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村上春樹訳、レイモンド・チャンドラー『プレイバック』は三流作家のゴミ訳なのです

怒り狂っていてすっかり書くのを忘れていましたが、村上春樹氏はやればできるはずなのです。

大丈夫です、ありがとう。ちょっと哀しくなっただけだから(It’s all right now, thank you, I only felt lonely, you know.)(村上春樹『ノルウェイの森』)

微妙に変な英語ですが
・It's all rightだがI'm all rightではない
という面白味を「下手な英語」に隠すところや
・I (only felt) / (I only) felt / you know
・you know (me / loneliness)
という多義性と対比があります。自分でやっといてなんで翻訳には注意を払いませんかね。

💛

まずはゆーめーなセリフですが

浴室から出てきたベティーは開いたばかりの薔薇の花のように見えた。化粧は完璧で、瞳は輝いており、髪はあるべき位置にぴたりと収まっていた。
「ホテルに連れて帰ってくれる?クラークに話があるの」
「彼に恋しているのか?」
「私はあなたに恋していたつもりだったんだけど」
「そいつは夜の求めの声だったのさ」と私は言った。「ただそれだけのことにしておこうじゃないか。キッチンにはもっとコーヒーがあるよ」
「いいえ、もうけっこうよ。朝食まではね。あなたはこれまでに恋したことってある?私の言うのは、その人と毎日、毎月、毎年ずっと一緒にいたいと思うくらいってことだけど」
「さあ、もう行こう」
「これほど厳しい心を持った人が、どうしてこれほど優しくなれるのかしら?」彼女は感心したように尋ねた。
厳しい心を持たずに生きのびてはいけない。優しくなれないようなら、生きるに値しない」(3073/3510)
When Betty came out of the bathroom she looked like a fresh-opened rose, her make-up perfect, her eyes shining, every hair exactly in place.
"Will you take me back to the hotel? I want to speak to Clark."
"You in love with him?"
"I thought I was in love with you."
"It was a cry in the night," I said. "Let's not try to make it more than it was. There's more coffee out in the kitchen."
"No, thanks. Not until breakfast. Haven't you ever been in love? I mean enough to want to be with a woman every day, every month, every year?"
"Let's go."
"How can such a hard man be so gentle?" she asked wonderingly.
"If I wasn't hard, I wouldn't be alive. If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive."

他の訳は

しっかりしていなかったら、生きていられない。やさしくなれなかったら、生きている資格がない。(清水俊二訳)
男はタフでなければ生きて行けない。優しくなれなければ生きている資格がない。(生島治郎訳)

です。

hardとgentleはことば遊びになっています。hardは「厳しい」だけでなく、風呂上りの美女を見て「勃〇している」という意味です。

gentle (comparative gentler or more gentle, superlative gentlest or most gentle)
1. Tender and amiable; of a considerate or kindly disposition.
Stuart is a gentle man; he would never hurt you.
2. Soft and mild rather than hard or severe. quotations ▼
I felt something touch my shoulder; it was gentle and a little slimy.
3. Docile and easily managed.
We had a gentle swim in the lake.
a gentle horse
4. Gradual rather than steep or sudden.
The walks in this area have a gentle incline.
5. Polite and respectful rather than rude.
He gave me a gentle reminder that we had to hurry up.
6. (archaic) Well-born; of a good family or respectable birth, though not noble.

gentleにはたくさんの意味があります。この小説では「優しいtender」以外に、hardとの対比でsoft、美女に従順でdocile、すぐ手を出さないからgradual、礼儀正しくpolite、誇り高いからwell-bornと、すべての意味が重ねられており、フィリップ・マーロウの人となりを一単語であらわしています。この多義性が文学の本質なのです。訳すときに一度でも辞書を引けば、気づくと思うんですがね。
矢作俊彦氏は

