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【欠陥品】福島正実訳ハインライン『夏への扉』は原文でもっとも大事なところをごっそり削っているのです

ロバート・A・ハインライン『夏への扉」の福島正実訳は、原文でももっとも重要な箇所をごっそり削除しています。最後のほうですが

とすれば――昔ながらの"曲折する時間の流れ"とか、"多元宇宙"とかいう観念は、ついに正しかったのであろうか!とすれば――ぼくは、現在、次元の異なった宇宙のひとつに飛び込んでしまったのだろうか?リッキーがいても、ピートがいても、この世界は、以前の世界ではない別の世界なのだろうか?そしてどこか(あるいはいつか)に、ピートが、永遠に見捨てられて置き去られて、野良猫になってしまった世界が――そしてリッキーがついに祖母と一緒になれず、ベルの悪魔の爪にいまだにかけられつづけている世界があるのだろうか?
いや、きっとそうではあるまい。おそらくぼくは、新聞を読みながら眠ってしまって、ぼくの名前を見落としたまま、翌日その新聞を屑籠の中にほうりこんでしまったのだ。ぼくは朝ぼんやりすることが多い。とくに、頭の中に、新しい発明のことでもあると、なんでも忘れてしまうことがあるのだから。
A) だが――そうだ、もしぼくがそれを見つけていたとしたらどうだったろう?そこへ行き、ぼく自身に会って、そして――気がくるってしまったろうか?いや、そうじゃない。もしぼくがそれを見つけていたら、ぼくはその後したようなことをしなかっただろうから。したがって、ぼくがあの時の自分の名をそこに見ることは、本来あり得ないことだったのだ。ぼくがそれを読まなかったからこそ、それが新聞に掲載されることになったのだ。
C) 時間旅行をしたのは、なにもぼく一人とはかぎらない。フォートは時間旅行以外に説明のつけようのないさまざまのケースをいくつも挙げている。アンブローズ・ビアースまた然り。さらにぼくは、かのトウィッチェル博士が、おそらく彼の認めた以上の回数、あのスイッチを押したにちがいないという気がしてならない。(kindle 4399/4705)




Philosophically, just one line of ink can make a different universe as surely as having the continent of Europe missing. Is the old “branching time streams” and “multiple universes” notion correct? Did I bounce into a different universe, different because I had monkeyed with the setup? Even though I found Ricky and Pete in it? Is there another universe somewhere (or somewhen) in which Pete yowled until he despaired, then wandered off to fend for himself, deserted? And in which Ricky never managed to flee with her grandmother but had to suffer the vindictive wrath of Belle?
One line of fine print isn’t enough. I probably fell asleep that night and missed reading my own name, then stuffed the paper down the chute next morning, thinking I had finished with it. I am absent-minded, particularly when I’m thinking about a job.
A)
 But what would I have done if I had seen it? Gone there, met myself—and gone stark mad? No, for if I had seen it, I wouldn’t have done the things I did afterward—“afterward” for me—which led up to it. Therefore it could never have happened that way. The control is a negative feedback type, with a built-in “fail safe,” because the very existence of that line of print depended on my not seeing it; the apparent possibility that I might have seen it is one of the excluded “not possibles” of the basic circuit design.
B) “There’s a divinity that shapes our ends, rough-hew them how we will.” Free will and predestination in one sentence and both true. There is only one real world, with one past and one future. “As it was in the beginning, is now and ever shall be, amen.” Just one…but big enough and complicated enough to include free will and time travel and everything else in its linkages and feedbacks and guard circuits. You’re allowed to do anything inside the rules…but you come back to your own door.
C) I’m not the only person who has time-traveled. Fort listed too many cases not explainable otherwise and so did Ambrose Bierce. And there were those two ladies in the gardens of the Trianon. I have a hunch, too, that old Doc Twitchell closed that switch oftener than he admitted…to say nothing of others who may have learned how in the past or future. But I doubt if much ever comes of it. In my case only three people know and two don’t believe me. You can’t do much if you do time-travel. As Fort said, you railroad only when it comes time to railroad.


削除されたのは、Aからは

The control is a negative feedback type, with a built-in “fail safe,”
of the basic circuit design

Bはごっそり全部、Cからは

And there were those two ladies in the gardens of the Trianon.
to say nothing of others who may have learned how in the past or future. But I doubt if much ever comes of it. In my case only three people know and two don’t believe me. You can’t do much if you do time-travel. As Fort said, you railroad only when it comes time to railroad.

です。Aから削除されたのは「世界の仕組み」です。circuitは全部で24回出てくる重要単語です。Cの後半を削ったのでDoc Twitchell closed that switch oftener than he admittedの意味がわからなくなりました(博士が白状した以外にも人をタイムマシンに乗せたということ)。

In my case only three people know and two don’t believe me.

リッキィはタイムトラベルを信じたが、サットン夫妻は信じなかったということです。ここも大事なんですが…。「トリアノンの幽霊」は

トリアノンの幽霊(トリアノンのゆうれい、英語: Ghosts of Trianon、フランス語: Fantômes du Trianon, 別名: ヴェルサイユの幽霊もしくはモーバリー・ジュールダン事件)は、シャーロット・アン・モーバリー(英語版)(1846-1937)とエレノア・ジュールダン(英語版)(1863-1924)[1]が、1901年8月10日にフランスのヴェルサイユ宮殿の離宮 プチ・トリアノンを訪問した際にタイムスリップを体験し、マリー・アントワネットやその他の同時代の宮殿関係者を見かけたとされる事件である。


twoをサットン夫妻ではなくladiesと誤解させるための「ひっかけ」のようです。困ったのはBで、直訳すると

「我々の終わりを形作り、我々が望むように粗削りする神意がある。」自由意志と運命予定説はひとつの宣告にあり、いずれも真実だ。あるのはただひとつのリアルな世界であり、ひとつの過去とひとつの未来しかない。「それははじめにあって、今であるように、永遠にあるだろう。アーメン(誠にかくあれかし)。」ただ一つの――しかし十分に大きく十分に複雑で、そのつながりとフィードバックと保護回路に、自由意志や時間旅行やその他すべてを含みうる。きみはルールの範囲でなんでもできる――しかしきみはきみ自身の扉に戻って来る。

こんな感じで、最後にちゃんと「扉」が使われています。

As it was in the beginning,

は新約聖書の「ヨハネによる福音書

1:1 In the beginning was the Word, and the Word was with God, and the Word was God.

であり、wordとworldのダジャレは定番です。

「われ、ダニエルは、ここになんじフレデリカを妻としてめとる……死がわれらを別つその日まで……」(4342/4705)


あとで書きますが、the Wordをthe word "anachronisim"が受けています。AとBは作者の生い立ちに照らすとキリスト教プロテスタント派の教義「確証の教理」の「良心の確証」と「聖霊の確証」だと思われます。



ローマ人への手紙 8:15, 16には、2重の「信仰の確証」が述べられている。
・第一の証しは「良心の確証」と言われるもので、「私たちの霊とともに」が、それを示唆している。ここに良心の証しとは、聖書の示す救いの条件を果たしたか、また、救いの前後で明らかな変化が認められるのか、などを理性的に、冷静に判断する時に、納得される類の証左である。
・それに対して、もう一つの信仰の確証は、聖霊によって信じる者の内心にもたらされる直接的な証しであって「聖霊の確証」と言われるものである。


8:15 あなたがたは再び恐れをいだかせる奴隷の霊を受けたのではなく、子たる身分を授ける霊を受けたのである。その霊によって、わたしたちは「アバ、父よ」と呼ぶのである。
8:16 御霊みずから、わたしたちの霊と共に、わたしたちが神の子であることをあかしして下さる。


もっともこの二つの区別はキリスト教にかぎらず普遍的に見られるものですが。自由意志と決定論はテッド・チャンとも共通するテーマです。Bのonly one real worldが"多元宇宙"を受け、不幸なリッキィや野良猫のピートがいる世界は存在しないことが示されるのですが、Bがまるごとなくなったため、福島訳には受けるものがなくなりました。英文小説には地の文にyouがでてくることがあり、普通は訳されないか適当に処理されるのですが、Bはあきらかに読み手への語りかけになっています。またBの

You’re allowed to do anything inside the rules…but you come back to your own door.

