見出し画像

ファクターX〜命題(3) 新型コロナウイルスの、最大の重症化因子は、「免疫」に対する無理解と無関心である。

画像1

この未知のウイルスによる人類社会の危機は、疫学的、医学的、社会学、そして経済学的にも「免疫」が問題の核心である。



命題(3)                                                                                           新型コロナウイルスの、最大の重症化因子は、「免疫」に対する無理解と無関心である。


医療崩壊を防ぐための命題は2つである。一つは「サイトカインストームを起こさないためには、どうすればいいのか」ということ、そしてもう一つは、「サイトカインストームを起こしたら、どうすればいいのか」ということである。

つまり、医学の入口(末端)と出口(先端)の問題、つまり食と生命の問題であり、その主題は共に「免疫」についてである。

「先端」と「末端」を区別するものは何か? それは、僕たちの意識の中にある。「先端」と「末端」の違いは我々の意識の中にある。「末端」であっても、これを「先端」と感じる場合もある。それはどんな時か? 神経細胞の「末端」が、他の神経細胞に伸びて行く状態を見る時、末端を「先端」のように感じる。実は我々が何かを「先端」と捉える時、そこには無意識に「動的過程」を含めて考えている。

つまり、「先端」とは、「何かに向かって近づく動的過程」を強く意識させる言葉なのである。自分の意識をどこに置くか、目標がどこにあるか、で「先端」か「末端」かが決まる。研究も同じである。ある目標に向かって着実に進んでいく動的過程があり、その中で最も目標に近い部分が「先端」なのである。

僕たちの「先端」とは理想を追求することである。研究者として一人一人が起こすリープフロッグ(跳躍)は、異分野を恐れずに世界中の研究にアンテナを張り、心の豊かさを携えた合理的な自己表現によって、限界まで切り込んでいったときに生まれるとも信じている。

「人には奇妙かもしれない」が、一人ひとりが自分なりの夢を持ちそれを渇望することが変革の鍵とし、新型コロナウイルス以降の人類社会において、現代人の失われた精神性を回復し、人間の生き方を見つめ直し世界を変革する主役になる。〝イノベーション〟により国民のパラダイムシフトを呼び起こし、状況を劇的に変化させることができる。

「免疫学」は極めて高度で複雑な系である。僕たちのような素人の聞きかじりの形式知は通用しない。過去の膨大な経験値や臨床に基づいた学問体系である。アカデミーの文脈で、ウイルスを知るには、通常の免疫反応についての知識が必須であり、結果的に「免疫学」を網羅的、体系的に理解する必要がある。

だが、僕たちはそういう理路はとらない。科学は一定の概念群を所与としたうえで、概念同士をつなぐ関数を創造する営みであるのに対して、ゲイジュツは新しい概念を創造する営みである。そこにはキャズムは存在せず、スペクトラム連続的である。全ての環境は地続きなのである。

免疫学のキャスト(細胞の種類)は非常に多く、きわめて複雑な系を構成している。僕たち門外漢の「知能」では、正しく理解することは不可能であることはもちろん認識している。

だからこそ、僕たちの考える「免疫」概念はいたってシンプルである。僕たちが提唱するのは、「免疫」についての概念であり、決して「免疫学」ではない。
様々な議論が飛び交っているのは、多くの人間が思い描いている「形式知」であって、「概念」ではない。「概念」は、その中にどの様に行動したらよいかを言う「行動様式」を含んでいる。これにより人はいちいち結果をシミュレーションしなくても、自然に行動することが出来る。それに比べて「形式知」は「行動様式」を含まず、単なる「図表」の段階なのである。 

議論において「知識」が強いのは、論理空間の大きさが限定されているからだ。リアルな現実社会では論理空間は無限大であり、何が行われるかわからない。知術の世界ではプログラムにもとづいて「知識」を表現する。それは、データを処理する以前に、前もってどのようなデータかを予測し、いかなる論理にしたがってデータを操作するかのアルゴリズムにより、結果を導き出すというプロセスによるわけだが、良き結果を生み出すのは、過去のプログラム作成時におこなった状況予測が当たった時だけである。もちろん、そうしたアプローチを否定しているわけではないが、僕たちには僕たちのやり方がある。

約100年の間,科学の世界ではウイルスの正体についての見解が何度も変わってきた。最初、ウイルスはまず「毒素」と考えられた。次に,ある種の「生物」と見られ,今日では「生物」と「無生物」の境界領域に存在するものと考えられている。ウイルスは単独では自己複製できないが,生きている細胞の中では複製でき,宿主となった生物の行動にも大きな影響をおよぼす。つまり、ウイルスは生きていると考えるのが合理的であり、これはウイルスと人間との意識の「戦争」なのである。

