「糞」の位置


笑いという芸術は「肛門」であり、お笑い芸人は「ウンコ」である。共に重要なのは間違いはないが、問題はその位置である。

お笑いという芸術は、善悪を超えた彼岸にひっそりと咲くのがお笑いという芸術なのである。お笑いは人間の消化器官の最後尾にあって「肛門」という重要な役割を担う。
そこから脱糞で生まれるのがお笑いであり、糞尿に罪はないが問題はその位置である。

学校で、職場で、テレビやマスコミの報道ジャーナルで、いじめ、セクハラ、パワハラなど笑いにすりかえて、あたり構わず脱糞されるそのその臭さにいたたまれなり周縁の人間は壊れる。

確かに悪臭は罪にならないが、お笑い芸人はいいかげんにしないといつまでも周縁の人間は黙っていない。

「ウンコ」とは、動物の消化器官から排泄された排泄物のことであり、日本に生息するお笑い芸人の俗称でもある。 黄金。糞。便。同義語に「うんち」がある。 

そもそも、「ウンコ」に罪はない。「ウンコ」を便所から持ち出し部屋に入れたらハエが集るのは当然である。

そもそもお笑いとは「排便」の芸術である。「悪口」、「罵詈雑言」、「小差別」を楽しむ文化であり、弱いものイジメと、面と向かって歯向かえない強者に対しては、コソコソと見えないところで相手を弄るのがお笑いの本質でもある。
また、お笑いとは芸人自らが「糞」としての存在理由を自覚することにより始めて成立する「芸術」だと言える。

今でこそ社会的地位を得た「糞」芸人の分際が、もっともらしい社会的コメントを発するなど、人としては「糞」以下の最も不遜な生き方であると言える。


笑いという芸術は「肛門」であり、お笑い芸人は「糞」である。共に重要なのは間違いはないが、問題はその位置である。
「糞」とは、動物の消化器官から排泄された排泄物のことであり、日本に生息するお笑い芸人の俗称でもある。 黄金。糞。便。同義語に「ウンコ」がある。

そもそも、「ウンコ」に罪はない。「ウンコ」を便所から持ち出し部屋に入れたらハエが集るのは当然である。

ハエは技術者だ。「ウンコ」に卵を産みつけ分解を促進する。

『消化管』は、人間の体の中で最も大きな免疫臓器であり、正常に機能していれば、全身の免疫系のおよそ60~70%は消化管が担っているといわれている。小腸や大腸などは、消化管に入ってきた食物(栄養)を自らの栄養源としているので、消化管に食物(栄養)が入ってこないと、消化管の粘膜細胞が萎縮してしまい、正常な機能を失ってしまう。

食物は口から社会という「消化管」に突入し、工業、農林水産業などの製造業、物流流通業、サービスや金融業など、長い「消化管」を通過していく。そして、社会の血となり肉となっていく。全身の免疫系のおよそ60~70%は消化管が担っているのである。最後尾に文化・芸能・芸術の分野がある。


そして、「ウンコ」は肛門から排泄される。


そして、お笑いという芸術は肛門である。胃や腸などで栄養や水分が吸収され、残った食べカスは、腸内細菌とともに「ウンコ」 となり、排出される。

「ウンコ」はハエたちの力で有機分解され
土に帰り食物の堆肥となり、育った食物はまた口から「消化管」を通って、こうした循環を繰り返してしていくのである。

「ウンコ」の役割はとても重要である。普段は人体という社会の中では何の役にも立たないが肛門を通過するときに一瞬の快感を与える、これがお笑いの存在価値である。

肛門から勢いよく飛び出す様が子供たちにとっては面白くて仕方がない。

「ウンコ」は男子小学生の好きな言葉トップ3に入る言葉だ。 そして、その強烈な悪臭に多くの「数」たちが集ってくるのである。


「ウンコ」は社会の役には立たないが、唯一自然に恩返し出来るものでもある。


自然は、動植物や菌類などの生き物と、それらが生活する大地や海などから成り立っている。そして人は、生物界の一員として食物や資源など、様々な恵みを自然から得て生活している。それならば一方的に恩恵を受けるだけでなく、何か自然にお返しをするのが当然のルールではないか。しかしお金や高価な宝飾品、工業製品などは、自然にとっては何の役にも立たない迷惑なゴミでしかない。人が作り出すもので自然が喜ぶものといえば、それはたった一つ、ウンコしかない。

腐食連鎖では、ウンコや死骸、そして枯れ木や落ち葉を食べる動物がその一部を担うが、最終的には菌類とバクテリアがそれらをすべて腐らせ=分解しつくし、無機養分に戻して土や水に還す。そこからまた、植物によって上りの連鎖が始まり、永遠の命の循環が成立する。このように、ウンコは残りカスではなく、下りの食物連鎖の出発点に立つ、大切な命の源なのだ。

つまり、「ウンコ」は肛門から出たときは終わりではなく、始まりなのである。

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