「タフでなければ生きてはいけない。やさしくなければその資格もない」
私は前回、そう書いた。これは誤訳である。あえて誤訳を書いた。何故なら、今、日本でハードボイルドというとき、それは全く誤訳のコンセンサスを避けて語ることができないからだ。「タフ」も「やさしさ」も月賦屋や工員相手の自動車ディーラーのコマーシャル・コピーに堕している。自分を最も気に入ろうとし、つまり、自分が自分であることを何より誇りとしたハードボイルドのディックたちが「資格」なんておごそかな言葉は舌をかんでも使うまい。資格なんかなくても生きていける。
ハードでなければ生きてはいけない。ジェントルでなければ生きて行く気になれない
これが正解なのだ。(『複雑な彼女と単純な場所』、p.138)

と書きました。ディックには「探偵」以外に「お〇ん〇ん」という意味があります。hardとgentleは本質的に翻訳不可能なのです。

If I wasn't hard, I wouldn't be alive.

は、「湯上りの美女を見て勃〇しないなら、男として生きているとはいえない」という意味なので、矢作氏もちょっと違います。また

If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive.

このeverをみんなスルーしています。たしかに難しいのですが、「生まれてこのかた、これほどまでに」という意味です。
この部分の、日本語はともかく意味的にもっとも正しい訳は

ハードでないとしたら、生きているとはいえない。これほどジェントルになれないとしたら、生きていてよかったとは思えない。

です。マーロウは「いい女と出会えない人生はつまらん、お前は最高の女だ」と言っています。

"How can such a hard man be so gentle?" she asked wonderingly.

ハード&ボイルドな男がいい女の前でgentleになるのは本能なのです。マーロウが感じているのは「生きてるってカンジ」なのです。これも文学の本質なのです。

この場面は冒頭のミス・ヴァーミリアとの会話の再演(プレイバック)になっています。

「あなたに関してひとつ気に入ったところがある。あなたはみだりに人に触ったりしない。そして礼儀正しくもある――ある意味ではね」
「愚かなやり方だ。触るなんてね」
「そしてあなたに関してひとつ好きになれないところがある。なんだかあててごらんなさい」
「すまないが、わからないな。世間には私が生きているというだけで、頭に来る連中もいるみたいだけれど」
「そういうことじゃなく」(80/3510)
"There's one thing I like about you. You don't paw. And you have nice manners-in a way."
"It's a rotten technique-to paw."
"And there's one thing I don't like about you. Guess what it is."
"Sorry. No idea-except that some people hate me for being alive."
"I didn't mean that."

ミス・ヴァーミリアが言うには

There's one thing I like about you. / You don't paw.
And
there's one thing I don't like about you. / Guess what it is.

ですが、上のone thingと下のone thingはおなじものを指します。マーロウがpawしないのが彼女が気に入ったところであり、不満でもあるのです。

2: to feel or touch clumsily, rudely, or sexually

ミス・ヴァーミリアは出会ってすぐ、マリリン・モンローのパクリでマーロウを挑発しています。

「クリスチャン・ディオール」と彼女は言った。私の心を読むのはさぞや簡単だったに違いない。「それしか身につけないの。火をお願いできる?」(39/3510)
"Christian Dior," she said, reading my rather open mind. "I never wear anything else. A light, please."

a lightは煙草の火ですが、いわゆる、キラッ☆となるやつのことでもあります。

ミス・ヴァーミリアは最高級のキャディラックに乗っています。

私は彼女のあとから階段を降り、車のドアを開けてやった。安物の車だった。ただのキャディラック・フリートウッドだ。(81/3510)
I followed her down the steps and opened her car door for her. It was a cheap job, a Fleetwood Cadillac.

1955年型のフリートウッドはこれです。

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cheap jobは(この小説によく出てくる)反語ではなく、ミス・ヴァーミリアのためにドアを開けることです。cheap jobはあとでまた出てきます。

私は頭の中で、ミス・ヴァーミリアを彼女の隣に置いてみた。彼女は決してやわで気取った澄まし屋には見えなかったが、その隣にあっては、かのヴァーミリア嬢はただのお手軽な街の娘だった。(106/3510)
Mentally I put Miss Vermilyea beside her. She didn't look soft or prissy or prudish, but she made the Vermilyea look like a pick-up.