をCで

You can’t do much if you do time-travel. As Fort said, you railroad only when it comes time to railroad.

と言い換えています。タイムトラベルは万能ではないということで、これがないと「なんでもあり」になってしまいます。また神様を技術者にたとえているので"fail safe"であることは本質です。

最後は主人公はリッキィに21歳(自分の意志だけでものごとを決められる年齢)になったらコールドスリープするよう伝えます。なんの保証もない未来に行くコールドスリープは、リッキィにとっても主人公にとっても賭けでしたが、主人公はリッキィと結婚してからdivinityだと気づくという、ロマンチックなお話です。

この小説は自由意志、偶然や賭けをテーマにしており、チャンスに賭けることをよしとしています。古典的な神話のフォーマットをなぞっていますが、最後に偶然が「科学的な推論」で必然にひっくり返るのがおもしろみです。また「夏への扉The Door into Summer」はyour own doorですが、「sum-mer総取りする人」とのダジャレで、賭けに勝った人が総取りするということです。主人公はリッキィ、猫、仕事、名声、富とあらゆるものを手に入れました。テーマを知らないと題名の意味もわかりません。たまたまBが欠落したのではなく前後からも削っているところを見ると、福島氏は宗教的な話を嫌ったのか意図的に削除したようです。なにが「SFの鬼」ですか。デタラメじゃないですか。

💛

MY OLD MAN named me Daniel Boone Davis, which was his way of declaring for personal liberty and self-reliance. I was born in 1940, a year when everybody was saying that the individual was on the skids and the future belonged to mass man. Dad refused to believe it; naming me was a note of defiance. He died under brainwashing in North Korea, trying to the last to prove his thesis.
親父がぼくを、ダニエル・ブーン・デイヴィスと名づけたのには、れっきとした理由がある。父はその名をつけることで、ぼくに、自由を愛する精神と独立心とを授けようとしたのである(Daniel Boone 1734~1820。アメリカ西部の開拓者。ケンタッキーを踏査、西部発展の基礎を築いた人物)。
ぼくが生まれたのは1940年、世界じゅうが、これからの世界は個人の尊厳など問題ではなく、全体こそが未来の主人になるのだと主張していた時代だった。父はこれを信じようとはせず、ぼくの名前も、こうした風潮に対する一種の挑戦としてそうつけたのだ。そして、自説の正しさを最後の最後まで証明しようと空しい努力を続けつつ、北朝鮮で洗脳を受けて死んでしまった。(431/4705)

まさにいつものハインラインです。全体主義に抗するのが「空しい努力」なはずがありません。「洗脳を受けて」ではなく「洗脳中に」です。拷問に屈せず誇り高く死んだのです。trying to the lastは北朝鮮にとっては「終わらせる」、父親にとっては「終わらせない」のかけことばで、最後のworld without endと対応しており、父親の考えが主人公に受け継がれていることが示されます。また主人公は技術者ですが一人でなんでもできるブリコルールで、神話的な英雄といえます。

“Use your head, Danny. With a rocket ship you can aim the kinkin’ thing. But which direction is last week? Point to it. Just try. You haven’t the slightest idea which mass is going back and which one is going forward. There’s no way to orient the equipment.”
「頭脳をつかえよ、ダン。ロケットの場合は方向を定めて飛ぶことができる。しかし、時間の場合はどうだ?先週とはどっちの方向だ!わかるもんなら、指さしてみてくれ。させないさ。だからだよ、どっちの質量が過去に行って、どっちの質量が未来に行くのか、誰にもわかりゃしないんだ。それを調整する装置がないんだよ」(3056/4705)

タイムマシンは未来と過去のどちらに飛ぶか半々です。わざとらしいですが、作品テーマにかかわる箇所です。There’s no way to orient the equipmentは「装置(タイムマシン)を方向付けることが(原理的に)できない」という意味です。装置がないのではありません。

chance, luck, fortuneという似た意味の単語がそれぞれ26, 8, 3回出てきます。またreal, life, jobは25, 30, 41回です。おなじ単語を使うのはちゃんと意味があってのことですが、適当に訳しわけているため翻訳の読者はもとの単語がわからず、そのためテーマを知ることが困難になっています。たとえばluckはこんな感じでバラバラに訳されています。

With any luck I’d run them broke and have them begging me to come back.
そして彼らを破産させ、ぼくの前に手をついて、"どうぞ戻ってきてください"と哀願させてやる。(1142/4705)
As for Belle, the hate in her face could not have been increased even by a lucky stab in the dark. 
ベルといえば、世の中にこれ以上ないというすさまじい憎悪を顔中にみなぎらせていた。(1287/4705)
And I had finally pushed my luck too far.
そしてこのとき、ぼくは、ぼくの幸運を捨てる失策をやらかしたのだ。(1336/4705)
They were taking a great chance with your life. You were lucky.
あなたの生命は非常な危険にさらされたわけだ。あなたは運がよかったのですよ。(1786/4705)

chanceのすぐあとにluckyがあります。

“Mmmm. Well, good luck. Don’t hesitate to call if I can help.”
「なるほどね。まあ、成功を祈りますよ。もしぼくにできることなら、なんでもするから、そんなときは遠慮せずに訪ねていらっしゃい」(1989/4705)
I had the same luck with the Register of Voters for Los Angeles County.
ロサンゼルス郡の投票者登録局への問い合わせも、おなじ結果しかもたらさなかった。(2419/4705)
 “Want to try your luck on more than two hundred and fifty million?” 
「二億五千万のアメリカ全体だと、どういうことになると思う?」(2958/4705)
“Better revise your schedule. I’d say that you had more like nine months’ work cut out for you. You won’t be in production even then—just lined up to start moving, with luck.”
「予定を変更するんだね、ダニー。九週間が九年間でも無理だと思うよ。九か月あっても、まだ生産を開始することは難しいな――せいぜい会社が動き始めるのが関の山だろう。すべてスムーズにいってだよ」(3866/4705)

これは人間の妊娠期間とかけています。

lawも37回出てきます。

Do you know anything but law, Chubby? You haven’t any curiosity. 
法律以外のことはなんにも知らないのね!好奇心というものがないのね、デブちゃんは。(1473/4705)

ベルがマイルズを評しています。lawとdivinityが対比されていることがわかります。最後のほうにHis(the Builder's) lawが出てきます。Curiosity killed the catという言い回しがありますが、マイルズにcuriosityがあったらピートを殺していたでしょう。「冒険」だけでなく「結婚」「好奇心」もハインラインの重要なテーマといえます。

coincidenceが集中して3回出てきており、上に書いた段落Bの前振りになっています。

“No,” he agreed, “it doesn’t. It would be quite a coincidence, I readily agree, if two engineers with such similar talents happened to be working on the same sort of thing at the same time and just happened to have the same last name and the same initials. By the laws of statistics we could probably approximate just how unlikely it is that it would happen. But people forget—especially those who ought to know better, such as yourself—that while the laws of statistics tell you how unlikely a particular coincidence is, they state just as firmly that coincidences *do happen*. This looks like one. I like that a lot better than I like the theory that my beer buddy has slipped his cams. Good beer buddies are hard to come by.”
「そうだ、関係ない」チャックは同意した。「確かに、偶然の一致にしても、あまりに符合することが多すぎる。おなじような才能を持った二人の技術者が、たまたま、おなじような機械をおなじ時期に発明していて、しかもその二人の頭文字と苗字がおなじだというのは偶然といいきれない気がする。統計学によってみると、そんなことのおこる機会がいかに少ないかがよくわかる。だが、人は重大なことを忘れがちだ――とくに、きみのような、頭脳のある人間にかぎってそれが多いんだが――そのおなじ統計学上の法則が、そういった偶然は少ないことは少ないが、にもかかわらず依然として存在するという厳然たる事実を教えていることををだ。きみの場合は、まさにそうだとぼくは思う。いずれにしろ、ぼくはそう思いたい。唯一のビール友だちの頭のタガがはずれていたとは思いたくない。良きビール友だちとは得がたいものだからね」(2958/4705)

coincidenceは原文全部でこの3つしかありません。またこの段落でlawが2回、sameが4回、likeが5回、happenが4回(小説全体で39回)使われています。do happenはイタリックになっています。一般に小説では集中して使われることばは読解の鍵になります。lotは「たくさん」と「クジ」との、beerはbearとのダジャレです。

