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名も知らぬ忘れられない人たち

/バス停のおじさん
社会人1年目の営業。全く上手くいかなかった。
上司もいない、先輩も指導係もいない、「はい。明日から取引先、回って来て。」と投げ出され、名刺の渡し方もアポの取り方も知らないあまりにも世間知らずな新人。明らかにあしらわれているだけの取引先の人たちとのやり取り。悲しくて、悔しくて、情けないし、今すぐどうにも出来ない、はがゆさの途方にくれ、バス停で動けなくなってしまった。
誰とも目を合わせないようにしてたのに、おじさんが話しかけて来た。
「社会人1年目だ?」「、、はい。」「大変だよな。」そうおじさんは続けたけど、もうそれに返す言葉も元気もなかった。スっと席を立っておじさんがいなくなった。私はまた何処を見るでもなく存在を消すかのように押し黙っていた。「はい。これあげる。」戻って来たおじさんはコンビニのソフトクリームを手渡してくれた。「いいよ、上手くいかないよ最初はさ。でも頑張ってるよ。いいんだよ。それ食べな。」喉の奥が一気にあつくなって、なんとか声をだして震える手で「ありがとうございます。」とお礼を言った。


/3人組のおばちゃん
父との喧嘩が家内で収まらず、ついには道路まで2人とも飛び出して揉み合いになったことがある。最終的に父は私が履いていたパンプスを両方奪い、私を裸足にすることで家に連れ帰ろうという作戦をとった。しかし、興奮している私がそれで収まるはずもなく、裸足のまま泣きながら道路を徘徊した。真昼間だっただけに、小学生でもない成長しきった女の子が、ボロボロで歩く様は異様だっただろう。しばらく歩いて疲れたので小道に座り込んだ。すると、裸足で泣きじゃくっている私に、3人組のおばちゃん達が話しかけてくれた。「大丈夫?おばちゃんたち、3人もおるけんね。」「大丈夫よ。3人もおったら何とかなるんじゃけ。」「心配せずに何があったか言いんさい。」「助けがいる?どうにかしてあげれること、ある?」
実際はただの親子喧嘩だ。でもおばちゃんたちには事件っぽく感じられたのだろう。関われば危険がふりかかるかもしれないのに、それでも声をかけようと3人は決めてくれたのだ。それが嬉しくて、この街に住めることが幸せだと感じた。


/屋久島の人神さま
きっと神様のいらっしゃる島だな。そう感じずにはいられない屋久島。
中でも、牛床詣所には呼ばれている気がするので、入島のおりに必ずご挨拶に伺う。土地に足を踏み入れるということは、人様のお家にお邪魔することと同じだ。その場を守りつづけてくれているお礼とお邪魔しますとご挨拶に参るのだ。いつも綺麗に管理されていて、地面をホウキで掃いた線すらも整然としている。お塩とお酒、地元のお供物もかかさず添えられている。ある時、いつものようにご挨拶し帰ろうとしたところ、いつからそこにいらしたのか不思議だが、場所のお掃除をなさっているとお見受けする男性に声をかけられた。「神様にお願いはされましたか?」『いいえ。ご挨拶だけ。』「きっと願いが叶いますよ。お願いしていってください。」これは初めてのことだった。人に神様へご祈願をすすめられる。普段は「こんにちは。お邪魔いたします。ありがとうございます。」の御礼とご挨拶だけなのだが、この日はもう一度、神様にご挨拶し直した。振り返ったとき、手を合わせ、にこやかに笑っているその男性をみて「神様が降りてきてくださったんだ。」と納得したことを覚えている。


/ランニングを応援してくれた初老の男性
夜の賑やかなイメージがある六本木。そんなミッドタウンの裏に檜町公園とミッドタウン・ガーデンからなる公園が広がっている。実はちょっと穴場なジョギングコースだ。全長1.3キロほどで、何周かすれば軽い運動にちょうど良い。朝の早い時間は人がいない点が最もお気に入り。公園内にある池をながめて、美術館の横を通り過ぎる、出勤してくるサラリーマンもまだ見かけない。クラブの立ち並ぶドンキホーテ付近では、まだ夜の続きのゾンビたちが路上に横たわってるが、ここまでは足を伸ばしてこない。六本木のイメージに朝の静寂があることを知るものは少ない。この静けさの中、ジョギングすることが好きだった。公園内で道路の排気ガスを吸うこともなく、芝生の緑を楽しむ。「あと1周でやめよう。」そう決めて走っていると、ハンチングを被った品のいい初老の男性が向かいから歩いてくるのが見えた。ちょうどすれ違う寸前のことだった。その人は立ち止まって両手でガッツポーズを作って「美しいですよ!頑張ってください。」そう声をかけてくれた。朝の静寂と思わぬ突然の応援で、嬉しくなり、あと1周の予定が3周してしまった。

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