『ファウスト』はダジャレ野郎ゲーテのアホ戯曲なのです
ゲーテは『ファウスト』に「だまし」を仕掛けています。そのため既存の翻訳も解説も研究も全滅です。かいつまんで説明します。引用元は岩波文庫です。
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プロローグで神様と悪魔メフィストフェレスが賭けをします。
最後にファウストが天使のラブファイヤーに焼かれます。
神様は悪魔を人間呼ばわりしてバカにしていますが、予言どおりになりました。悪魔なのに「善い人間」とはなんたる屈辱。このあとメフィストフェレスはファウストの魂を天使に横取りされます。この「悪魔=人間」が『ファウスト』読解の肝心です。
プロローグの終わり:
ちゃんと「人間らしく」と書いてあります。
プロローグの賭け:
最後の原文は
で、strebenが「努力する」と訳されていますが、この動詞には「抗う」という意味もあり、こちらが正しい。人間=悪魔なので
となります。岩波よりこちらのほうがつながりがいいです。神様が干渉しないとは一言もいっていません(ファウストを盲目にする「灰色の女」が神様の干渉だと思われます)。
ファウストの救済:
「」内の原文は
ですが、訳注がついています。
この二行も「だまし」で、strebenは「努力する」ではなく「抗う」です。悪魔に抗っていれば神様が救うことができるという意味です。ちゃんと
と言及があります。
ゲーテはエッカーマンをケムに巻きつつヒントを出しています。
プロローグ:
ファウストが悪魔に抗ったので、神様は最初の心づもりのとおりに彼を救済しました。それだけです。
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ファウストはメフィストフェレスと賭けをします。
このゆーめーな文句の原文は
です。ここでは岩波の意味であっています。
ロクなことをしてこなかった老ファウストだが、自分が命じた理想国家建設のための土地の造成の音を聞き、感極まって真人間になってしまいました。しかし彼は「灰色の女」の一人「憂いSorge」に盲目にされており、聞いたのはメフィストフェレスが彼の墓を掘らせていた音だったのです。
実はここも「だまし」で、ゆーめーな文句はファウストは自分に命じています。
が正しい意味です。「今なら」はzum Augenblickeの普通の意味です。「自由な土地に自由な民と共に住みたい」のだから、瞬間が止まったら困ります。
ファウストは直後に死んでしまいますが、賭けのことばを口に出してはいないし、内心では別のことを考えていたのだから、メフィストフェレスの負けで、神様が予定どおり彼を救済します。Sorgeには「憂い」のほかに「気遣い」という意味があります。ファウストを盲目にしたのは、神様の介入なのです。
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メフィストフェレスが退治されると、聖母マリア様など聖女が天からあらわれ、ファウストの魂を救済します。最後は「神秘の合唱」で終わります。
新しめの翻訳や『劇場版魔法少女まどか☆マギカ』は語義どおり
となっています。「すべて移ろい行くものalles Vergängliche」は 実は『ファウスト』という作品のことです。これが「だまし」の比喩にすぎないというわけです。読んだだけではまだ「及び得ざるものdas Unzulängliche」だが、比喩を理解するとパッとひらめきました。「名状しがたきものdas Unbeschreibliche」は語義どおりなら「書くことができないもの」で、つぎの「永遠なる女性」=マリア様のことです。比喩でしかなかった作品が、ひらめきで「永遠なる女性」のリアリティを得ました。そして彼女が「われら」を天国に連れて行ってくれます。「女性」だと生々しさがないので「女」と訳すべきです。
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ファウストの人生すべては「比喩」でしたが、勘違いからとはいえ最後にそれを理解して「永遠なる女性das Ewig-Weibliche」を手に入れました。
メフィストフェレスは「永遠の虚無das Ewig-Leere」です。これらは対になっています。
この「われわれ」は
の「われら」、つまり比喩がわかる人のことです。
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救済は「神の愛」ではなく恋のラブです。
天使たちはやたらかわいくて、『プリキュア』みたいに口上を述べながらラブビームと薔薇で戦いますが、性別不明でショタっぽいです。
メフィストフェレスは天使の魅力にメロメロです。この場面は妙に力が入っています。
「神々と位を同じうする」とあるので、ゲーテのマリア様は一神教のキリスト教とは無関係ですが
三位一体論のパロディになっています。
要はキリスト教の「イメージだけパクった」です。アニメのビジュアルをイメージすればいいでしょう。
これがキリスト教の聖母でないなら、ヘレネーがいることからアリアドネーでしょう。ヘレネーも出てきているし。
クセノポン『饗宴』は、
こんな感じで終わります。
『饗宴』もsymbolaiですが、同名の著作がプラトンにもあり、クセノポンはそれに対抗して書いたようです。
クセノポンはプラトンをパクり、「このあと二人がsymbolai交戦する」と言いたいようです。
ニーチェの「永劫回帰Ewig Wiederkehren」は『ファウスト』の最後の場面のパクリです。wiederkehenはwiederkommenとおなじ意味で、英語に直訳するとeternal coming-againです。comeはxvideosなどでおなじみのやつです。
ゲーテは「オ〇ニーでイケるのは女神様のおかげである」、ニーチェは「eternal coming-againは人間の体力では不可能だから超人にならなければならない」と言っています。とても息の合った二人なのです。これが学者の知らない間テクスト性の神髄なのです。
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ゲーテの「われわれの宗教」では、「永遠なる女性」は一つの実体と「処女」「ママ」「女王様」の三つの位格において永遠に存在します。「自力」すなわち比喩を理解する人は「永遠なる女性」に救われてラブ天国に行けるが、わからない人は悪魔扱いで「永遠なる虚無」です。
アホの極みですが、偶然や誤読で「だまし」になることはありえず、ゲーテの意図に疑いの余地はありません。とくにキャッチーなセリフに罠を仕掛けているところには読者の先入観につけこむ明確な意図があります。こういった「だまし」はギリシャ・ローマ時代に起源があり、現代にも「だまし」を駆使した作品はすくなくないのですが、作家以外には知る人はほとんどいません。
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『ヒーリングっど♥プリキュア』のホームページのトップ絵は
最後の「永遠の女」のイメージです。プリキュアのカラーリングはゲーテの『色彩論』にもとづいています。『魔法少女まどか☆マギカ』は『ファウスト』をヘビーにパクっていて、やはり最後は「永遠の女」のイメージです。
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