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無名でたったひとつのアーキテクチャー〝家〟が、 その時代の象徴としての「存在感」を持つことが出来るのか。

                  九度山の〈家〉アーキテクチャー


❶〈家〉アーキテクチャー

無名でたったひとつのアーキテクチャー〝家〟が、
その時代の象徴としての「存在感」を持つことが出来るのか。



「家」の強みは、芸術が存在の内部に生きているということ、存在を完全に包囲することができるようになるまで、そのどんな小さな欠片をも自分のものにすることができる。

「家」はいかなる具体的存在も必要とはせず、価値創出のすべての決定に対して、つねに先んじるのが「家」である。

「家」は単に物理学的な空間を意味するだけでなく,何かを論じる際の基本的論述形式,あるいは論題を蓄えている場、共通の観念を想起させてることで、特定の場所を意識させる現代の〝トポス〟であるともいえる。

九度山の〈家〉アーキテクチャーは、〝家〟を工芸的側面ではなく、「住まい=Home」という生活の場や生産の場として捉える。そして、パブリックのゲマインシャフト基礎自治体として、「小さな家」づくりを全ての始まりとする。つまり、パブリックの形象は、初発的には世界中の多くの〝無名な人々〟が〝自己学習〟により、自足的に家を構えることを理想とする。

九度山の〈家〉アーキテクチャーは、人の不完全さを許容し、欠落を満たしてくれる、精神的な面で都市機能を補完する侘び寂びの建築物だ。都市の成熟とともに、人の心が無意識かつ必然的に求めることになった、『魂の安らぎ』の空間なのである。
侘(わび)は、貧粗・不足のなかに心の充足をみいだそうとする美意識を言う。寂(さび)は、時間の経過によって劣化した様子を意味している。

日本の危機的状況の原因の根本は「家」にあり、九度山アーキテクチャーズ・プロジェクトは、地球規模での〝家と地区の再構築〟の観点から、初発的に「家」の形象を全ての始まりとして展開していく。

日本の各地において〝家〟と〝地区〟の形象を展開し、究極的には世界中の多くの〝無名な人々〟が、自己学習により、自足的に家を構えることを理想とする。
九度山アーキテクチャーズ・プロジェクトは日本発のリ・コンシャスな小建築・小工芸による、ソーシャル・ファブリック・ムーブメント(社会骨格運動)であり、その舞台となるのは、世界中の被災地区・紛争地区・貧困地区だ。

九度山アーキテクチャーズ・プロジェクトは〝芸術〟を〝国家〟や〝都市計画〟のような「大芸術」と〝家〟や〝地区〟という「小芸術」に二分しつつも、決して対立概念ではなく、独立した〝層〟として二者を分離できない「芸術全体」という枠組において把握していることを示している。両者を「芸術全体」へと再融合すべく、日常生活の「小芸術」に足掛かりを求めるのである。「小芸術」とは具体的には「家造り」「家具木工」「小物雑貨」などの工芸であるとされ、日常生活において一般の民衆によって使用されるものの形象を意味する。

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