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『無色のしあわせ』⑨/⑳

まだ太陽は見えないが空は徐々に白んできている。
あのコロルと呼ばれている少年が気になり、いつもより早く起きて図書館に向かう。
空には真っ白な月が、今夜の役目を終えて申し訳なさそうに佇んでいる。

昨日の手のケガはちゃんと手当したのだろうか。
夜や朝は何か食べているのか、ちゃんと寝て疲れは取れているのだろうか。
あの占い師はコロルが一人で生きていると言った。
両親のことも知らずに。
ボロボロの服で、教会の鐘を掃除して生きている。
私に何かできることはないか。

彼女は自分の昼食にする予定だったサンドイッチを作り、コロルに渡すため絆創膏と共に包んだ。
図書館の前で待ち、コロルを待つことにした。
今朝はあの占い師は見当たらない。
夜の間に雨が降ったのだろうか、周囲に水たまりができている箇所がある。
空気は少し湿り気を帯び気温は肌寒い。
こんな中でもコロルは今日も鐘を掃除しているのだろうか。

図書館の前に立つ彼女の前を、微笑を携えながら修道女が何人か通り過ぎた。
一人で佇む彼女に声をかける人はなく、静かに、足音もさせずに修道女たちは歩き去っていく。
教会の屋根からハトが一羽飛び立っていった。
もうすぐ朝がやってくる。

すると狭い路地から出てくるコロルの姿が見えた。
彼女はすぐに気が付きコロルに駆け寄った。
少年が彼女に気付いた時にはすぐ目の前に彼女の姿があり、彼の左腕は彼女につかまれていた。
少年には腕をふりほどくほどの力はなく、ただ怯えるように彼女の顔を見上げていた。

「大丈夫?急につかんでごめんね。でも安心して。あなたを助けたいの。」彼女は腰をかがめて少年の目線に合わせて、必死にしゃべった。
少し早口になっていたかもしれない。
心配する気持ちが一気に溢れだしていた。

少年は声も出さず、頷くこともなく彼女の顔をじっと黙って見つめていた。
「これ、サンドイッチ。あと絆創膏。手、ケガしてたでしょ?」
少年は自分の右手を見てケガを思い出した。そして手のひらをじっと見つめた。
「貼ってあげる。ちょっと待って。」そう言って彼女は、絆創膏をコロルの右手のひらに貼った。

少年は彼女にされるがまま、自分が何をされているのかわからずにただ、絆創膏を貼られる自分の手のひらと彼女の顔を交互に見ていた。
「絆創膏少し小さかったかな、でも貼っておけば少しは違うよね。」コロルの手のひらに絆創膏が貼られ、「よし、これで大丈夫!」と彼女は言った。
彼女の顔をじっと見ていた少年の表情はこわばり、怯え、今にも泣きだしそうだ。

「いきなり色々しちゃってごめんね、でもあなたが心配だったの。お腹は空いてない?」彼女の言葉は相変わらず早口になっていた。
「おなか」と彼は、か細い声で絞り出すように言った。
「うん、おなか。空いてる?これ、サンドイッチ食べて良いよ。」彼女は包みからサンドイッチを取り出して言った。
「だめ。だめ。」
「だめ?サンドイッチは苦手だったかな。」
「だめ。センセイだけ。」
「センセイだけ?センセイだけしか、なんだろう。食べ物をもらって良い人?それとも、お話ししちゃダメって言いたいのかな。」
少年がゆっくりしゃべるのに合わせて、彼女もゆっくりしゃべると、彼女の言葉にコロルは小さく頷いた。
センセイ以外としゃべってはいけない、とセンセイから言われているらしい。
私とこうして話すことも本当はいけないことなのか、彼はセンセイと呼ばれる人とのそのルールを、たった今破ってしまっているようだ。

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