💛

ONE WINTER shortly before the Six Weeks War my tomcat, Petronius the Arbiter, and I lived in an old farmhouse in Connecticut. I doubt if it is there any longer, as it was near the edge of the blast area of the Manhattan near-miss, and those old frame buildings burn like tissue paper.
六週間戦争のはじまる少しまえのひと冬、ぼくとぼくの牡猫、護民官ペトロニウスとは、コネチカット州のある古ぼけた農家に住んでいた。マンハッタンの被爆地帯の端にあったし、古い木造家屋というものはティッシュペーパーに火をつけたようによく燃えるから、今でも、まだあの農家がそこに建っているかどうかは疑問だ。おそらくはあるまい。(10/4705)

小説の冒頭なので大事なことが書いてあります。物語の舞台の1970年は核戦争から数年後で、もう少し戦争が早く始まっていたら主人公は死んでいました。主人公の命が助かったのは偶然です。またペトロニウスは古代ローマの貴族ですが「護民官」は平民です。原爆を落とされたのに数年で復興したと国といえば日本が連想されます。主人公の父親は北朝鮮で死にました。

The drawback was that the place had eleven doors to the outside.
Twelve, if you counted Pete’s door. I always tried to arrange a door of his own for Pete—


ただし欠点があった。この家は、なんと外に通ずるドアが十一もあったのである。
いや、ピートのドアも数に入れれば十二だ。ぼくは、いつもピートに、専用のドアをあてがってやることにしていたのだ。(10/4705)


扉の数は12なので、月に対応していると思われます。

Pete usually used his own door except when he could bully me into opening a people door for him, which he preferred. But he would not use his door when there was snow on the ground.
わがピートは、人間用のドアをあけろとせがむ場合には、遠慮会釈なくぼくの手を煩わせたが、それ以外は、ふつうこの自分用のドアを用いた。ただし、地上に雪の積もっているあいだは、絶対に自分のドアを使おうとはしなかった。(22/4705)

people doorは「平民用ドア」です。猫は貴族で人間は平民なのです。福島氏は猫好きではないのでしょう。貴族、平民、mass man大衆人(ホセ・オルテガ・イ・ガセット大衆の反逆』)と出てきましたが、貴族用ドアは夏への扉ではないので、猫もチャンスに賭けていることがわかります。peopleは全部で65回出てきますが、上で引用した

But people forget—especially those who ought to know better, such as yourself—that while the laws of statistics tell you how unlikely a particular coincidence is, they state just as firmly that coincidences *do happen*. 


ここで受けています。貴族は起きそうもない偶然が起きることを知っているのです。マイルズ・ジェントリィは「ジェントリ(イギリスにおける下級地主層の総称)から何マイルも離れた」、ベル・ダーキンは「暗黒美女」(仏語belle)、Twitchell博士はnooseやpluckでしょう。

Definition of twitchel (Entry 2 of 3)
dialectal, England
: NOOSE, TWITCH




noose
2可算名詞 《戯言》 (夫婦などの)きずな.
the noose of marriage 結婚のきずな.




twitch
: PULL, PLUCK
twitched at my sleeve




pluck
動詞
2 《文語・詩》
a〈花・果物などを〉摘む.
b〔+間接目的語+直接目的語 / +目的語+for+(代)名詞〕〈人に〉〈花・果物などを〉摘んであげる; 〔人に〕〈花・果物などを〉摘んであげる.
She plucked me a flower.=She plucked a flower for me. 彼女は私に花を摘んでくれた.
名詞
2 不可算名詞 勇気,元気.


peopleは興味深い単語で



people (n.)
c. 1300, peple, "humans, persons in general, men and women," from Anglo-French peple, people, Old French pople, peupel "people, population, crowd; mankind, humanity," from Latin populus "a people, nation; body of citizens; a multitude, crowd, throng," a word of unknown origin. Based on Italic cognates and derivatives such as populari "to lay waste, ravage, plunder, pillage," Populonia, a surname of Juno, literally "she who protects against devastation," the Proto-Italic root is said to mean "army" [de Vaan]. An Etruscan origin also has been proposed. The Latin word also is the source of Spanish pueblo, Italian popolo. In English, it displaced native folk.

Sense of "Some unspecified persons" is from c. 1300. Meaning "body of persons comprising a community" is by mid-14c. (late 13c. in Anglo-French); the meaning "common people, masses" (as distinguished from the nobility) is from late 13c. The meaning "members of one's family, tribe, or clan" is from late 14c.

The word was adopted after c. 1920 by Communist totalitarian states, according to their opponents to give a spurious sense of populism to their governments. It is based on the political sense of the word, "the whole body of enfranchised citizens (considered as the sovereign source of government power," attested from 1640s. This also is the sense in the legal phrase The People vs., in U.S. cases of prosecution under certain laws (1801).

The people are the only censors of their governors: and even their errors will tend to keep these to the true principles of their institution. To punish these errors too severely would be to suppress the only safeguard of the public liberty. The way to prevent these irregular interpositions of the people is to give them full information of their affairs thro’ the channel of the public papers, and to contrive that those papers should penetrate the whole mass of the people. [Jefferson to Edward Carrington, Jan. 16, 1787]

People of the Book "those whose religion entails adherence to a book of divine revelation" (1834) translates Arabic Ahl al-Kitab. 


語源をたどれば女神ユーノーの名でもあります。ハインラインはかなりの教養人です。

ユーノー(ラテン語: Juno、古典綴:IV́NÓ)は、ローマ神話で女性の結婚生活を守護する女神で、主に結婚、出産を司る。また、女性の守護神であるため月とも関係がある[1]。主神ユーピテルの妻であり、ローマ最大の女神である[1]。神権を象徴する美しい冠をかぶった荘厳な姿で描かれ、孔雀がその聖鳥。女性的気質の神格化である。ギリシア神話のヘーラーと同一視される。
英語ではジューノウ (Juno) 、フランス語ではジュノン (Junon) 。日本語ではユノ、ユノー、ジュノーなどともカナ表記する。
ユーピテル、ミネルウァと共に3柱1組でカピトーリウムの丘の神殿で崇拝されている。
古代ローマのユーノーの祭としては3月1日のマートローナーリア (Matronalia) や7月7日のノーナエ・カプローティーナエ (Nonae Caprotinae) があったが、現在では6月の女神として知られる。ヨーロッパの言語で6月を表す Giugno, Juin, June などはユーノーに由来する。また、「6月の花嫁(ジューン・ブライド)」は、6月に結婚することで花嫁にユーノーの加護を期待する風習である。


『夏への扉』の夏とは6月のことでした。

神話
サートゥルヌスの娘で、ユーピテルとの間にウゥルカーヌスとユウェンタースを産んだ。花の女神フローラからもらった魔法の花に触れて妊娠し戦いの神マールスを単独で産んだ。