定冠詞のついたthe Vermilyeaは最高級のキャディラック・フリートウッドのことですが、これがピックアップトラックにしか見えないということです。ピックアップトラックの荷台には天井がなく、荷物を簡単に載せることができます。つまりミス・ヴァーミリアはだれでも乗せる、だれとでもヤるという意味です。マーロウがpick upすることと、ミス・ヴァーミリアがpick upすることが多義的ですが、後者がよりおもしろいという意味で正しいです。

けっこう似てますね!

原文にはこの手のエッチなダジャレが頻出しますが、もう一か所だけ挙げると

私は夕刊の早刷りを持ち、その背後に顔を隠して彼女を観察し、彼女についての知識を増やしていった。確かな事実と呼べるほどのものは得られなかったが、それでも暇は潰せる。(156/3510)
I had an early morning edition of the evening paper and behind it I watched her and added up what I had in my head. None of it was solid fact. It just helped to pass the time.

マーロウは美女を盗み見ながらエッチな妄想をしました。お〇ん〇んがsolidになりましたが、妄想なのでfactではありません。とてもいい時間を過ごすことができました。

あと、プレイバックには「バックでヤる」という意味もあります。

💛

村上春樹氏は単純な描写すら理解できません。

そしてボックスのドアを開け放しにしたまま、十セント硬貨を入れ、ゼロを回した。(750/3510)
I left the booth door open and dropped my dime and dialed the big 0.
電話ボックスのドアを押して出て、通りの向かいに目をやった。(796/3510)
I pushed out of the booth and looked across the street.

電話ボックスのドアは開け放しにしていたはずですが?

彼女が煙草を吸う手つきは、喫煙に馴染んでいない人のようにぎこちなかった。そして煙草を吸っているときの彼女の態度は、前と違って見えた。より派手で、タフそうに見えた。まるで何かの目的のために、わざと自分をはすっぱに見せているみたいだった。(169/3510)
She smoked awkwardly as if she wasn't used to it, and while she smoked her attitude seemed to change, to become more flashy and hard, as if she was deliberately vulgarizing herself for some purpose.

ハードとタフのニュアンスは異なるんじゃなかったんですか?

僕の翻訳観からすれば、hardとtoughとではいささかニュアンスが異なるし、(「あとがき」)
この街には階級社会が存在して、その内輪に入り込むのはとてもむずかしい。そしてただ外側から眺めている限りでは、面白くもなんともない街だ。(417/3510)
Socially this is a tough town to break into. And it's a damn dull town if you're on the outside looking in.
彼の顔はいかにも根性の悪そうな表情が浮かんだ。そして彼女の両腕をあとが残りそうなほど強く摑み、その力を用いてじわじわと引き寄せ、ぴたりと抱いたまま離さなかった。人々はその光景に眉をひそめたが、誰ひとり動くものはなかった。(894/3510)
His face got a nasty look. He grabbed her arms hard enough to bruise her and slowly using his strength he pulled her tight against his body and held her there. People looked hard, but nobody moved.

おなじことばを常におなじに訳せとはいわないが、おなじことばが原文で使われている事実を、もっと尊重していいのではないでしょうか。
最後の文は、女がhardに(乱暴に)抱かれてるのを見て

人々はhardに(興奮して)見えたが、誰ひとり動揺しなかった。

というかけことばです。また

Socially this is a tough town to break into.
People looked hard, but nobody moved.

