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雑記その3、自分にとって、底が知れぬほど面白い作品

と遭遇した際、人間はどう反応するか。

『おもしろいと思う』『おもしろいって言う!』『レビューする!』

『作品に感謝する』『作者に感謝する』『人生に感謝する』

『伝道する』『自分の考え方・行動が作品に影響される』、等

色々あるだろう。人によって様々で、感性によってその反応は短期においても長期においても多岐に渡ると思われる。しかし、それは余裕ができた後に人の反応だ。

自分にとって、底が知れぬほど面白いものに遭遇した人間が、最初にどう反応するか。

これは大体において共通している。

まず、正気を奪われる。
底が知れないほどに面白い作品を見た者は、某神話にある深淵を覗いて狂ってしまった人のように、1人の人間、個として意識的に積み上げてきた自分の創作に対する行動規範が奪われ、思考の全てが埋め尽くされる。
面白いからページをめくる』という、ある種上位者としての読者の立場で読むことはもはや欠片も許されず、何も考えられないままにただ読み続けることが強制される。むさぼり続ける。手元のそれを喰らい続ける。味わう余裕もなく喰らい続ける。無心でむさぼり、喰らい、飲み下し……時間を経て、ようやく脳が認識する。ああ、俺はこの作品がたまらなく好きなのだと。

次に恐怖に駆られる。
ここでいう恐怖とは作品が完成しない・または完成しても自分が見れない恐怖である。
これは作品の媒体(紙媒体か電子媒体かネット媒体(ネット小説)?か等)、状態(未完か完結か等)、作者(エターナルしそうかしなさそうか等)によって恐怖の度合いは変わるが、仮にネット小説未完、そして円環の理に導かれがちな作者と最悪の三拍子が揃った作品に魅入られたものは高確率で真の絶望を知ることになるだろう。(ネット小説のエターナル率が全体で見た場合とても高いのは周知の事実)
他にも運営や作者自身による作品の削除などもあるだろう。
では、作者が物書きとして高い練度を誇っており、エタる・削除される確率が低いと思われる場合は安心できるのか?
できるわけがない。
たとえ作者が慈悲深くも作品を完結☆全編アップロードしてくれていて自分がその全てのバックアップを取ったとしても安心できるわけがない。
(無論、だからといってバックアップを取らないのかと言われればそりゃ取るけども)
なぜなら、自身の正気を奪うほどの作品を書いた作者の次回作に期待しないものなどいない。ゆえに結局読者は作者がこの世を去るまで(未完のままでお亡くなりになった場合はあったかもしれない未来に涙をながしつつ)、この恐怖に捕らわれることになるだろう。

最後に、しばらくの時間を置き、ようやくあなたはおもしろいと感じる。
ああ、ここまできてやっと個人の創作に対する感性が戻ってきたのだろう。個人はたった今読んだ作品がいかに面白いのか、どうしておもしろいのかに対する思考を巡らせる余裕を獲得する。
正気に戻る。理性を取り戻す。なぜそれができるのか?
慣れだ。もしくは時間とも言えるだろう。
消えない感動などない。人生を変えるような出会いにも人は慣れることができる。時間は偉大であり、その流れはこの世の全てを風化させる。底なし沼にも実際には底があるように、作品を読んだ直後の無限とも思えた情動は、いずれ脳が制御できる程度に収まるだろう。(……まあこれはあくまで俺の知る限りの話であって、世の中にはそんなものもあるのかもしれないが。しかしあったとしても恐らくは極少数に限られると思う。)
勘違いしてはいけないのは、これは時間の呪いなどではなく、正常な人間の機能であるということだ。祝福と言ってもいいかもしれない。俺はいくつか、作品を読んで涙を流す程度に感動した経験があるが、読んだ時点の感情が永続した場合、俺の涙腺は1日も持たずにズタボロになって機能不全確定。加えて身体中がヤバイ薬を打ったみたいに震えていたので一生人目のある場所にはいけまい。それ以前に精神力と体力の消耗が非常に激しいのでたぶん1週間くらいで死ぬんじゃないだろうか。

脱線したので話を戻してまとめる。
時間を経て落ち着いた読者はようやく作品を冷静に見つめ直すことができるようになる。ここまで来てようやく冒頭の『作者への感謝』や『伝道』を始めるのだ。それまでに狂気恐怖時間を経てきたわけだが……まあ普段あまり意識しない部分かなあと思う。意識したとしてもできることがないので考えることがないのだろう。
狂気の中にいることを意識できても抜け出したいわけじゃない、恐怖であることを意識してもそれを解消する術はない、時間は意識関係なく過ぎる。じゃあなんでこんな話をしたのかというと最近そんな作品がPON☆と出てきたからちょっと思いの丈を……こう……ね……?(語彙不足)

以上である。ご清聴感謝だ。
この話を聞いたからと言って特に何かが変わることはないだろうが、まあ今の俺のように『目の前に読んでいない状態の底が知れぬほど面白い作品(作者が信頼できる等の理由)』がある場合、読み始める前に覚悟を決めることができるかもしれない。(述べたように読み始めるともう止まることは出来ないので仮に作品が長編の場合は精神力と体力と時間を非常に使うことは間違いない)
今から自分の正気がなくなると、知っていながら自発的にページをめくるのと知らぬままページをめくって無自覚に狂気に落ちるのと、どちらがいいかはそれも人によりけりだとも思うが……。


※ちなみに俺は今読み始めると人生がチェックメイト(王手に非ず)されるのでまだ読むつもりはない。
P.S.話題が五里霧中で文章が雲散霧消しているが読解の訓練だと思って読むがいい……いえすいません反省してますん次はもうちょい読みやすくしますんで勘弁してくだせぇ(汗


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