100分de名著 ローティ『偶然性・アイロニー・連帯』実況解説まとめ(第1回)
消極的な理由からSNSは旧Twitterをメインで運用していますが、告知やRPなどが多くなりすぎて、情報の集約と整理が難しくなっていたため、ひとまずその用途でnoteをはじめてみることにしました。
さしあたり、番組公開(配信)中の期間のサポートページとして、旧Twitterでおこなうことにする「実況・解説」をこちらに適宜修正加筆の上、転載します。
なお、「実況・解説」というには、そこまでわかりやすいものではなく、玄人向けのエクスキューズや豆知識になってしまってますが、月末刊行の拙著『人類の会話のための哲学ーーローティと21世紀のプラグマティズム』(よはく舎)への導線という意味合いもあるので、ご容赦ください。
次回以降、もうちょっと考えます…。
さてまずは、第1回についての最重要ポイント。「初回が一番むずかしい」は、制作スタッフの皆さん、出演者陣の総意だったと思うので、この先はもう少し具体的な話題にも触れながら、わかりやすくなると思います。
とくに初回はぜひテキストも併せて読んでもらえると。
続いて全体の留意点。
予告編見て、己のしゃべりの速度と、あとやや上ずった調子(いつもよりちょっとピッチ高かったと思います)に卒倒しそうになってましたが、全体的な感想を聞いていると「そこまでは早くない」「わかる」「こういう人いるw」くらいのレベルだったようで、反省はしていますが、少しだけ安心しました。
衣装はもちろん自前(ヘアメイクさんは付いてくれてます。行きつけの酒場店主から「髪の毛がきちんと収まってるのはじめて見た!」と言われました…)で、衣装情報などはInstagram( https://www.instagram.com/heechul_ju )にて。
とくに色とかの指定などはなかったので、演者間で被ってもまったく問題ないと思うんですが、少しばかり申し訳ない気持ちにはなりました。
意外と全身が映ったので、靴下の色をシャツに合わせてたのに気づいてもらえてよかったですね。今後も毎回衣装は変わりますし、靴下も変わりますので、ご注目(?)ください。
戸田恵子さんの朗読。すてきでしたね。
このセットの空間やお衣装もすばらしく、制作スタッフの皆さまの理解度の高さと創意工夫に感嘆しました。
これから全4回、お楽しみに。
以前にもポストしましたが、今回のローティは「初の言語哲学(分析哲学)・初のアメリカ哲学・初のプラグマティズム」と初物づくしでした。
それで、いきなり「アンチ哲学」ですから、乱暴な話には映るでしょうし、哲学に造詣ある方ほど、違和感をもたれることも無理ないかとは思います。
やはり「アンチ〇〇」の立場の魅力を深く味わうには、「〇〇」をよく知ってこそ、ということもありますので、そちらはぜひお忘れなく、です。
「西洋哲学」とひと括りにできる思想潮流があるのか、ということを問うたのがローティ、というくらいまで一般化すれば、今日ではこうした哲学史観はむしろデファクトスタンダードになっているかもしれません。
世界史的にも、古代ギリシアを西欧文化の発祥と見なす単純な歴史観は否定されつつあると思いますが、哲学史においても同様で、そうした動向が現在続いています。
以下はちょっと専門的な解説で、知らない固有名詞をぽんぽん入れてしまって恐縮でしたが、『人類の会話のための哲学』への導線としても紹介しました。
上記で言いたかったことは、哲学のメインストリーム(というか標準的な所作)である分析哲学において、表立ってはローティはたしかに背信者であり、ある意味では放逐されたんですが、東海岸・西海岸のエリート校とはまた違う独立勢力であり、それはそれで全米屈指の哲学科を擁するピッツバーグ方面など、やはり各所に影響があって、今日でもある意味では「ローティ的な動機・哲学観」を実行しているような現役哲学者がいる、ということでした。
なお、ここで唐突に名前を挙げた(テキストでも名前は挙がらない…)ロバート・ブランダム(1950-)は、ローティのプリンストン大学時代の教え子(ローティが博士論文の指導教員)であり、彼の愛弟子と言ってよい哲学者です(ググるとお写真出ますが、ドワーフみたいな容貌の一度見たら忘れづらい方です。しかしとても温和でフレンドリーな先生です)。
『人類の会話のための哲学』ではローティに次いで二番目に多く言及され、実質的な主役のおひとりです。現在のプラグマティズム界隈は、このブランダムを「自分の陣営」に加えようとする、一種の「引き抜き合戦」が繰り広げられていますが、これについて私は明確に「ローティ派(ネオプラグマティズム)」と位置付けるべきと考えています。詳しくは近刊で。
ここもすみません、超マニアックエピソードですが、触れたかったのでつい。『人類の会話のための哲学』でほぼ1頁丸々の注釈でこのエピソードを紹介しています。アメリカ哲学会も決して一枚岩ではなかったし、そうした政治抗争のなかでローティの学者としての立ち位置も左右されました。哲学者もまた自身の思想的帰結だけによってのみキャリアを選べるわけではなく、一種の偶然性に晒されている、といえるエピソードかと。
ここもまぁ詳しくは近刊で。番組なのでわかりやすく煽り気味に言ってますが、実際にはこういう冷ややかな反応が主で、だからこそ(実は)落ち込んだり傷ついたりした…というローティの人間味のあるエピソードでした。
というわけで失意の師匠に励ましの手紙を送ったりしていたブランダムさんのほっこりエピソードもご紹介。こういう「院生は実は読んでるんだけど、論文や学会発表では言及しづらい(よっぽど自分も大物にならないと…)」という哲学者はいるもので、日本語圏でも何人かは思い当たるんじゃないかと思いますね…。
今回の山場でした「対蹠人(たいせきじん)」の思考実験のアニメ化、とてもうれしかったですねぇ。毎回ごとに「ここはアニメでしょ」というのを、製作陣とも密に相談していました。思考実験は(さまざまな危うさもありますが…)哲学にとっては数少ない派手な見せ場のひとつです。冨田(2016)『ローティ 連帯と自己超克の思想』ご参照。
思考実験のアニメV明けの伊集院さんの第一声。SNSでも感嘆の声が多々ありましたが、本当にポイントの理解がすばらしく、話が弾みました。もちろん、厳密には違いもありますが、要点を捉えて自分自身の言葉で表現してくださることで、視聴者にはより理解しやすくなる(それこそ理解の「襞(ひだ)」が増える)でしょう。この伊集院さんあっての「100分de名著」なのだなぁと思った一幕でした。
というわけで、全回でもっとも圧縮度と抽象度の高い第1回でした。たぶん哲学系はどうしてもそうなってしまうと思うのですが、なんとかここを乗り越えて第2回以降もおつきあいいただければと思います。
第1回の実況・解説のまとめでした。
note、どう使っていくのがいいかまだわかりませんが、ぜひ何なりとご意見・ご質問ください。
(すべてに応えられるとは言いませんが、できるだけ目を通して検討します。)