呼吸と同じくらい大切な習慣
毎日欠かせない習慣と言えば、私の場合「祈り」という答えになります。
何かと慌ただしくなりがちな日常生活において、まず一呼吸。
これが私にとって祈りの意味だと感じています。
数十年生かされて来た命の中で、私自身の培った知恵や知識、経験はたかがしれています。
「自分を信じろ」と声高に言う人の多い現代ですが、本当に自分なんてそんなに信用できる存在でしょうか。
少なくとも私自身は違います。
物事が上手くいったある日は、元気で多少の困難も苦にしないで笑顔で過ごせますが、アクシデントが重なったある日は、何をしても重だるく家族に暗い表情を見せてしまう…
セルフコントロールという言葉も、大きな不幸に遭っている人には使いたくありません。
泣いたり嘆くのが当然の場面も、人生にはあるからです。
自分で自分を管理するなんて、何か傲慢すら感じます。
そうした自我をまず脇に置くという選択ーそれが「祈り」という行為につながります。
祈ることで、心を悩ませていた問題の解決が突然浮かんだり、忘れていた大切な事を思い出させてもらったり、神に感謝を捧げることで、心に大きな安らぎとゆとりが生まれます。
今回は、世界的ベストセラーでありロングセラーの書物ー聖書から、私たち現代人が忘れがちな「一番大切なものを優先する心」をご紹介します。
世界的に有名になった姉妹の対比図
ルカ書10章から見ていきましょう。
イエスとその弟子たちが宣教の旅の途中、信仰深い姉妹マルタとマリヤの家に迎え入れられる場面から始まります。
「さて、彼らが旅を続けているうち、イエスがある村に入られると、マルタという女が喜んで家にお迎えした。
ところが、マルタは、いろいろともてなしのために気が落ち着かず、みもとに来て言った。「主よ。妹が私だけにおもてなしをさせているのを、何ともお思いにならないのでしょうか。私の手伝いをするように、妹におっしゃってください。」
主は答えて言われた。「マルタ、マルタ。あなたは、いろいろなことを心配して、気を使っています。
しかし、どうしても必要なことはわずかです。
いや、一つだけです。
マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」(ルカ10:38-42)
みんなのマルタ
昔から多くの礼拝説教で、家庭で、マルタとマリヤを対比した話が語られて来ました。
教会では「マルタのようにではなく、マリヤのように生きなさい」と勧められる事が多いです。
しかし一般の人がここを読むと「マルタの何が悪いのか」と首をひねるかも知れません。
またクリスチャンであっても、殺伐と雑事に追われた生活を送っている時は、誰しもが「マルタ」になり得ます。
※ちなみにここで登場するマリヤは、ベタニアのマリヤと呼ばれ、イエスの母マリヤやマグダラのマリアとは別人です。
(マリヤという名前の女性は沢山いた)
マリヤは大変霊的に鋭い女性で、付き従っている弟子たちさえ中々理解出来なかった「イエスが十字架上で死に、復活するために来たメシアである」という真実に、いち早く気づいていました。
それゆえ彼女はある食事の席に、ナルド油の入ったつぼを持って来てイエスの頭に注ぎ、イエスの足にも注いで自分の髪でぬぐいました。
当時、足にナルド油を塗るのは埋葬する時の習慣でした。
壺のナルド油は現在の価値で言うと、300万円程する非常に高価な品です。
罪深い生活をしていた自分をゆるし聖めて下さったイエスへの深い感謝と、間もなく十字架で死ぬイエスの埋葬の準備を、彼女は前もって行動で示したのです。
多く赦された者は、多く愛する
ベタニアのマリヤは、おそらく娼婦生活をしていたと言われています。
多くのユダヤ人に後ろ指刺されていた自分を赦し、罪と無縁の新しい人生を与えてくれたイエスを真心から慕っていたマリヤは、マルタが忙しそうに弟子たちの世話や食事の用意など、現実的な働きに奔走しているのと対極的な姿勢
ーただイエスの隣に座って、神のみことばを学ぶ
それだけに専心したのです。
もちろんマルタの働きそれ自体は良いことです。
ですが人生で一番大切なものを見失うほど、雑事に追われてしまっていたらどうでしょう。
この時すでに、イエスが十字架に掛かり天に帰るタイムリミットが近づいていました。
霊性の高いマリヤはそれに気づいて、何よりも大切なイエスのそばにいることを選択したのです。
あなたにとっての「一番大切なもの」
みなそれぞれに人生で大切なものがあると思います。
ある人にとっては、仕事、家族、家、愛、健康、お金…等々
しかし 一番と言ったら何でしょうか?
「家族」ー愛する人のことが思い浮かぶのではないでしょうか。
また、人生の最終地点「死」が近づいている時点においては、お金や物質的な事より、精神的な安らぎを欲するのではないかと思います。
ですが最終地点に着く前に、日々の生活の中で、一見代り映えしないと思われる毎日の生活の中で「いつも身近にいる尊い存在」に感謝して祈るーこの一呼吸が私たち人間存在を、世の中の様々な苦しみから解放する力を持っていると聖書は教えています。
私たちも、仕事や日常生活を快適に過ごすため、掃除したりシャワーを浴びたり、やらなければならない事はたくさんあります。
それでも、忙しい時ほど、我に返って、一呼吸。
「主よ 今日も新しい一日を感謝します。
愛する人を与えて下さり感謝します。」
あなたの祈りが、心に潤いを与え、人生が豊かにされますように。
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