街がtoughで人々がhardだという対比になっています。エスメラルダの上流階級の人となりを描いている、大事なところです。

私はレンタカーに戻り、渓谷に沿って霧の中を抜けて、ランチョ・デスカンサードに戻った。オフィスのあるコテージは施錠され、無人だった。仄かな外部照明がひとつ、夜間ベルのありかを示していた。そろそろと12Bの建物まで車を進め、カーポートに車をなんとか押し込んだ。そして大あくびをしながら部屋に戻った。部屋は寒くてじめじめして、惨めだった。誰かが留守中に部屋に入って、寝椅子からカバーを剥ぎ取り、お揃いのストライプのピローをはずし、ターンダウンをしてくれていた。(954/3510)
I went back to my rented chariot, and poked my way along the canyon through the fog to the Rancho Descansado. The cottage where the office was seemed to be locked up and empty. A single hazy light outside showed the position of a night bell. I groped my way up to 12C, tucked the car in the car port, and yawned my way into my room. It was cold and damp and miserable. Someone had been in and taken the striped cover off the day bed and removed the matching pillowcases.
ターンダウン(サービス)とは比較的グレードの高い宿泊施設で見られ、ベッドメイクやハウスキーピング以外のベッド周辺のマットやシーツ、スリッパなどの備品、ドリンクやお菓子などのチャージ、私用の衣服などを不在時に整えるサービスのことです。

ピカピカにターンダウンしてくれているなら「惨めmiserable」なわけがありません。ここのitは寝椅子や枕などの状況を指し、シーツと枕カバーが外されてむき身になっています。

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柄は違うが、day bedはこんな感じです。これのカバーが外されていました。「じめじめしてdamp」いるのは、寝椅子で気を失っていたマーロウにだれかが氷を当ててくれたからです。
また、原文ではマーロウがまず向かった部屋の番号は「12C」ですが、よくわかっていない村上氏が勝手に「12B」に「訂正」してしまいました。

💛

ただ僕は昔から疑問に思っていたのだが、なぜこの小説のタイトルが『プレイバック』なのだろう。英語のplaybackは普通に考えれば、録音や画像を「再生」して聞き返したり見返したりすることだ。しかしこの小説のどこにplayback的な要素があるのか、今ひとつぴんとこなかった。勘ぐれば、マーロウが「またまた同じようなことを繰り返してやらなくちゃならないのか」と嘆きつつ探偵稼業に励む、ということになるのかもしれないが、まさかそんな自虐的なタイトルをチャンドラーがわざわざつけるようなこともあるまい。おそらくそれは、ベティー・メイフィールドが「過去に経験したのと同じような犯罪に、またもや巻き込まれてしまう」ことを意味しているのだろう。「再演」という感じで。でももしそうだとしたら、長編小説のタイトルとしてはいささか求心力に欠けている、ということになりはしまいか?オリジナル・シナリオのタイトルをそのまま小説に流用しているところを見ると、作者自身はそれなりにこのタイトルに納得していたのだろうが、僕としてはもっと気の利いた、話の筋にぴったりしたタイトルがいくらでもつけられたはずなのにと思わないわけにはいかない。(「あとがき」)

訳者の村上春樹氏は、地の文にyouが何度か出てくるこの小説が、現在形の、だれかへの語りかけ、マーロウ自身の行動のプレイバックになっていることに気がついていません。村上氏は誤訳していますが、時制に注意しながら、地の文にyouが出てくるところをいくつか挙げると

もうひとつ推測できるのは、男は列車を降りたあと駅を離れ、そのあいだどこかに行っていたということだ。車を取りに行ったか、あるいは切り抜きを取りに行ったか、そこまではわからない。(172/3510)
Next point was that earlier on he had left the station and gone somewhere, perhaps to get his car, perhaps to get the clipping, perhaps anything you like.
私は電話を切り、入り口からスロープを降りた。11番ホームにたどり着くには、ヴェンチュラ郡までくらいの距離を歩かなくてはならなかった。乗り込んだ列車には、既に煙草の煙がもうもうと漂っていた。とても喉に優しくて、うまくいけば片方の肺くらいは使用可能なまま残してくれそうな煙だ。(206/3510)
I hung up, went through the gate, down the ramp, walked about from here to Ventura to get to Track Eleven and climbed aboard a coach that was already full of the drifting cigarette smoke that is so kind to your throat and nearly always leaves you with one good lung.
運転免許証がなければ、車を借りることはできない。それくらいはわかっていそうなものだが。(222/3510)
No driver's license, no U-Drive. You'd think she would have known that.
私はあまり好意を抱けない人々のために、安っぽくこそこそした覗き仕事をしてきた。でもそれがなんといっても私の生業なのだ。彼らが金を払い、私が地面を掘る。しかし今回、私はそれをけっこう楽しむことができた。彼女は身持ちの悪い女にも見えなかったし、悪党にも見えなかった。それが意味するのは、身持ちのよくない悪女に見えるよりは見えない方が、より有利に立ち回れるというだけのことに過ぎないのだが。(462/3510)
I was doing a cheap sneaky job for people I didn't like, but-that's what you hire out for, chum. They pay the bills, you dig the dirt. Only this time I could taste it. She didn't look like a tramp and she didn't look like a crook. Which meant only that she could be both with more success than if she had.

