「免疫食堂」は、世界で最も奇妙な「貨幣」のカタチ、 免疫クラスタという、 オルタナティブなパブリックの、ブロックチェーンでもあり、ヤップ島における「石」でもある。

「免疫食堂」は世界で最も奇妙な「貨幣」のカタチ、
それは、免疫クラスタという、オルタナティブなパブリックの
ブロックチェーン暗号通貨でもあり、ヤップ島における石でもある。



「免疫食堂」はオルタナティブな経済学


免疫クラスターとは、未来のパブリックである。このコンソーシアムに登録されるためには、「良い人」「信頼できる人」であることが必要なのである。信頼できる大人でなければ、この交換事業には参与できない。そのように制度が作られている。

「免疫食堂」における、「貨幣」という概念を理解するためには、クラ交易における交換システム、ヤップ島の石、ブロックチェーン暗号通貨の三点についての理解が必要になってくる。



クラ交易

クラはさまざまな慣習に取り巻かれている財のやりとりで、単にモノが欲しいからお金ないしはモノの対価の支払いを行って得るという交易(取引)とは少々違うのである。

ニューギニア島は西を向いた極楽鳥に喩えられるが、その尾の近くにある諸島群はマッシム諸島と呼ばれている。現在の独立国パプアニューギニアのミルン湾州である。この諸島はさらにいくつもの諸島からなり、それぞれ諸島毎に少しずつ言語も社会構造も異なる。この島々の間では円環状のネットワークが存在しており、長期的には互いに時計回りに白い貝の腕輪を、反時計回りに赤いウミギクの首飾りを隣の島に与えることをしている。この慣習がクラである。

このクラ交易にともなって、日常生活用品の物々交換も行なわれるが、それはクラ交易のように重視されることはない。一定の方向で巡る宝物の受け渡しが重要なのである。そして宝物は二種類が設定されているので、二方向の渦が同時に巻き続けていることになる。

クラの送り手と受け手のあいだでは、互酬関係が築かれることになる。そのため言語の異なる島々のあいだで、あるいは文化の異なる島々のあいだで、平和的な信頼関係が築かれることになる。

クラ交易の発見は画期的なことだった。西欧の19世紀的な知見では、未開社会の交易としては物々交換しか想定されていなかったからである。他の社会の人間にたいする信用とか信頼という概念は、未開社会では成立しないものとみられていたのである。贈与によって異なる社会どうしが互酬関係で結ばれるというのは、完全に想定外の概念だったのである。

クラ交易の実態は、第一次世界大戦を終えたばかりの西欧の社会科学者たちに衝撃を与えることになった。愚かな戦争を終えたばかりのヨーロッパ人にとって、未開の地で、殺戮によるのではなく平和的に信頼関係を構築しているクラ交易は、自分たちの愚かさを深く認識させるのに十分な事実となったのである。

重要な点は、クラ交易が、人間のもつ所有欲や虚栄心に基づいて行われているという指摘である。ヨーロッパでは、所有欲や虚栄心などは人間の堕落を表わすものだとされていた。絵画にはそのようなテーマがいっぱいある。禁欲的で謙虚であることが、ヨーロッパの美徳とされる概念だったのである。

ヨーロッパの美徳とは逆な概念が贈与交換を成立させると指摘したのである。このメカニズムの秘密は、「気前の良さ」にあった。気前の良い人間こそが社会的威信を獲得することができたのである。気前がよくなるためには、与えるものがなければならない。そのため所有欲は働き者を作りだした。より多く与えるために、より多く働いたのである。クラの住民たちにとって、富は社会的な身分に不可欠なものであった。「重要な点は、彼らにとって、所有するとは与えることだという点である」のだった。

しかしながら、クラの住民たちにみられる社会の慣例は、生来の所有欲を弱めるどころではない。かえって逆に、所有するのはすばらしいことであり、富は社会的な身分の不可欠な付属物であり、個人の徳に付随するものだ、ということになる。しかし、重要な点は、彼らにとって、所有するとは与えることだという点である。

彼らは人にものをあげるということをあれほど熱心に考えるがゆえに、自分のものと人のものとのあいだの区別はなくなるどころか、むしろひどくなるのである。贈物はけっしてでたらめにやりとりされるのではなく、実際には、いつも一定の義務を果たすために、しかつめらしい形式をふんで与えられる。贈与の基本的な動機は、所有と権力を誇示したいという虚栄心であって、共産主義的傾向あるいは制度があると仮定することなど、もともとできないのである。

贈与は人間のもつ所有欲や虚栄心によって成立する交換メカニズムだということだ。所有欲や虚栄心は贈与によって満たされ、そして贈与交換し合うことによって、人間たちは他の社会と平和的な関係を保ち、信頼関係を築いていった。


ヤップ島の石


仮想通貨も石貨も根本は同じ?世界で最も大きなお金、ヤップ島のフェイとは?