Twitchell博士はなんと女神フローラでした。リッキィも最後に妊娠したことがあかされます。マールスの双子の子がローマ建国の英雄ロムルスとレムスです。

添え名
ユーノーは様々な添え名と側面を持ち、崇拝されている。
ユーノー・モネータ(Juno Moneta)
忠告のユーノー。ガリア人のローマ侵入を神殿で飼われていたガチョウが告げたため「忠告する」という名を付された。紀元前345年に建設されたユーノー・モネータの神殿では後に貨幣の鋳造が行われた。
ユーノー・ルーキーナ(Juno Lucina)
出産のユーノー。ルーキーナと同じく、ローマ人では「子どもを光明の中へ出す女神」とも称される。
ユーノー・レーギーナ(Juno Regina)
女王のユーノー。ユーピテルの妻にして、通常「神々の女王」とも呼ばれる。
ユーノー・フォルトゥーナ(Juno Fortuna
運命のユーノー。
ユーノー・カプローティーナ(Juno Caprotina)
豊穣・多産のユーノー。
ユーノー・ソスピタ(Juno Sospita)
救済・守護のユーノー。
ユーノー・ナーターリス(Juno Natalis)
誕生日のユーノー。
ユーノー・ユガ(Juno Juga)
結びのユーノー。


fortuneには「財産」という意味もあります。birthdayという単語はリッキィの誕生日として3回出てきますが、その日に株式を彼女名義に変更するよう銀行に手紙を書いています。

peopleの語源に出てくるJeffersonは米国の第3代大統領、トーマス・ジェファーソンです。

トーマス・ジェファーソン(トマス・ジェファソン、英: Thomas Jefferson、1743年4月2日(ユリウス暦)/4月13日(グレゴリオ暦[注 1]) - 1826年7月4日)は、アメリカ合衆国の政治家。第3代アメリカ合衆国大統領(1801年 - 1809年)で、「アメリカ独立宣言」の起草者のひとりである


生い立ちと教育
ジェファーソンは1743年4月2日に[注 1]、ピーター・ジェファーソン(1708年3月29日 - 1757年8月17日)およびジェーン・ランドルフ(1720年2月20日 - 1776年3月31日)の息子としてバージニア植民地に生まれた。両親は共にバージニア入植者の古い家系の出であり、バージニア植民地でも最も著名な人々と密接に関わりのある家庭だった。10人兄弟の3番目であり、兄弟のうち2人は夭折した[4]。母は、船長であり農園主を兼ねていたアイシャム・ランドルフの娘であり、ペイトン・ランドルフの従姉妹かつ富裕なイギリス系ジェントリの孫娘だった。父はアルベマール郡(シャドウェル、当時はエッジヒル)で農園主と測量士をしていたウェールズ人の子孫だった。父の古くからの友人であるウィリアム・ランドルフ大佐が1745年に死んだ時、父は遺言執行人となり、タッカホーにあったランドルフの地所と遺児のトマス・マン・ランドルフ・ジュニアの面倒を見た。この年ジェファーソン家はタッカホーに移転し、そこで7年間過ごした後にアルベマールの自宅に戻った。父はその後当時の重要な地位である郡の大佐の位に指名された[5]。


そして一九七〇年十二月三日、かくいうぼくも夏への扉を探していた。(26/4705)

1800年12月3日はジェファーソンが大統領に選出された日です。

時として「1800年の革命」とも呼ばれ、トーマス・ジェファーソンがジョン・アダムズを破った選挙である。この結果で民主共和党が支配する時代となり、連邦党の時代は終わりを告げた。


リッキィの本名はフレデリカ・バージニア・ハイニケで、ハインラインの妻からバージニアの名前を取ったと言われていますが、ジェファーソンからも取っているでしょう。猫の名前もジェファーソンの父親からでしょう。

Edward Carringtonは独立戦争を戦った軍人、のちに政治家です。

Edward Carrington (February 11, 1748 – October 28, 1810) was an American soldier and statesman from Virginia. During the American Revolutionary War he became a lieutenant colonel of artillery in the Continental Army. He distinguished himself as quartermaster general in General Nathanael Greene’s southern campaign. He commanded artillery at Monmouth and Yorktown. He was also present at Cowpens, Guilford Court House, and Hobkirk's Hill. During the war he became a close friend of George Washington. Carrington served in the 3rd Continental Congress and was the first US Marshal appointed from his state. He was an original member of the Society of the Cincinnati.


探検家ダニエル・ブーンとは同時代人です。

While still a kitten, all fluff and buzzes, Pete had worked out a simple philosophy. I was in charge of quarters, rations, and weather; he was in charge of everything else. But he held me especially responsible for weather.


ふわふわの綿毛のような仔猫時代から、ピートはきわめて単純明快な哲学を編みだしていた。住居と食と天気の世話はぼく任せ、それ以外のいっさいは自分持ちという哲学である。(22/4705)

peopleの語源にarmyの意味がありましたが、quarterは「宿営」、rationは「糧食」で、どちらも軍隊用語です。古代ローマでは貴族は戦争では率先して危険に赴きました。猫も危険な仕事は自分がやり、安全な仕事は主人公に任せたのです。

こういったことを念頭に置けば、2000年世界の描写も味わい深いものになります。

But some of the news items missed me completely. The “wogglies” were still spreading and three more French towns had been evacuated; the King was considering ordering the area dusted. King? Oh well, French politics might turn up anything, but what was this “Poudre Sanitaire” they were considering using on the “wogglies”?—whatever they were. Radioactive, maybe? I hoped they picked a dead calm day…preferably the thirtieth of February. I had had a radiation overdose myself once, through a mistake by a damn-fool WAC technician at Sandia. I had not reached the point-of-no-return vomiting stage, but I don’t recommend a diet of curies.
たとえば、フランスでは、"ウォグリー"がいまだに蔓延中で、三つの街が放棄された。"王"はこの地区を清掃する命令を出すことを考慮中であるというのがある。王とはなんだ?それは、フランス政界のことだから、どんな政変が起きるか知れたものでない、いまごろ王が出てきてもおかしくないのかもしれないが、それはいいとして、彼らがその"ウォグリー"を鎮めるために沈めるために使用を考慮中の"保健パウダー"とはいったいなんだろう?放射能灰だろうか?使うなら使ってもいいが、できるだけ風のない穏やかな日、望むらくは二月三十日かなにかを選んでやってもらいたいものだ。ぼくも一度サンディアにいたとき、放射性物質を、婦人部隊所属のボンクラのとんでもない過失から許容量以上に飲んでしまったことがある。さいわい、逝きて再び帰らざるのポイントは越さずにすんだが、あまりお奨めはできない療法だった。(1889/4705)

「療法」はcureと間違えたのでしょう。vomitは「吐く」、curiesは放射能量の単位「キュリー」なので、diet of curiesは「放射能ダイエット」ですが、curiesはcuriaとのダジャレで「男だけの国会」という意味もあり、それは願い下げだと言っています。

クリア(ラテン語: curiae、英語: curia、民団)は、古代ローマにおける市民団区分の一つ。男子集会所(メンズハウス)に起源を持つ、きわめて古い社会団体の遺制と考えられる[1]。クリアはローマ都市の発展とともにトリブス(部族)の地域的小区分となり、その下部にゲンス(氏族)区分を含む、行政単位と祭儀的機能をもつ制度となった。クリアは古代ギリシアのフラトリア(兄弟団)に対応する。


ちなみに米国初の女性下院議員はジャネット・ランキンです。

ジャネット・ピカリング・ランキン (英語: Jeannette Pickering Rankin, 1880年6月11日 - 1973年5月18日) は、アメリカ合衆国の政治家。史上初の女性アメリカ下院議員。生涯を通じて平和主義者として活動し、アメリカ合衆国が第一次・第二次大戦に参戦することに対して、ただ一人両方に反対したことで知られ、ベトナム戦争での反戦活動の先頭にも立った。


"wogglies"はwoggleかと思います。ボーイ・ガールスカウトが王政に抵抗しているのでしょう。

A woggle is a device to fasten the neckerchief, or scarf, worn as part of the Scout or Girl Guides uniform, originated by a Scout in the 1920s.


