2023.2.28

最初は毎日書いていても、こうして3日に1回、1週間に1回、と減っていく。
のは、ある種日記を書くことが今の自分にとって自然なことがらになったということなのだろう。ということにしておこう。

胸が痛むことがあってそれは胃痛となって身体に残っている。弟が死んだ時も、しばらく鳩尾に大きな穴が空いた感覚が取れなかった。
感覚器官が感知した刺激が脳へ行きそれが痛いとか美味しいとか臭いとか判断していると思っていたけど、最近は身体(脳は含まない)が全部それをやっているんじゃないかと感じる。なんというか、身体はそれ自体が人格を持っているような。筋肉にも記憶があるように感じることもあるし。そういう意識で生きている人もいるんだろうし、それが前提のボディワーク的なものとかもあるんだろう。精神偏重傾向の現代はそれ自体が心身を二元化してしまいかえってこじらせを強化している気がする。もっと身体に降りてくればいいね。

この辺りは絶妙に都会へのアクセスが良いが居るのは老人ばかり、という郊外と村落の間みたいな土地なのだが、日本国民の平均年齢より若年の私がノーマスクで歩いていると、まじで誰もいない屋外でガッチリマスクをしてふらふら歩いている老人に凝視される、あからさまに避けられる、という事態にしばしば遭遇する。もう軽蔑や呆れを通り越して憐れみの念がわいてくる。棺桶に入ってもマスクしてろよな。と思いながらすれ違う。
視野が狭くて信じやすく適応力や受容性が高く、無意味な教育システムで既に洗脳済の日本人を徹底的に管理するのは、それは簡単だろうな。といつも思う。もう日本は無理だろう。いろんな分野が大体終わってる。少数が頑張るとかそういうことではどうにもならない。でもこれが自然な姿だと思う。栄枯盛衰諸行無常。自分が世界全体を予定通りに管理しながら運営していく立場でも同じように人口削減したり洗脳したりするだろうし。彼らも仕事なんでしょう。どこまで行っても。
それでも今日も花は綺麗だし飯はうまい。それでいい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?