新しいお金の形と言われている仮想通貨が注目を集めている。目に見えず触ることもできないためイメージがしにくい仮想通貨だが、世界でもっとも大きいといわれているヤップ島の石貨(石のお金)と根本的には同じ役割を果たしている。ヤップ島の石貨と仮想通貨の類似点とは何か?

ヤップ島の世界でもっとも大きな石貨フェイとは


ヤップ島とはかつては日本が統治をしていた領土で、現在はミクロネシア連邦に属している小さな島である。そのヤップ島には『フェイ』と呼ばれる石貨が使われていた。

このフェイが注目される要因はその大きさにあり、ギネス記録でも最大の貨幣と言われている。大きさは直径で3m、重さも2.3tほどもあるものもある。

この石貨の価値は重さや大きさだけではなくそのストーリーも関係しているようで、大昔からそこに存在しているという物語や、持ってくるのに大変苦労したという物語をふまえて、所有人と受け取る人が話し合うことによって、どれくらいの価値で取引するかを決める。


ヤップ島の石貨と仮想通貨の似ている点


ヤップ島では物々交換ではなく、こちらのフェイを使って食べ物などのやり取りをしていたと考えられている。フェイはとても重たいため、その場所から動かすこともできないことがあることも多いらしく、所有権を得たからといって家に持ち帰るということはあまりされなかった。

石貨というと、かなり原始的なイメージがあるが、実は仮想通貨とよく似た点があるのだ。それは、石貨の持ち主であることをみんなが認めていれば、石貨自体をだれも見たことがなくても石貨の所有者はお金持ちとして認められるという点である。村一番のお金持ちは巨大なフェイを持っていたが、そのフェイは島に運んでいるときに嵐によって海深くに沈んでしまった。しかし、祖父母の世代から伝承で伝えられているというだけで、誰も見たことがない海の底にあるフェイの価値を村のみんなが認めていており、その所有権で取引ができたのである。

つまり、石貨はその物自体に価値があると思われていたのではなく、お金をもっているという根拠を示すものであり、かつその根拠を人に譲ることができるためのツールだった。これがビットコインをはじめとする仮想通貨や一般的な通貨と同じ『お金』というものの根本だと言われている。

村という単位のコミュニティの中において、石貨の所有権がみんなに認められていて、たとえその石貨を見たことがなくても、所有権によって商売の取引ができるということは、見ることができない仮想通貨の取引とよく似ている点なのである。お金とは、通貨そのものではなく価値があるという根拠(信用)を通貨などを使うことによって取引できるシステム自体を指すものだと捉えることもできるのである。


ヤップ島の金融危機


通貨の価値や信用度が簡単に下がってしまうという点も、ヤップ島の石貨と仮想通貨が似ている点かもしれない。ドイツがヤップ島の領有権をスペインから引き継いだことがあったそうだ。その際にドイツ人が歩道を整備するようにとヤップ島の島民に命令したが、島民からすると、特に不便さを感じたことはなく意義を見いだせない作業をおこなう気にならなかったようで作業は進まなかった。

ドイツ人は、それを受けて道路整備に非協力的な人たちに罰金として島民の資産である石貨を取り上げることにした。しかし重い石貨を運ぶこともできなかったため、ペンキで石貨にドイツの所有物であるという×の印をつけて回りました。印をつけられた島民は貧困になってしまうという理由から歩道の整備に参加したそうです。×印をつけられながらも、きちんと整備に参加した島民の石貨は×印を消されたことによって、島民は以前の暮らしが戻ると喜んだそうである。

一見すると、家にある石に×印をつけられただけで生活は何も変わっていないようにも見えますが、石貨の所有を認められなくなるというのは資産を持っているという根拠(信頼)が失われるため、お金を奪われることと同じ意味になるのだ。仮想通貨、国が発行している法定通貨も実は世の中の出来事やシステムの不備などの情報によって簡単に資産としての根拠(信頼)が失われてしまうのであう。仮想通貨も法定通貨(国が発行する通貨)もヤップ島の石貨も、すべての通貨は実はその物自体に価値があるのではなく、取引できるシステム自体に価値があるという考え方だ。政府が発行する紙幣や硬貨の信頼性に慣れ親しんだ期間が長いためお金を絶対のものとして考えてしまうが、本当はお金はもっと柔軟で替えが効くものと考える方が合理的なのである。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?