“Poudre Sanitaire”はゾンビドラッグのパウダー版でしょう。

実際にゾンビを作るにあたって、ゾンビ・パウダーというものが使用される。


But while I was awake, part of me was dead. I know now what they used on me: the “zombie” drug, Uncle Sam’s answer to brainwashing. So far as I know, we never used it on a prisoner, but the boys whipped it up in the investigation of brainwashing and there it was, illegal but very effective. It’s the same stuff they now use in one-day psychoanalysis, but I believe it takes a court order to permit even a psychiatrist to use it.


だが、意識を取りもどしたとき、ぼくの一部が死んでいたのだ。いまにして思えば、ベルが使ったものの正体は、ゾンビ・ドラッグの一種だったのだろう。ゾンビ・ドラッグ、すなわち、一種の催眠自白強制罪で、洗脳に対する対抗策として、米国政府の用いた薬品である。これを注射されるとその人間は一種の催眠状態に陥り、どんなことでもすらすらと白状してしまうのだ。その後、ひところ、精神分析医が治療の目的でこれを用いていたが、使用制限はきわめて厳しく、その場合でも、裁判所の許可が必要とされていたはずだった。(1348/4705)

さて、主人公が2001年に目覚めるのは4月27日です。

「ぼくの場合は原則のくそもない。ぼくの場合は、正確に、二〇〇一年四月二十七日が蘇生日程だ。もちろん、ミュチュアル生命でそれができないというんなら、セントラル・ヴァレーへ行くよ。ねえミスタ・パウエル、ぼくは客だよ。きみは売り手だ。きみがぼくのいうとおりで売れないんなら、ぼくはぼくの注文どおりで売ってくれるところへ行くまでだ。」(4275/4705)

ピートと一冬過ごしたのはコネチカットです。

六週間戦争のはじまる少しまえのひと冬、ぼくとぼくの牡猫、護民官ペトロニウスとは、コネチカット州のある古ぼけた農家に住んでいた。


はたして、1777年4月27日は米国のコネチカットで独立戦争のリッジフィールドの戦いが起きた日です。

リッジフィールドの戦い(英: Battle of Ridgefield)は、アメリカ独立戦争の1777年4月に、大陸軍とイギリス軍の間で行われた戦闘と一連の小競り合いの総称である。主たる戦闘は4月27日にコネチカットのリッジフィールド村で行われ、翌日にはリッジフィールドと現在のウェストポートに近い海岸線との間で小競り合いが起こった。


主人公はリッキィ=女神ユーノーとともに21世紀で独立戦争をしかけるつもりなのです。独立宣言は前年の1776年7月4日なので、「夏への扉」の「夏」はやはり6月でしょう。

💛

原文にはthe Door into Summerが4回、my Door into Summerが2回、its(of Pete's soul) Door into Summerが1回、the door to summerが1回出てきます。

But he never gave up his search for the Door into Summer. On 3 December 1970, I was looking for it too.
My quest was about as hopeless as Pete’s had been in a Connecticut January. What little snow there was in southern California was kept on mountains for skiers, not in downtown Los Angeles—the stuff probably couldn’t have pushed through the smog anyway. But the winter weather was in my heart.
I was not in bad health (aside from a cumulative hangover), I was still on the right side of thirty by a few days, and I was far from being broke. No police were looking for me, nor any husbands, nor any process servers; there was nothing wrong that a slight case of amnesia would not have cured. But there was winter in my heart and I was looking for the door to summer.
If I sound like a man with an acute case of self-pity, you are correct. There must have been well over two billion people on this planet in worse shape than I was. Nevertheless, I was looking for the Door into Summer.


だが彼は、どんなにこれを繰り返そうと、夏への扉を探すのを、決して諦めようとはしなかった。
そして一九七〇年十二月三日、かくいうぼくも夏への扉を探していた。
ぼくの場合のそれも、コネチカットの一月にピートが夏を求めたのと、いずれ劣らぬはかない望みだった。南カリフォルニアの雪は貧しくて、わずかに山々の峰にスキーヤーのための積雪があるばかり、ロサンゼルスの下町では白いものさえ見られなかった。たぶん、スモッグを押しのけられなかったのだろう。だが、冬はぼくの心の中にあったのだ。
ぼくは健康を害してもいず(慢性の二日酔いは別として)、あと数日間は年も三十のこちら側なら、無一文の貧乏人ではさらになかった。警察に追われる身でもなく、人妻を寝とってその夫につけまわされてもいなければ、裁判所の執行官から逃げまわっていたわけでもない。軽微なもの忘れの気味はあれ、不治の記憶喪失症などにもかかっていなかった。にもかかわらずぼくの心には冬が住まって、ぼくはひたすら夏への扉を探し求めていたのである。
もしぼくが、かなり強度の自嘲症にかかっていると見るなら、それは正しい。この地球上には、ぼくより不遇な人間は二十億人はいたはずだ。にもかかわらず、ぼくはひたすら、夏への扉を探していたのである。
(40/4705)
there was nothing wrong that a slight case of amnesia would not have cured.
軽微なもの忘れの気味はあれ、不治の記憶喪失症などにもかかっていなかった。


訳者がexceptを補ってしまったようですが、いずれにしろ仮定法なので「もの忘れの気味はあれ」はありません。「軽いもの忘れが治らなかった、というようなこともなかった」です。ここは原文最後の単語であるrightとかかっています。(the door) to summerには動詞の「夏を過ごす」という意味があり、かけことばになっています。この時点では未来に逃げようとしていたということであり、ここ以外ではsummerとSummerは別物だという含みもあります。

もしぼくが、かなり強度の自嘲症にかかっていると見るなら、それは正しい。この地球上には、ぼくより不遇な人間は二十億人はいたはずだ。


1955年の世界人口は28億人ですが、1970年にはそこからさえ減ったということです。

I thought about it. It was an impossible situation. The man had a right to know. But he certainly would not believe the truth…at least I would not have in his shoes. But it would be worse if he did believe me; it would kick up the very hoorah that I did not want. I suppose that if I had been a real, honest, legitimate time traveler, engaged in scientific research, I would have sought publicity, brought along indisputable proof, and invited tests by scientists.
But I wasn’t; I was a private and somewhat shady citizen, engaged in hanky-panky I didn’t want to call attention to. I was simply looking for my Door into Summer, as quietly as possible.


ぼくは考えこんだ。のっぴきならない立場だった。この男には知る権利がある。しかし、たとえ真実を話しても、信じてもらえそうもない。少なくとも、もしぼくが彼だったら信じやしない。しかし、もし信じてもらえたらいっそう面倒なことになる。ぼくのもっとも歓迎しない大騒ぎがもちあがること必定なのだ。もちろん、もしぼくが合法的な時間旅行者で、科学の探求に精進する学究の徒であれば、そうした公表を歓迎もし、議論の余地ない証拠を提出して、科学者たちの望むテストをすすんで受けるなどするところだろう。
だがぼくはそうでない。ぼくは一個人の資格で、しかも若干うしろ暗いところのある密航者だ。他人の注意をひくことは、むしろまったく不本意なのだ。ぼくはぼくの夏への扉をなし得るかぎりひそやかに探し出したいと念願していたのだ。(3602/4705)

「自分は未来から来た」という話をサットン夫妻にするところです。ヌーディストクラブの敷地内なので客観的には服を着ている主人公のほうがin hanky-panky性的にいかがわしく、ここでの「夏への扉」はピンチを切り抜けることです。

MY DREAMS WERE pleasanter this time. The only bad one I remember was not too bad, but simply endless frustration. It was a cold dream in which I wandered shivering through branching corridors, trying every door I came to, thinking that the next one would surely be the Door into Summer, with Ricky waiting on the other side.


