しまんと移住20年の私が学んだ、 四万十西土佐 昭和南海地震から75年
2021年12月21日。
75年前の今日、
未明の高知県を激しい揺れが襲った。
旧中村町(現四万十市中村地区)は、
県内最大の273人が犠牲に。
(高知新聞📰より一部抜粋)
そんな前知識も無く、
職場からの誘いで
2021年12月18日に開催された講演会に
参加した。
講師は
マスメディアで名前を見たことのある先生。
その程度の記憶。
神戸生まれの私は阪神大震災を経験した。
M7.2。
しかし、昭和の南海地震は
M8.0。
えー、あの揺れより大きいの?
しかも、岡村教授曰く
昭和の小さめの南海地震から75年が経過
南海トラフ大地震=世界で最も規則的な
発生間隔を持つ巨大地震でありながら、
次の地震規模は分からない。
「愚者は過去の経験に学び、
賢者は過去の歴史に学ぶ」 ビスマルク
南海地震の歴史
1498(明応) → 1605(慶長) →
1707(宝永) → 1854(安政) →
1964 →
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1946(昭和21年)はM8.0。
小さかった。
もし、次がM9.0の巨大地震なら、
震源面は広大で
西土佐も震源地の中心に含まれる。
しかし、
海から離れた四万十市西土佐は、
震源までの深さは35km。
そして、地盤が硬いので、
震度7にはならないと考えられている。
高知県で震度7にならない地域は
山間のほんのわずか5町村。
四万十市に合併前の旧西土佐村なら、
その町村に数えられていただろう
との
お話しでした。
歴史は繰り返される。
近々、関西か、
伊方原発がかかってくる中央構造線で
大きな地震があり、
その数年後に南海トラフ地震が起こる。
地震は自然現象。
それを災害にするのは人間。
要は、死なないようにする。
その為に家具を固定したり、
寝室の寝る場所に気をつけて頭を守る。
2階で寝る。
高台へ避難する。
地震の際、
たまたま運動場やグランドや畑にいるのは
絶好の機会。
揺れがおさまるまで、
地面にはいつくばっていればよい。
また、地震で孤立地域になった際、
空のヘリへ
白石で文字を書いてアピールする大切さも、
画像で示してもらった。
ミルク オムツ クスリ 水 とか
書いて示せば生存者がいることや
赤ちゃんがいることも分かる。
偵察機の後のヘリが
支援物資を空から落としてくれるそうだ。
とにかく、間違いなく、
南海トラフ地震が来ることは分かった。
地震後は、わやでごった返すから、
ここで亡くなっても見つかる可能性や
まともな葬儀を行える可能性は低い。
とにかく生きてください。
生き延びてください。
生きて、復興し、子や孫の顔を見て、
それから最期を迎える。
岡村先生からの強いメッセージだった。
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