ソーシャル・ディスタンスという「錠剤」は、プラセボやレメディのようなもの

ソーシャル・ディスタンスという「錠剤」は、プラセボやレメディのようなものであり、現在のコロナの状況下においては、どうしても必要な「精神安定剤」である。

ソーシャル・ディスタンスという「偽」に対して、「ソーシャル・ディスタンス2mは必要なし」という「偽」の対で考えても意味がない。

つまり、「虚構と現実」は贋のカップルであり、ソーシャル・ディスタンスの文脈では、2mなどの議論は共に不明であり、創造的な議論を展開するためには、オルタナティブな「表象」representationが必要になってくる。



そもそも、山中教授が問題提起している主題は、BCGが単球の自然免疫細胞に働いてエピジェネティックな変化を起こし、単球の生体機能を高めることで、「自然免疫」を訓練で強化できる現象を解明出来れば、「自然免疫」をコントロール出来るはずだと言うことである。そして山中教授は、BCGに代わるこの未知の因子のことを「ファクターX」と呼んでいる。

山中教授の新型コロナの取り組みにおいては、「適正者」という形容がまさに相応しいクレバーな科学者であり、人格者でもある。山中教授は、科学的な治験やエビデンスが整うまでは、マスクやソーシャル・ディスタンスなどの衛生意識、または、遺伝要因なども挙げているが、教授が着目しているのは、間違いなくBCG接種による影響についてである。

科学や行政は、虚構(フィクション)を打ち立てることはできないが、芸術は美しい「嘘」をつくことによって 、本当のように見える「虚構」を創り出すことが出来る。もちろん、それは日本政府による「日本モデル」などという、「醜い嘘」では決してない。

真実をそのままのかたちで捉え 、正確に描写することは多くの場合ほとんど不可能だ 。だからこそ僕たちは 、真実をおびき出して「虚構」の場所に移動させ 、「虚構」のかたちに置き換えることによって 、真実の尻尾を捕まえようとする 。その姿に別の光を当てて断片的で混沌とした不可知な世界を描くことが出来る。

この未知のウイルスと共存共生しながら、経済を回すためには、どうしてもソーシャル・ディスタンスという、「確定石」をひっくり返す必要がある。つまり、社会的距離など必要ではないという、精神安定剤としてのプラセボやレメディのオルタナティブな「錠剤」を「表象」representationしなければ、アフターコロナの持続可能な経済社会の形成など夢物語なのである。

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