夢はこんどもやはり見た。だが、前に比べてこんどのは、ずっと愉しい夢だった。ただひとつ、記憶に残った悪夢にしても、耐えがたいほどのものではなかった。ただ、果てしない失望の夢だった寒い冷たい夢の中でぼくはがたがた震えながら、幾重にも曲がりくねった暗い廊下を、出くわす扉という扉ひとつ残らず開いてみては、この扉こそ、いやこのつぎこそ夏への扉、リッキーの待っているあの暖かい扉だと、ひたすら思いつづけていた。(4288/4705)

これはコールドスリープ中です。前に見た夢というのは

もしリッキーが金持ちになっていたら、一杯奢らせて、世を去った哀れなわがピートのために献杯することにしよう。もしまた、なにかがまずくいって、あの株を持っていたにもかかわらず貧乏をしているとしたら、そのときは――そうだ、それこそ彼女と結婚してやろう!そうとも、結婚するともさ!十歳やそこらぼくより年上だろうと、そんなことは問題じゃない。むしろ、ぼくのふらふらした人生記録のぶざまさを考えてみると、ぼくには、誰かぼくの世話を焼いてくれる女――必要なときはぼくのために"ノー"といってくれる年上の女が必要なのだ。そして、リッキーなら、その役には打ってつけだ。十歳にもならないうちから、小さな女の子の真剣さで、マイルズの身のまわりのことから家事いっさいをきりまわしてきたリッキーだ。四十のリッキーも、もちろん同じ働き者だろう。いや、年を取っただけに、酸いも甘いも嚙みわけた、優しい女性になっていよう。
(略)
いい切ると同時に、ぼくは、リッキーとピートを、二人とも永遠に失ってしまったことを、改めてひしひしと思い知らされたのだった。ぼくは陰気な気分になった。そして、ぼくは、そのまま、ビーバー・ロボットが昼食を持ってきて起こしてくれるまで、新聞の上にもたれてぐっすりと眠りこんでしまった。
ぼくは奇妙な夢を見た。夢の中でぼくはリッキーの腕に抱かれ、彼女のおしゃべりに耳を傾けていた。「大丈夫よ、ダニーおじさん。あたしはピートを見つけたのよ。それ以来、ずっとここにいるの。そうだったわね、ピート?」
「ミャアーオ」(1917/4705)

2000年に目覚めて新聞を読んだときに見たものです。主人公はロリコンではなくマザコンなのです。

While I was asleep I dreamed that Ricky was holding me on her lap and saying, “It’s all right, Danny. I found Pete and now we’re both here to stay. Isn’t that so, Pete?”
“ YEEEOW!”


リッキィの「腕」ではなく「膝lap」なんですけども。主人公がピートになってリッキィの膝に抱かれてるんですけども。最後にlapはまた出てくるんですけども。

But I’m not worried about “paradoxes” or “causing anachronisms”—if a thirtieth-century engineer does smooth out the bugs and then sets up transfer stations and trade, it will be because the Builder designed the universe that way. He gave us eyes, two hands, a brain; anything we do with them can’t be a paradox. He doesn’t need busybodies to “enforce” His laws; they enforce themselves. There are no miracles and the word “anachronism” is a semantic blank.
しかしぼくは、時間の"パラドックス"とか、"時代錯誤"をひきおこすことを、心配などはしない。もしも、三十世紀の技術者がタイムマシンの欠陥を克服して、時間ステーションを設け時間貿易をするようになれば、それは当然おこってくる。世界の造物主が、この世界をそんなふうに造ったのだから、仕方がないのだ。造物主は、われわれに目を、二本の腕を、そして頭脳を与え給もうた。その目と、手と、頭脳とでわれわれのやることに、"パラドックス"などあり得ない。造物主は、その法則を施行するのに、お節介な人間など必要としないのだ。法則は、自らそれ自体を施行する。この世には奇跡などないのだし、"時代錯誤"ということは、語義学的には、なんの意味も持っていないのである。(4439/4705)


ここはダジャレのオンパレードです。"causing anachronisms"は引用符がついているので「因果を起こす時間逆行」です。busybodiesはeyes, two hands, a brainと対比されており、目や手や頭を使わない人=セックスしかしない人=バカ=mass manのことです。His laws=divinityです。バカが子供だけ作るというのはdivinityではないのです。they enforce themselvesは「バカどもは自らを服従させる」です。thereもbusybodiesであって「この世」ではありません。奇跡はあるに決まっているのです。

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奇跡も、魔法も、あるんだよ

さやかがめずらしく本当のことを言っています。『劇場版魔法少女まどか☆マギカ』では、本物の奇跡や魔法は

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これひとつだけなのです。

the wordは全部で9回出てきますが、busybodiesにとっての"anachronism"だから、ここではthe Wordを指すと思われます。semantic blankは

Free will and predestination in one sentence and both true. 


このsentenceを受けており、「バカどもには奇跡も自由意志も神意も結婚もない」という意味です。

But I don’t worry about philosophy any more than Pete does. Whatever the truth about this world, I like it. I’ve found my Door into Summer and I would not time-travel again for fear of getting off at the wrong station. Maybe my son will, but if he does I will urge him to go forward, not back. “Back” is for emergencies; the future is better than the past. Despite the crepehangers, romanticists, and anti-intellectuals, the world steadily grows better because the human mind, applying itself to environment, *makes* it better. With hands…with tools…with horse sense and science and engineering.
しかし、ぼくは、ピートに劣らず、こんな哲学には縁がない。この世の真理がどうであろうと、ぼくは現在をこよなく愛してるし、ぼくの夏への扉はもう見つかった。もしぼくの息子の時代になってタイムマシンが完成したら、あるいは息子が行きたがるかもしれない。その場合には、だめだとはいわないが、けっして過去へは行くなといおう。過去は非常の場合だけだ。そして未来は、いずれにしろ過去にまさる。誰がなんといおうと、世界は日に日に良くなりつつあるのだ。人間精神が、その環境に順応して徐々に環境に働きかけ、両手で、機械で、かんで、科学と技術で、新しい、よりよい世界を築いていくのだ。


また勝手に削ってるし。

しかしぼくは、ピート以上に哲学にわずらいはしない。この世界の真実がいかなるものであっても、ぼくはそれがいい。ぼくはぼくの「夏への扉」を見つけたし、間違ったステーションで降りることを恐れるあまり(の)タイムトラベルをすることは二度とないだろう。

こんなカンジです。But I'm not worried aboutとBut I don't worry aboutがかかっており、二つ目のbutは受動態ではなく能動態だということです。not ~ any more thanは「…でないのは…でないと同じ」という熟語ですが、ピートは哲学を持っているのでここでは不適当です。

ふわふわの綿毛のような仔猫時代から、ピートはきわめて単純明快な哲学を編みだしていた。住居と食と天気の世話はぼく任せ、それ以外のいっさいは自分持ちという哲学である。(22/4705)
“Here’s to the female race, Pete— find ’em and forget ’em!”
He nodded; it matched his own philosophy perfectly. He bent his head daintily and started lapping up ginger ale. “If you can, that is,” I added, and took a deep swig. Pete did not answer. Forgetting a female was no effort to him; he was the natural-born bachelor type.

