『ぼっち・ざ・ろっく!』という作品

さきほど、とあるイラストレーターさんの雑談配信でも流しつつ、絵でも描くかーと筆をぐりぐり動かしていたわけですが、その中でこんな発言が聞こえてきた。
「今季のぼっち・ざ・ろっく!の人気に納得いってないんだけど、あれそんな面白かったか?」
すぐに話題は移り変わったのでそれ以上の意見は聞けていないのだが、なるほど…いくら人気作品といえど、感性が合わないと面白い部分がわからないのであろう。
確かに、ぼっち・ざ・ろっく!(以下ぼざろ)はそこそこ狭い層に向けて発信されたメッセージを孕むものだと思う。そのメッセージはいわゆるオタク層とめちゃくちゃ親和性が高いのもまた事実ではあるが。
色んな視点から見ても、面白さをご理解いただけない場合は多いだろう。ぼざろに共感した1オタクとしての意見を綴らせていただければと思う。

まずそもそも、友達、欲しいか?という点が最初の分かれ目となるのではなかろうか。
前述のイラストレーターさんとは別に深い付き合いがあるわけでもなし、インターネットで見かける人以上の認識は無いのだが、少なくとも表面上は、友達と共にだらだら過ごしたいみたいな欲は薄いように見える。効率を重視し、質の高い意見交換ができる仲間は欲しいが、ただ雑談をして時間を浪費するような趣味は無いのではなかろうか。まぁ雑談配信をしているくらいだから雑談の楽しさがわからないわけでもないとは思う。かといって雑談をしながら仕事も進める、くらいはしているように見える。
ぼざろは大前提として、友達づくりの話だ。友達と共に、欠点をなんとか克服しようと足掻いたりする物語。友達づくりも理解できなければ欠点を克服するために足掻くなどといった精神的な一面も理解できない場合は面白さが伝わるはずがないのである。
ハッキリ言ってまったく理解できない方々から見れば、ぼっちちゃんはとにかく奇行を繰り返す、気持ちの悪い意気地なしのように見えているのではなかろうか。
まぁ奇行ではあるし意気地無しでもあるのだが、しかしそれが共感を呼んでいる。多少デフォルメは入っているものの、理解できる者からすれば理解できる範囲の奇行なのだ。

まず友達づくりの話から始めよう。
なんで友達を作ろうとするの?と聞かれたら。
そりゃ人間の本能だから、と答える。
群れるのが人間の本能だ。群れの中で仲良くやるか、勝ち上がるかはその人の性格・気性による。ぼざろは前者、仲良くやっていく方向の話だ。
群れたくない人も居るだろう。他人と関わりたくないといった第三勢力。その場合はなんらかのトラウマを抱えている場合が多い。生まれた瞬間から孤独を愛していたなんてことはないはずだ。

問題はこのトラウマ。精神的な一面、の方だ。
このトラウマというやつ、そういった傷を負ったことの無い人間にはまったく理解できない。心の傷ってやつはマジで他人には理解されないのだ。
なんでうじうじしてんの?さっさと効率よく動いたらいいがな、みたいなことを平気で言えてしまう。
色々すっ飛ばして言うが、気力を殺されたことのない人間は気力を殺される恐ろしさがわからない。
なんで?頑張りゃいいじゃん?とか言えてしまうのだ。そもそも頑張ることができない恐ろしさを知らないから。
いやもちろんうだうだ変なことは考えず、やりたいことに向かって突っ走るのが一番良い。そりゃ本人もわかってる。当然それができるならそれが一番良い。
しかしそれができないのはトラウマがあるからだ。いわば防衛本能と言ってもいい。失敗した時の恐怖などが脳裏をよぎり、行動を阻害する。失敗した時のリスクを考えてしまうのは、成功体験が無かったりするからだ。実際やってみたら案外なんとかなることは確かに多い。しかし早くにトラウマを負った人間は、人生を防御の方向で生きるので成功体験が格段に少なくなる。案外なんとかなることを知らずに生き続けるのだ。
さっさと克服したいのだが、簡単に克服できるほどトラウマってものは甘くない。少なくとも心の傷を上回り、中和できるくらいの経験や知識、それによる自信などが必要になってくる。

ぼざろアニメを見ていてビビり散らかしたのは5話中盤。夜の帰り道、ぼっちが自販機の前で伊地知虹夏に呼び止められるシーン。
虹「ぼっちちゃ~ん!」
ぼ「!」
虹「ごめんごめん!驚かせちゃってー」
ぼ「あ、いえ…」
虹「コーラでいい?」
(自然な動きでそのままコーラを奢ろうとする虹夏)
ぼ「え?あ、えええ?え?あ、はい?」
(ガコン)
虹「はい!」
ぼ「あ…ありがとうございます」

お分かりだろうか。私はビビリ散らかした。コミュ障のコミュ障たる一面をこんな正確に描くか…!
この、「え?あ、えええ?え?あ、はい?」の心境を書くならば、コーラは欲しい。でも悪い気がする。そもそもそんな自然に奢るなんてことある?もらっていいの?でも断ったらそれはそれで空気壊すんじゃ?みたいな動揺が一気に押し寄せてきた結果だ。
つまり、この状況に対するアンサーを知らないのだ。人とあまり関わって来なかったから。断っていいのかもらっていいのか、どちらの選択肢をとっても巡り巡って怒られそうな、そんな不安からの動揺だ。
大前提として、常に予想もしていなかった角度から怒られるかも、とビクビクしているとこのようになりがちだ。不安で、おどおどした態度で生きていると余計に怒られることも多くなる。成功体験どころか失敗体験を積み重ねていくことになる。
そんなぼっちの世界観では、この時点で怒られないという答えは出せない。経験が足りておらず、怒られない、と言い切れるまでの根拠を持っていないし、なんならむしろ怒られた経験のが多い可能性すらあるのだ。

ちなみにこのシーン、アニメオリジナルである。原作にはないシーンで、このシーンに続く「本当の夢は先にあるけど、まだ秘密だよ」といったセリフは原作にもあるくせに自販機のシーンだけわざわざ足している。
このアニメスタッフ、どうやらそもそも作劇が上手いらしい。
原作にないシーンを足したり、切ったり、順番を入れ替えたり、結構色々して原作をより面白くしている。
作劇やアニメについてのロジックは私はあまり学んでいないので、そこは批評家界隈などの話を聞いてきてもらいたい。

ぼっち・ざ・ろっく!。
これはただ奇妙な女の子を描いた物語、というだけではなく、奇妙奇天烈がゆえにむしろ強い共感を呼ぶ作品だった。その奇妙さには根拠があり、共感できる人間はたしかに居るのだ。
そういった女の子が、彼女の精一杯の努力によって成長していく様は確かに面白く、心を揺さぶられるものだった。
この文が多くの人間に共感はされなくとも、なんとか理解するための一助となれば幸いだ。

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