天国のドア、黒服の人

また祖母の姉妹のひとりが逝った。この数年入院していたから、まあ覚悟していたことだけれど。私が幼い頃、優しくしてくれた記憶が多くあることや、母と、亡くなった姉妹の娘が仲が良いので、告別式に参列しようと思っている。通夜にしたかったが、夫の仕事の都合で難しそうだから。

地元での告別式、というものに、幸か不幸か、祖父母亡き後、参列する機会がなく、久しぶりになる。告別式じゃないほうがよかったのは、祖父母のときと同じ火葬場で、天国のドアが閉まるのを見るのが辛いから。地元の火葬場は、亡くなった人が炉に入っていったあと、ゆっくりと自動で、装飾されたドアが閉まっていく。祖父母のときのその光景が、今でも脳裏にこびりついていて、それを実際にまた見るとなると傷口をえぐることになるのが間違いないのをわかっているからだ。

とはいえ、一応この地の代表として、幼い頃優しくしてもらった恩などもあって、最期に顔は見ておきたい。すでに肺炎で飛ばした予定たちで奮い立たせるつもりだった気持ちはしょぼしょぼなのだけれど、そうも言っていられないだろう。

そんな不安を夫にちょっぴりこぼしたら、一笑されてしまった。二人して暗くなっても余計に辛くなるから、と言い訳がましく言っていたけれど、所詮夫婦といえども他人なのだ。祖父母のときにそこにいなかった人に、あの天国のドアの、どうしようもない拒絶感や骨を拾うときの気持ちなどわからなくても仕方がない。

喪服や香典を用意しなければ。ああそうだ、ついでに片道切符もそろそろ手入れしておこう。次はうちの魔女の番なのかもしれないから。

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