「世の女とメスのために乾杯!女なんかにクヨクヨするな!」
ピートはうなずいた。それは彼の哲学と完全に一致していたのである。彼は頭を優雅に垂れ、すぐにジンジャーエールをピチャピチャやりだした。
「できればの話だがね、ピート」といい添えて、ぼくもガブリとひとくち飲んだ。ピートは答えもしなかったが、メスにクヨクヨしないことなんぞ、彼にとってはなんの造作もなかったのだ。彼は天性の独身者タイプだったのである。(62/4705)
“If you can, that is,” I added, and took a deep swig.
「おまえもできればこうやりたいんだろう」ぼくはつけ加え、(スコッチを)一気に飲み干した。

これが正しい。哲学の話をしているのだからbachelorは「学士」に決まっています。つまり「しかしぼくは、ピート以上に哲学にわずらいはしない」は「結構わずらう」のです。

Whatever the truth about this world, I like it.

it=truthとするとI like itそうあるよう望む=amenですが、it=philosophyでもあり、知性ある人間が哲学を好むのは当然なのです。

Maybe my son will, but if he does I will urge him to go forward, not back. “Back” is for emergencies;
もしぼくの息子の時代になってタイムマシンが完成したら、あるいは息子が行きたがるかもしれない。その場合には、だめだとはいわないが、けっして過去へは行くなといおう。過去は非常の場合だけだ。

タイムマシンうんぬんは訳者が勝手につけ加えたものです。ここは前に向かって進むという一般論です。トウィッチェル博士のタイムマシンは過去に飛ぶのか未来に飛ぶのかわからないし、欠陥を克服できたとしても、それはリッキィが妊娠中の息子の時代ではなく30世紀のことなのです。

Despite the crepehangers, romanticists, and anti-intellectuals,
誰がなんといおうと、

crephehangerは悲観主義者、romanticistsはロマン主義者ですが、anti-intellectualsは反知性主義者ではありません。知性に反する連中のことで、要するにインテリのことです。ハインラインは反知性主義者です。

反知性主義(はんちせいしゅぎ、英語: Anti-intellectualism)とは、知的権威やエリート主義に対して懐疑的な立場をとる主義・思想[1][2]。言葉自体は、1950年代のアメリカ合衆国で登場したとされ[3]、その後リチャード・ホフスタッターが1963年に『アメリカの反知性主義(英語版)』で示したものが知られる[4]。
一般には「データやエビデンスよりも肉体感覚やプリミティブな感情を基準に物事を判断すること(人)」を指す言葉として思われているが、実際にはもっと多義的な観点を含む[4][5]。また、その言葉のイメージから、単なる衆愚批判における文脈上の用語と取られることも多いが、必ずしもネガティブな言葉ではなく、ホフスタッターは真っ当な民主主義における「必要な要素としての一面」も論じている[4]。むしろ、知的権威・エリート側の問題を考えるために、反知性主義に立脚した視点も重要だとも説く[6][4]。知性と権力が結びつくことへの、大衆の反感が反知性主義の原動力にあり[2]、反知性主義が否定するのは「知性」自体ではなく「知性主義」、すなわち「反・知性」の主義思想ではなく、「反・知性主義」の主義思想なのである[7]。

makes it betterは未来をよくする、あるいは「物事をよくする」という一般論です。the worldはdivinityなので、人間が直接よくすることはできません。また主人公が未来がよいものになることを信じているのは、それがdivinityだからです。

Most of these long-haired belittlers can’t drive a nail nor use a slide rule. I’d like to invite them into Dr. Twitchell’s cage and ship them back to the twelfth century—then let them enjoy it.
世の中には、いたずらに過去を懐かしがる気取り屋どもがいる。そんな連中は、釘ひとつ打てないし、計算尺ひとつ使えない。ぼくは、できれば、連中を、トウィッチェル博士のタイムマシンのテスト台にほうりこんで、十二世紀あたりへぶっとばしてやるといいと思う。

these long-haired belittlers=the crepehangers, romanticists, and anti-intellectualsです。

Definition of longhair
1: an impractical intellectual



belittle
1a〈…を〉見くびる,けなす.
2〈…を〉小さくする[見せる].
[BE‐+LITTLE]


反知性主義者は頭がいいので、科学や技術に長けているだけでなく、intellectualsがコロッとだまされる文学作品も書けるのです。

オルテガの思想は、「生の理性 (razón vital)」をめぐって形成されている。「生の理性」とは、個々人の限られた「生」を媒介し統合して、より普遍的なものへと高めていくような理性のことである。
オルテガは、みずからの思想を体系的に構築しようとはせず、「明示的論証なき学問」と呼んだエッセイや、ジャーナリズムに発表した啓蒙的な論説や、一般市民を対象とした公開講義などによって、自己の思想を表現した。
オルテガの関心は、形而上学にとどまらず、文明論や国家論、文学や美術など多岐にわたり、著述をおこなった。
彼の定義によれば、大衆とは、「ただ欲求のみを持っており、自分には権利だけあると考え、義務を持っているなどとは考えもしない」、つまり、「みずからに義務を課す高貴さを欠いた人間である」という。
また、近代化に伴い新たにエリート層として台頭し始めた専門家層、とくに「科学者」に対し、「近代の原始人、近代の野蛮人」と激しい批判を加えている。
20世紀に台頭したボリシェヴィズム(マルクス・レーニン主義)とファシズムを「野蛮状態への後退」、「原始主義」として批判した。特にボリシェヴィズム、ロシア革命に対しては、「人間的な生のはじまりとは逆なのである」と述べている。
自由主義を理論的・科学的真理ではなく、「運命の真理」であるとして擁護している。
保守主義者と評されることもある。日本では西部邁が影響を受け、しばしばオルテガの発言を引用している。


drive a nailは「爪を駆使する」つまりピートのことです。slide ruleは計算尺ですが、ここでは扉のslide開けかたのruleのことです。

Definition of door
1 : a usually swinging or sliding barrier by which an entry is closed and opened
also : a similar part of a piece of furniture
2 : DOORWAY
3 : a means of access or participation : OPPORTUNITY
opens new doors
door to success
4 doors plural : the designated time at which the doors at a performance venue (such as a theater) are opened to admit attendees
Doors are at 8, and music starts with Garrett Owen's set at 9pm.
— Steve Steward
at one's door
: as a charge against one as being responsible
laid the blame at our door


Definition of rule (Entry 1 of 2)
1 a: a prescribed guide for conduct or action
b: the laws or regulations prescribed by the founder of a religious order for observance by its members
c: an accepted procedure, custom, or habit
d(1): a usually written order or direction made by a court regulating court practice or the action of parties
(2): a legal precept or doctrine
e: a regulation or bylaw governing procedure or controlling conduct
2 a(1): a usually valid generalization
(2): a generally prevailing quality, state, or mode
fair weather was the rule yesterday
— The New York Times
b: a standard of judgment : CRITERION
c: a regulating principle
d: a determinate method for performing a mathematical operation and obtaining a certain result
3 a: the exercise of authority or control : DOMINION
b: a period during which a specified ruler or government exercises control
4 a: a strip of material marked off in units used especially for measuring : RULER sense 3, TAPE MEASURE
b: a metal strip with a type-high face that prints a linear design
also : a linear design produced by or as if by such a strip


You’re allowed to do anything inside the rules…but you come back to your own door.


lawよりもruleが重んじられていますが、ノモスピュシスに対応するのでしょう。

ノモス(古希: νόμος, pl.: νόμοι, 古代ギリシア語ラテン翻字: nomos)は、古代ギリシアにおいて用いられた社会概念で、法律、礼法、習慣、掟、伝統文化といった規範を指した。語源は「分配する」を意味する動詞のnemeinで、ノモス本来の原義は「定められた分け前」である。そこからポリス社会が氏族制をとった古い時代には「神々・父祖伝来の伝統によって必然的に定められた行動規範」と認識されていた。[1][2]


古代ギリシアでは「φύσις ピュシス(自然)」は世界の根源とされ、絶対的な存在として把握された。
対立概念にノモス(法や社会制度)があり、ノモスはピュシスのような絶対的な存在ではなく、相対的な存在であり、人為的なものであるがゆえ、変更可能であると考えられた。フェリクス・ハイニマン(ドイツ語版)は、古代ギリシア人の思考方法の特徴のひとつにこのような対立的な思考(アンチテーゼ)がある、とし、このピュシス/ノモスの対立を根本的なものとした[1]。またこの対立はパルメニデスのドクサ(臆見)とアレーテイア(真理)の対立の変形としてエレア派が行ったともいわれる[2]。
古代ギリシア語における「φύσις ピュシス」の意味は「生じる」「成長する」といった意味をもっていた[3]。またソフォクレスやエウリピデスの語法では「誕生」「素性」あるいは「天性」という意味がある[4]。エウリピデスの語法には「たとい奴隷の子であれ、ピュシスに関して勇敢で正しいものの方が、むなしい評判(ドクサスマ)だけのものより高貴な生まれのものだ」(『縛られたメラニッペ』断片495,41)などがある[5]。
このような古代ギリシアにおける自然・文化・社会との分割が、のちのローマやヨーロッパの思想史のなかでの議論の基盤のひとつとなった。
紀元前4世紀、アリストテレスは、自著『形而上学』において、神学と形而上学を「第一哲学」と位置づけ、自然哲学を「第二哲学」と呼んだ。というのは、自然哲学が、対象としている形相の説明も行っているからであるという[6]。ここにおける「philosophia physiceフィロソフィア・ピュシス」という表現が、古代ギリシャ語文献の中に「自然哲学」という表現が現れた最初のものであるという[7]。