cheap jobがまた出てきました。cheapは全部で10回、jobは29回出てきますが、とても大事なことばです。
最後の文は

いずれにしろ、彼女は身持ちのよくない悪女にもなれただろうし、そうしたらもっとうまくやっていただろうとしかいえなかった。

が正しい訳です。彼女は
・本当にアバズレで、本当に詐欺師だったかかもしれない
・しかしどちらにも見えなかった
・本当はどちらであれ、彼女はアバズレの詐欺師として振舞っていれば、事はもっとうまく運んだだろう
という意味です。実際には彼女は「うまくやれなかった」のです。村上訳は意味が正反対になっています。

私は煙草を一本箱から振って出し、親指でジッポーの蓋を開け、ホイールを回そうとした。片手で決してできないことではない。しかし動作はけっこうぎこちないものになる。でもなんとかうまくやりとげ、煙草を吹かした。あくびをし、鼻から煙を吐いた。(471/3510)
I shook a cigarette out of a pack and tried to push up the top of my Zippo with my thumb and rotate the wheel. You should be able to do it one-handed. You can too, but it's an awkward process. I made it at last and got the cigarette going, yawned, and blew smoke out through my nose.

大事なことなので、you should be able toとyou canと二回言いました。

『プレイバック』には著者から読者へのなぞかけがあり、読者が探偵になって解くわけです。小説をよく読めばどうもおかしな記述があちこちあります。上で引用した部屋番号の「12C」もそのひとつです。著者が出すヒントをいくつか挙げると

彼女には常に何かしら少し人目につくところがあり、誰かが必ずそれを目に留めることだろう。人は自らから逃げおおせることはできないのだ。(445/3510)
There would always be the little oddness to be noticed and there would always be somebody to notice it. You can't run away from yourself.

thereは「ここ」つまりこの小説です。oddnessは「奇妙なこと」で、よく読めばどうにもおかしな記述のことです。一つ目のnoticeは「気がつく、注目する」ですが、二つ目のnoticeは「言及する、指摘する」です。

我々はゆっくり向きを変え、二人用の寝椅子の方に向かった。そこにはピンクとシルバーのカバーがかかっていた。人は妙に細かいところに目を留めるものだ。(574/3510)
We did a slow turn in the direction of one of the twin day beds. They had pink and silver covers on them. The little odd things you notice.

寝椅子のカバーは、上の引用でいうoddnessです。

なにしろ年季を積んだ観察者なのだから、細部を見落としてはならない。(604/3510)
Trained observer, never miss a detail.

これはtrained observerつまり読者への、「細部のoddnessを見逃すな」という命令です。

💛

この本には、上に挙げたような誤訳がいたるところに見られます。ささいな誤訳には目くじらをたてませんが、作品の本質にかかわる重大なものばかりです。文学の基本の基本の基本がなっていない村上春樹氏は三流作家であり、この本はゴミだと言わざるをえません。清水俊二訳も同レベルです。

 「僕が柴田さんと一緒に仕事をするようになって35年くらいたつんですけれど、その間に僕が彼から何を一番学んだかというと『正確さ』という一語に尽きると思います。とにかくテキストの文章をできる限り正確に日本語に移しかえなさい、と。そのためには文章を細かく読み込みなさい、ということです。テキストに対する敬意を失わない、というのは翻訳家である僕にとってものすごく大事なことなんです」

