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フェルメールを所有した時のはなし

先月、上野の東京都美術館に行きフェルメールを見てきました。美術館は昔から好きなのでたまに行きます。

美術館の何が好きかというと、絵とかアートとか観ながら、へ〜とか、なるほど〜とか心の中で言いながら、その空間にいる俺は今まさに美術とか見てるね〜凄いね〜とか、分かったような顔をした自分がそこにいて、そんなのを全部含めて美術館の空気感が好きです。

コロナになってから事前予約が増えてきたので、お客さんも多すぎず、少なすぎずという環境で観ることができる。

所有:自分のものとして持っていること

ふと、絵を見ているとたま〜に、たま〜に、その絵を一人で見ていることがある。両隣に人がいない状態だ。気配で分かる。確実にその絵を俺一人しか見ていない状態だ。

これって、凄くないですか?

この瞬間、このフェルメールは世界中でたった一人、俺しか見ていない。俺だけが観ている。この瞬間この絵は俺のためだけに存在している。この世でこのフェルメールのオリジナルの絵は世界で俺しか見ていない。
たった3秒くらいかも知れないが、

3秒間、俺はフェルメールを所有したのだ。


本とか複製は世界中でこの瞬間でも見ている人はいるだろう。
しかし今オリジナルを見ているのは世界で俺だけなのだ。(3秒間)

これって映画とかスポーツとか音楽とか漫画とかには当てはまらない事で、原画やアートにだけ起こりうる現象だ。

上野に来て2100円を払った甲斐があった。
フェルメールを所有したのだから。(3秒間)

もし買ったら、何百億円とかするでしょうに。

それなのに俺はフェルメールを所有したのだ。(3秒間)

ヨハネスもよん

おっと、つい口癖でファーストネームで呼んでしまった。

フェルメールも400年後に日本人に所有されるなんて思ってもみなかったでしょうに。
自慢出来ることが一つ増えた。



という妄想をしないと生きていけない