12世紀はインディアンの全盛期です。念のためにつけ加えておくと、ハインラインは勇猛果敢なインディアンに敬意を抱いています。enjoy itは「釘や計算尺をエンジョイする」です。インディアンはどちらも持っていませんが、現代人がはり合うためには必要なものです。トーマス・ジェファーソンの名前は使徒トマスが由来ですが

使徒トマスに関して新約聖書では十二使徒の一人として挙げられるほかは、『ヨハネによる福音書』に以下の記述があるのみである。
『ヨハネによる福音書』では情熱はあるが、イエスの真意を理解せず、少しずれている人物として描かれている(ヨハネ11:16参照)。ヨハネ20:24-29ではイエスが復活したという他の弟子たちの言葉を信じないが、実際にイエスを見て感激し、「私の主、私の神」と言った。またイエスのわき腹の傷に自分の手を差し込んでその身体を確かめたとも。
これを西ヨーロッパでは「疑い深いトマス」と呼ぶ。この故事は後世、仮現説に対し、イエスの身体性を示す箇所としてしばしば参照された。またトマスの言葉はイエスの神性を証するものとして解釈された。そのような解釈では、トマスの言動はイエスが神性・人性の二性をもつことを証ししたと解される。


科学者には懐疑が必要なのです。

But I am not mad at anybody and I like now. Except that Pete is getting older, a little fatter, and not as inclined to choose a younger opponent; all too soon he must take the very Long Sleep. I hope with all my heart that his gallant little soul may find its Door into Summer, where catnip fields abound and tabbies are complacent, and robot opponents are programmed to fight fiercely—but always lose—and people have friendly laps and legs to strop against, but never a foot that kicks.
だが現在、ぼくはだれにも腹を立てていないし、この現在に十二分の満足を感じている。ただひとつの気がかりといえばピートがだいぶ老衰して、少し肥り、若い猫に戦いを挑むことも少なくなってきたことだ。ぼくはやがて彼を、長期の冷凍睡眠に送らなければならないと思っている。再び彼が目覚めるときこそは、勇敢な彼の魂が、求める夏への扉を発見するだろうことをぼくは心の底から願っている。イヌハッカの花咲きみだれ、牝猫が群れ遊んで、闘い甲斐ある闘争用ロボット猫(ただし、最後には必ず負けるように設計してある)がいる――そして、人々は、優しく彼に膝を提供してくれこそすれ、決して蹴飛ばしたりなぐったりはしない世界、十全な平和の世界だ。(4456/4705)


Long Sleep(大文字)は冷凍睡眠ではなく永眠です。「夏への扉」は天国に通じています。Rikki-Tikki-Taviはtabbiesとダジャレです。

Definition of complacent
1 : marked by self-satisfaction especially when accompanied by unawareness of actual dangers or deficiencies : marked by complacency : SELF-SATISFIED
a complacent smile
2 : COMPLAISANT sense 1
complacent flattery
3 : UNCONCERNED




complaisant
音節com・plai・sant 発音記号・読み方/kəmpléɪsnt, ‐znt|‐znt/
形容詞
人を喜ばせる[そうとする], 愛想のいい,人のいい; 親切な.


ピートは哲学者なので牝猫にはunconcerned無関心のほうです。stropは「爪を研ぐ」です。

For old Pete I’ve built a “cat bathroom” to use in bad weather—automatic, self-replenishing, sanitary, and odorless. However, Pete, being a proper cat, prefers to go outdoors, and he has never given up his conviction that if you just try *all* the doors one of them is bound to be the Door into Summer.
You know, I think he is right.


ピートのためには、天気の悪いときに使うようにと思って"猫式トイレ"を作ってやった。全自動式で、自動的に砂が入り清潔で無臭である。ただし、ピーは、どの猫でもそうなように、どうしても戸外へ出たがって仕方がない。彼はいつまでたっても、ドアというドアを試せば、必ずそのひとつは夏に通じるという確信を、棄てようとはしないのだ。
そしてもちろん、ぼくはピートの肩を持つ。(4473/4705)

”猫用トイレ"は“Poudre Sanitaire”とかかっていると思われます。allとoneが対応しており、クジを全部引けばかならずアタリがひとつ入っているという意味です。それにしてもなんですなおに「夏への扉」って訳せないんでしょうね。

You know, I think he is right.

You know that I think he is rightではなくYou know and I think that he is rightです。heはピートと神様の両方です。アーメン。

Definition of right (Entry 1 of 4)
1 : RIGHTEOUS, UPRIGHT
2 : being in accordance with what is just, good, or proper
right conduct
3 : conforming to facts or truth : CORRECT
the right answer
4 : SUITABLE, APPROPRIATE
the right man for the job
5 : STRAIGHT
a right line
6 : GENUINE, REAL
7 a: of, relating to, situated on, or being the side of the body which is away from the side on which the heart is mostly located
b: located nearer to the right hand than to the left
c: located to the right of an observer facing the object specified or directed as the right arm would point when raised out to the side
d(1): located on the right of an observer facing in the same direction as the object specified
stage right
(2): located on the right when facing downstream
the right bank of a river
e: done with the right hand
a right hook to the jaw
8 : having the axis perpendicular to the base
right cone
9 : of, relating to, or constituting the principal or more prominent side of an object
made sure the socks were right side out
10 : acting or judging in accordance with truth or fact
time proved her right
11 a: being in good physical or mental health or order
not in his right mind
b: being in a correct or proper state
put things right
12 : most favorable or desired : PREFERABLE
also : socially acceptable
knew all the right people
13 often capitalized : of, adhering to, or constituted by the Right especially in politics

ピートの天国の話には元ネタがあるのです。ロバート・ブラウニングの詩「The year's at the spring」(春の朝)

    The year's at the spring
   And day's at the morn;
   Morning's at seven;
   The hillside's dew-pearled;
   The lark's on the wing;
   The snail's on the thorn:
   God's in His heaven—
   All's right with the world!


時は春、
日は朝(あした)、
朝は七時(ななとき)、
片岡に露みちて、
揚雲雀(あげひばり)なのりいで、
蝸牛(かたつむり)枝に這ひ、
神、そらに知ろしめす。
すべて世は事も無し。
(上田敏訳)

💛

『夏への扉』はキリスト教の教義とローマ神話にのっとり、かなりのディストピアである大衆人mass manの時代のpeopleが貴族的に生きることを説いています。両方の神様が共存しており、哲学者と科学者もいるので特定の宗教色があるわけではなく、ハインラインの真骨頂だと言えます。これは米国建国の精神、あるいはニーチェやハンナ・アーレントが言う古代ギリシャやローマ的な生きかたです。「バカどもは自らを服従させる」「バカどもには奇跡も自由意志も神意も結婚もない」とオルテガばりの痛快な大衆=専門家知識人批判をしています。『夏への扉』は実にハインラインらしい、はっきりとした思想的な裏づけのある硬派な作品ですが、福島正実氏は本作のテーマをまったく理解しておらず、翻訳は欠陥品です。小尾芙佐訳がよいものであることを切に願います。

13日でこれを書くとはモノホンの天才は違います。

Its title was triggered by a remark which Heinlein's wife Virginia made when their cat refused to leave the house: "He's looking for a door into summer."[1] Heinlein wrote the novel in 13 days.


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