『プレイバック』の訳が問題なのは、原文に不正確だからという点につきます。村上氏には敬意と能力のどちらかが致命的に不足しているのは、ここであきらかにしたように、客観的な事実です。

村上訳や清水訳でだいなしになっていますが、『プレイバック』は通して読めば終わりの作品ではなく、読者が探偵となって真相を探り当てる必要があります。推理小説以外ではけっこうありますが、推理小説では珍しいかと思います。『プレイバック』は世評とは異なり、きわめてすぐれた作品なので、一流の読者はぜひ原文で読みましょう。比較的読みやすいほうだと思います。

以下は、村上訳からは決して読み取ることができない、大きなネタバレです。

💛






麻薬中毒の駐車係、セフェリノ・チャンはおそらく自殺ではなく他殺です。彼のオウムはマーロウに

Quiйn es? Quiйn es? Quien es? 誰だ?誰だ?誰だ?
Necio! 馬鹿!
Fuera! 出ていけ!
Hijo de la chingada クソッタレ(直訳するとson of a bitch)

と毒づきますが、これは侵入者に対してセフェリノ・チャンが言ったことばを覚えたと思われます。最後の村上訳は

「Hijo de la chingada (おまえ、くたばれ)」とオウムはスペイン語で悪態をついた。(2457/3510)

ですが、「おまえ、くたばれ」では意味をなしません。

狭い裏のドアがあった。鍵が鍵穴に差し込まれ、ロックされていた。そして錠のかかった窓がひとつ。(2457/3510)
There was a narrow rear door, closed, with a key in the lock, and a single window, locked.

鍵が鍵穴に差し込まれていますが、原文にはドアがロックされていたとは書いてありません。

ブリキの水切り台の上には、黒いゴムの短い管が置いてあった。その横には底まで押し下げられたガラスの皮下注射器があった。流し台の中には細長い三本のガラスのチューブがあった。どれも空っぽで、小さなコルクの蓋が近くに転がっていた。そういうチューブは前にも目にしたことがある。(2457)
On the zinc drainboard lay a short length of black rubber tubing, and beside that a glass hypodermic syringe with the plunger pushed home. In the sink were three long thin empty tubes of glass with tiny corks near them. I had seen such tubes before.

コルクの蓋があるガラスのチューブは、どうも試験管のように見えますが、中身については一切触れられていません。

マーロウの推理は以下の通りです。

それはまず間違いのない自殺方法だった。まずキッチンの流し台の脇に立ち、ゴム管を腕に巻き、ぐっと拳を握って静脈を浮かせる。そして注射器に入っていたモルヒネをそっくり血流の中に流し込む。三本のチューブがすべて空になっていたのだから、そのうちの一本は中身がフルに詰まっていたと考えるのは、まず妥当なところだろう。必要十分という以上の量を摂取できたはずだ。それから彼は注射器を下に置き、腕を縛っていたゴム管をほどく。薬が効いてくるのに、それほど長く時間はかからないだろう。注射は直接血管に打たれたのだから。それから彼は外に出て便所に行く。そして便座の上に立ち、喉のまわりにコードを巻きつける。その頃にはもう頭が朦朧としている。彼はそこに立って、膝から力が抜けるのを待っている。そして自らの体重があとの始末をつけてくれる。おそらくほとんど何も感じなかっただろう。もう眠りこんでいるようなものだから。(2475/3510)
まずキッチンの流し台の脇に立ち、ゴム管を腕に巻き、ぐっと拳を握って静脈を浮かせる。そして注射器に入っていたモルヒネをそっくり血流の中に流し込む。
He had stood by the sink in his kitchen and knotted the rubber tube around his arm, then clenched his fist to make the vein stand out, then shot a syringeful of morphine sulphate into his blood stream.

