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絵を観に行って絵を観なかった話_イマーシブミュージアム

※この記事で使用している画像は当該ミュージアムのものではありません。

最近、絵を描いているお医者さん(※)のTiktok動画…というかLIVE配信中に絵が描きあげられていく様子やその方が描いた絵を観たのがキッカケで絵画に興味を持つようになりまして。
※AKI🥼画医さん…InstagramやX(Twitter)にもおられます

せっかく美術館の多い東京にいるのだし…と思い立ってひょいと行ってみたのが、元勤務先の通勤経路にある日本橋三井ホール(COREDO室町1の4階)で開催中のイマーシブミュージアム。ということで、乱文ながら感想を書いてみました。

この展示のテーマは、 "Dive in Art" とのこと。
普段自分が絵画を観るときも絵の中に自分の意識が吸われるというか、意識を絵の中に置くというか、そういうつもりはないけれども結果としてそんな観方をしているので、この "Dive in Art" というテーマがとても魅力的に感じたのでした。

予習という予習はせずに、「ポスト印象派の絵の世界にダイブできるんだな!楽しみ!」くらいの気持ちでチケットを買って、いざダイブ!!


【個人的に良かったポイント】

1)絵が大きく投影されるので、細かい点まで見ることができた

四方にある壁いっぱいどころか足元まで巨大な絵が投影されるので、筆遣いや絵の具の粘度感までが伝わってきます。ここまでの情報を肉眼で生の絵から得ようとすると目の方が持たないですし、これはこの展示でないとできなかったことかなと思います。
ここで力を入れて筆を押し付けて、ここでは力を抜いている、ここではサッと払っている、ここは…といった動きの一つ一つを、生の絵を観るよりも一歩近くに大きく感じることができるのはとても良かったです。

2)絵の中の草木や山や花びらや諸々が動くのが新鮮

あんまり言うとアレなので控えますが、粒子から絵へ、流体から絵へ、という動きも元の絵画のタッチを尊重して構成されたのだとは思います。それはそれとしてゴッホさんのが一番動かした意味を感じとれる映像でしたね。
筆の流れ通りに動かしていたものとそうでないものがあったようで、その差はどこからきたんでしょうか、気になります。
花びらがやたらと舞ってるのは「花びら1枚1枚を3D処理しとんか凄いな」「いやそうはならんやろ」というのが正直な感想でしたが、「カラスのいる麦畑」のざわめきとか、「ローヌ川の星月夜」の水場の揺らぎは自分が考える動きと映像作家の考える動きに大きなズレが無かったのでストレスなく楽しめました。

【個人的に微妙だったポイント】

1)絵画鑑賞ではなかったよね

絵画を新しい観方で観られると思って来たのですが、これは絵画を一旦 "完全に解体" して、映像作家が考える「当該画家が見た "であろうもの" 」として "再配置" した映像でしかなかったですよね。
中には「当該画家が(略)」ですらなくてただの「"映える" 映像」として再配置したのではないか?というものもあったのは正直微妙でした。
とはいえ、これはチケットを買う前にこの展示の予習を充分にしていなかった自分が悪い。後で検索するとそういった(絵を観る場所じゃない的な)感想をお持ちの方も多かったみたいです。
あまり事前に情報をインプットしておくとその情報に引っ張られた観方をしてしまうと思って予習はしていなかったんですが、こればかりは自分の判断ミスです。
今後は、シンプルな絵画展以外はそれなりの予習をした方がいいんでしょうね。アートを見慣れていない自分にとっては いいお勉強になりました。

2)大きく投影される割に解像度はそれほど高くなかった

「良かったポイント」で「細かい点まで見ることができた」と書きましたが、それでも脳内で補完している情報は多く、欲を言えばもう少し投影の解像度を上げてほしかったと思います。
(と言っても天井?から四方の壁~足元という広範囲への巨大な投影ですし現在の技術では難しさもあるのかも知れません。)
が、逆に投影する映像の解像度が高くないことによって、却って多くの来場者にとってのメリット(写真映えする感)を生んでいるような気もします。

3)"映え"に消費される様子が何だか後味悪い

20分超の映像展示の後、壁一面に何枚もの絵画の映像が投影されるのですが、その時の様子を見るに、来場者の多くは絵画を見に来たとか新しいアートを見に来たとかではなく写真を撮りに来ているような雰囲気です。
エンドロールが流れると周囲はソワソワし始め、壁にふわっと絵画の映像が投影されると、秒で壁際が撮影スポットと化します。投影される映像が切り替わるタイミングでは「あ~ぁ」という声が聞こえたりもします。
お目当ての映像が投影されている間に「"映える" 写真」を撮ってしまわなければ!という焦りさえも、さっきまでの映像よりも解像度高く、くっきりと手に取るように見えるのです。余韻なんてものはありませんし、ほとんどの人は展示中よりも展示後の方に感動を覚えているようです。
「ヒトはヒト、自分は自分やから…」とは思いつつも、絵画や絵画から派生したアートそのものではなく "映え" に回収されるアートの図、というものを目の当たりにして、何とも言えない苦みを感じるのでした。
まぁ新しい形のアートへのリスペクトと見れば、それはそれでアリなのかな。

【全体を振り返って】

"Dive in Art" だったかというと。
ここでいう "Art" はイコール絵画そのものではなく、絵画を元にした新たな作品(映像)であるという前提に立ったとしても、「自分がダイブする」というよりは「映像作品が自分に向かって吹いてくる強風になる」という感じでした。あくまで主導権は映像が持っていて、我々は受動的に観るというか。
観るペースも何もかも映像が決めますので、少なくともどっぷり深く絵の世界に沈むタイプが観に来るべき作品ではなかった…!!
この辺りは個人の感受性の差もあると思うので、「ダイブできた!」という方もいるのかも知れません。

別の機会にまたイマーシブミュージアムに来たいかというと。
色々思うことはありますが、同じ形態、同じターゲット層、同じ広報の形であるなら、多分私は来ないと思います。映像作品の元となる絵画が変わっても、やっぱり来ないと思います。
確かに新鮮ではあったし、あれはあれで面白くはあったんですが、「思てたんとちごた」。より具体的に言うと「期待していた "絵画" 鑑賞ではなかった」。それだけです。既述の通り、これは自分の予習不足と思い込みに原因があります。
技術の進化によって解像度が爆上がりして、かつ芋洗い場みたいな会場ではなく、フォトジェニックを求めた人で溢れかえっていなければ、"映像作品の鑑賞の場" としてまた来ることもあるかも知れません。


え~い、X(Twitter)でダラダラと書き殴ったのに、結局noteで記事にしてしまいましたねぇ。
文章力があるわけではないので恥ずかしいけれども、こうやって一ヶ所にまとめて感想を置いておくというのも後々の参照に便利なので、備忘録ということで。

この日は東京都現代美術館の「あ、共感とかじゃなくて」展にも行ったので、そっちの感想も忘れないうちに記録しておかねば。
(結局この日は 絵ぇ見てへんのかーーい!!
 ちゃうねん、絵ぇ描くテーマ掘り下げに行ってん、
 ほんで ちゃんとヒント貰って帰ってきてん。絵ぇは今度今度!)


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