物思ひ」は子を思う心ですが、若い源氏ではお姉ちゃんへの恋慕なのです。現世の苦しみの男女での違いなのですが、ネタバレすると、男が子を持つと「自分の子ではない」こと、あるいは疑念が苦しみとなるのです。
それではあの少女は昔の按察使大納言の姫君と兵部卿の宮の間にできた子であるに違いないと源氏は悟ったのである。藤壺の宮の兄君の子であるがためにその人に似ているのであろうと思うといっそう心の惹ひかれるのを覚えた。身分のきわめてよいのがうれしい、
若紫は藤壺に似ているのです。外見と身分なのです。
愛する者を信じようとせずに疑いの多い女でなく、無邪気な子供を、自分が未来の妻として教養を与えていくことは楽しいことであろう、それを直ちに実行したいという心に源氏はなった。
若紫は年の割には幼くてかわいいのです。内面なのです。
なかなかのさかしら心なく、うち語らひて、心のままに教へ生ほし立てて見ばや
「未来の妻として」は与謝野が補ったのです。藤壺と源氏は義理の親子で、お姉ちゃんの気まぐれの一方的なエッチですが、源氏は「名〇で淫乱なのにしかも貞淑なお姉ちゃん」が欲しいのです。藤壺のようでは誰の子を産むのかわかったものではないのです。源氏は「少女は藤壺に似ているから名〇に違いない。今度こそ他人に取られる前に自分が手に入れなければ」と考えたので、すぐにでも結婚したいと言ったのです。
「妙なことを言い出すようですが、私にその小さいお嬢さんを、託していただけないかとお話ししてくださいませんか。私は妻について一つの理想がありまして、ただ今結婚はしていますが、普通の夫婦生活なるものは私に重荷に思えまして、まあ独身もののような暮らし方ばかりをしているのです。まだ年がつり合わぬなどと常識的に判断をなすって、失礼な申し出だと思召おぼしめすでしょうか」
と源氏は言った。
「それは非常に結構なことでございますが、まだまだとても幼稚なものでございますから、仮にもお手もとへなど迎えていただけるものではありません。まあ女というものは良人おっとのよい指導を得て一人前になるものなのですから、あながち早過ぎるお話とも何とも私は申されません。子供の祖母と相談をいたしましてお返辞をするといたしましょう」
こんなふうにてきぱき言う人が僧形そうぎょうの厳いかめしい人であるだけ、若い源氏には恥ずかしくて、望んでいることをなお続けて言うことができなかった。
「あやしきことなれど、幼き御後見に思すべく、聞こえたまひてむや。思ふ心ありて、行きかかづらふ方もはべりながら、世に心の染まぬにやあらむ、独り住みにてのみなむ。まだ似げなきほどと常の人に思しなずらへて、はしたなくや」などのたまへば、
「いとうれしかるべき仰せ言なるを、まだむげにいはきなきほどにはべるめれば、たはぶれにても、御覧じがたくや。そもそも、女人は、人にもてなされて大人にもなりたまふものなれば、詳しくはえとり申さず、かの祖母に語らひはべりて聞こえさせむ」
と、すくよかに言ひて、ものごはきさましたまへれば、若き御心に恥づかしくて、えよくも聞こえたまはず。
与謝野は夫婦生活を強調しているのですが、「私は妻について一つの理想がある」「普通の夫婦生活は私に重荷」なのです。源氏は「普通ではない夫婦生活が送れる妻が理想」ですが、僧都も「女というものは良人のよい指導を得て一人前になる」と返し、口にはしなかったセックスドリームがお見通しだったので、若い彼は恥ずかしくなったのです。僧都は藤壺の、尼は桐壺の親だからよく理解しているのです。
私は好色から伺うのじゃありません
語るに落ちているのです。
見た目はそっくりの美女なのにしかも名〇ですが
桐壺:我が子を愛する貞淑なママ
藤壺:ビッチで支配的なお姉ちゃん
若紫:世間知らずだけど淫乱で床上手なロリ妻
なのです。
ママには自分だけを見てほしい
女王様には陵辱とネトラレしてほしい
妻にはウブなのにしかもドスケベでいてほしい
『源氏物語』と現代のエロゲーの価値観は全く同じなのです。ビッチを淫乱と区別して理想の一つにしたところがミソなのです。僧都と尼には心底同情するのです。
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