間違いなくモルヒネを血管に注射しています。皮下注射でも筋肉注射でもありません。

三本のチューブがすべて空になっていたのだから、そのうちの一本は中身がフルに詰まっていたと考えるのは、まず妥当なところだろう。必要十分という以上の量を摂取できたはずだ。
Since all three of the tubes were empty, it was a fair guess that one of them had been full. He could not have taken in less than enough.

take inには「だます」という意味があるので、最後の文は

彼は十分よりすくなくだませたはずはない
=彼は十分以上にだませたはずだ

とも読めます。チューブの中身は書いていないので、読者が決めつけるとだまされるでしょう。

それから彼は注射器を下に置き、腕を縛っていたゴム管をほどく。薬が効いてくるのに、それほど長く時間はかからないだろう。注射は直接血管に打たれたのだから。
Then he had laid the syringe down and released the knotted tube. It wouldn't be long, not a shot directly into the blood stream.

原文には「薬が効いてくるのに」とはありません。また

not a shot directly into the blood stream

は「血流に直接打った注射ではない」です。これを、it wouldn'tとあわせて

It wouldn't be not a shot directly into the blood stream.

と二重否定と解釈するには無理があります。
ところでlongでないものには、腕を縛っていた「黒いゴムの短い管」があり、これは「血流に直接打った注射ではない」にあてはまります。

それから彼は外に出て便所に行く。そして便座の上に立ち、喉のまわりにコードを巻きつける。その頃にはもう頭が朦朧としている。彼はそこに立って、膝から力が抜けるのを待っている。そして自らの体重があとの始末をつけてくれる。おそらくほとんど何も感じなかっただろう。もう眠りこんでいるようなものだから。
Then he had gone out to his privy and stood on the seat and knotted the wire around his throat. By that time he would be dizzy. He could stand there and wait until his knees went slack and the weight of his body took care of the rest. He would know nothing. He would already be asleep.

薬物を静脈注射すると速攻で効くので、注射してから首を吊る作業をするのは、すくなくとも「まず間違いのない自殺方法」ではありえません。

それはまず間違いのない自殺方法だった。
He had made very sure of that.

そもそも「自殺」ということばは原文にはなく、村上氏が勝手に書いただけだし、heがセフェリノ・チャンだともかぎりません。
最後を普通に訳せば

彼はなにもわからなかっただろう。彼はすでに眠っていただろう。

です。alreadyにはどうやっても「~のようなものだ」という意味はありません。薬物を打たれて意識朦朧のセフェリノ・チャンが、自殺に擬装されて殺人者に吊られたとするとつじつまがあいます。

裏のドアを開けてみた。地面に降りて、改装された屋外便所まで歩いていった。斜めになった屋根があり、正面の高さは二メートル半ほどあった。裏側は二メートル弱というところだ。ドアは外開きになっている。あまりに中が狭くて、そうするしか開けようもないのだ。錠はかかっていたが、かなり年代物の錠だったから、こじ開けるのにそれほど手間はかからなかった。(2457/3510)
I opened the back door, stepped to the ground and walked to the converted privy. It had a sloping roof, about eight feet high in front, less than six at the back. It opened outward, being too small to open any other way. It was locked but the lock was old. It did not resist me much.

セフェリノ・チャンが他殺だとすると、便所の錠をどうやってかけたのかが問題になりますが、原文には「内側からかけた」とは一言も書いていません。死体が倒れて外開きのドアが開いてしまうかもしれないので、殺人者が外側から錠をかけたことは十分考えられます。

以上より、セフェリノ・チャンは自殺ではなく他殺の疑いが濃厚ですが、村上訳ははっきり「自殺」と書いてあるので、そのことを読み取るのは不可能です。

💛

おまけです。

再び間があったが、今度は短いものだった。彼女は言った。「ベティー・メイフィールドよ。ランチョ・デスキャンサードからかけているの」。本来は「デスカンサード」というべきところだ。(362/3510)
Another pause, but shorter. Then: "This is Betty Mayfield, at the Rancho Descansado." She pronounced the "a" in Descansado wrong.

Descansadoはdeath canceredのダジャレです。

I hung up, went through the gate, down the ramp, walked about from here to Ventura to get to Track Eleven and climbed aboard a coach that was already full of the drifting cigarette smoke that is so kind to your throat and nearly always leaves you with one good lung.

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