ウイルスとの「共生」はウイルスと仲良くやっていこうということではない。「共生」とは、この「戦争」と向き合った後の結果であるべきである。「戦争」と向き合いもせずに「共生」ということは、概念行為として成り立たない。

僕たちがこの「戦争」という言葉を使うときには、その意識と責任を負う覚悟を持っていなければならない。本音と建前、現実と理想、過去と未来、そして死後の未来や歴史、テーゼ、アンチテーゼ、そしてジンテーゼ。目に見える戦いがあれば、見えない戦いもある。限られた個体が存在し続けている間が「戦争」行為ではなく、この「戦争」という概念は明滅しながら、生まれ変わり死に変わり、色々な形に変化する。ありとあらゆる現象として現われながら、その〈概念〉はずっと動いている。

そもそも、このコロナウイルスが新型というのは「獲得免疫」にとって新型なのであって、「自然免疫」にとっては新型も旧型もない。ということは、「自然免疫」が活発に機能している人間にとっては、たとえ新型ウイルスに感染しても回復が早い。

従来の考え方においては、「獲得免疫」は感染によって成立するので、感染によって免疫力が強くなるが、「自然免疫」は生まれつき持っているものなので、一度感染しても強くならない、記憶がないということになっているが、最近では、「自然免疫」も、少しは記憶があって、二度、三度、感染を繰り返していると、ある程度は強くなりそうだということがわかってきている。

パラドキシカルに言えば、それは、わからないことがまだまだ多く存在しているということである。僕たちは「免疫」のコントロールについて、学者とはアプローチが異なる。そういう理路を取らない。「免疫」について、いや人間の「命」や「意識」については、多くの不明が存在する。

人間の「免疫」については、数式や公式で解析できるものは実に易し、ところがあるところまで行くと、理屈では解き明かせないものが必ず出てくる。つまり、生命には必ずそういうブラックボックスがある。つまり、生命には「不思議」が存在する。「不思議」は「不思議」であって、決して「謎」ではない。科学者が「不思議」を「謎」と誤解し、もっともらしい「解答」を導き出しても、こうした「謎解き」は、所詮こじつけの「レトリック」に過ぎないのである。


ウイルスと戦う白血球はリンパ球である。リンパ球の一種で自然免疫を担うのがNK細胞(ナチュラルキラー細胞)であり、新型コロナウイルスと戦うのはNK細胞である。
NK細胞がインターフェロン-γでマクロファージを活性化し、ウイルスを攻撃するマクロファージを誘導し、NK細胞とマクロファージが強力な自然免疫の共同戦線を作ることで免疫を誘導することが出来ているのである。

「自然免疫」で処理出来なかったウイルスに対しては、防御機構として「獲得免疫」が働く。「獲得免疫」には細胞傷害性T細胞が直接細胞を攻撃する細胞性免疫と侵入した抗原に抗体が作用する体液性免疫が存在する。
「自然免疫」は異物が入ってくると真っ先に攻撃するのに対して、「獲得免疫」は特定の異物を攻撃する抗体を増やして強力な一斉攻撃を仕掛ける。また「獲得免疫」には一度攻撃した異物の情報を記憶するシステムがあるので、退治した異物に対する抵抗が身につくという特徴があるとされている。

日本人の腸内細菌は、食物繊維などを食べて「酪酸」など“免疫力をコントロールするような物質”を出す能力が、他の国の人の腸内細菌よりずば抜けて高かいと言われている。つまり私たち日本人の腸には、「鉄壁の免疫力」を生み出す潜在能力が、誰にでも受け継がれていると考えられる。

僕たちの腸管には「免疫」の働きを担う細胞や、侵入者と直接戦うたんぱく質である抗体免疫グロブリンA(IgA)の数や量はからだ全体の60%以上が存在しているのである。
また、最近の研究においては、結核ワクチンであるBCGを投与すると、結核とは関係のない感染症が子供で減ることがわかってきており、BCGは「自然免疫」を刺激するもっとも強力な物質なので、マクロファージのもととなる細胞である単球という「自然免疫」細胞に働いてエピジェネティックな変化を起こし、このために単球の生体機能が高まり、「自然免疫」が強化されたことにより、他の感染症もある程度防げるようになったのではと考えらている。

生体のほぼすべての組織には恒常的にマクロファージが存在する。これらのマクロファージは組織に存在するシグナルに応答することによりさまざまな機能および形態を示し、組織における恒常性の維持に寄与する。しかし、この組織マクロファージの多様性を制御するシグナルの実体はほとんど明らかにされていないのである。

画像2


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?