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色褪せない輝き

誰にでも"あの頃は輝いていたな~"と思う瞬間はあるはずだ。

小学生の頃の友達との何気ない時間

中学生の頃の部活動

高校生の頃の甘酸っぱい恋愛や大学受験

大学生の頃のゼミでの研究の時間や何気ない日常

社会人生活での多くの経験

私にとって輝いていた瞬間は振り返ればたくさんある。

そのどれもが自分にとって素敵な思い出に違いない。

しかし、その輝きの中には色褪せてしまい、何が魅力だったのか思い出せないものも…

色褪せてしまう輝きと色褪せない輝き

この2つはどう違うのだろうか。

2つの事例をあげて考えてみる。

まず、私にとって色褪せてしまった輝き【前部署での仕事】

私は昨年新卒で入社した会社で新規事業の立ち上げのメンバーに選ばれた。

初めての仕事、慣れない環境、反りの合わないメンバーの中、自分なりに色々考え、試行錯誤をして、何とか事業立ち上げを果たした。

そして、立ち上げ後も運営メンバーとして、現場に残り、1年目にしては責任のある仕事を任され、プライベートも仕事も垣根なく働き、担当イベントを通して、月の最高売上を更新するなど、結果を残すことも出来た。

そこで働いていた自分は輝いていたとは思う。

しかし、今振り返れば何が楽しくて働いていて、何を目的に生きていたのか全く分からない。

どちらかと言えば、自分の身を削っていることから目を背け、楽しいと自己暗示をかけていたのでは…とまで思う。

では、色褪せない輝きはどうだろうか。

私にとって色褪せない輝き【大学のゼミ】

入学して以降ずっと憧れていた先生のゼミへ高倍率を勝ち抜き、合格を果たし、先生に認められたい、良いゼミ生活を送りたい一心で昼夜問わず論文執筆のために時間を割いた。

昼はみんなで集まってディスカッションをし、夜は考えをまとめ、論文執筆をし、翌日先生に見せては一蹴され、またディスカッション…

同じことの繰り返しを2年間続けたが辞めたいともしんどいとも思わなかった。

あの瞬間があったから、今の自分の基盤があると思う。


この2つの事例。

どちらも身を削って目の前のミッションに取り組んでいたことに違いはない。

しかし、大きく異なっているのが【私である】ということだ。

新規事業立ち上げに関しては、会社の方針に従い、会社が求めている場所をつくることが良しとされていた。

すなわち、大人しく従う人間であれば、誰でも良い。

一方で大学のゼミでは、私という人間がその事象に対してどういう意見を持っているか、その意見を政策という形にするにはどういう手段が良いと思うか…と自身の考えや価値観を問われることが多かった。

また、私という人間と真っ向から向き合ってくれる人がいた。

そして、その人は私の人生にとって必要不可欠な存在になってくれている。


あの頃のあの瞬間が色褪せるか色褪せないかは、自分の捉え方次第に違いないが、私にとって【私である】という価値観がいかに重要か、これまでの人生を振り返り、輝きを通して実感することが出来た。


今、社会人2年目を迎えたばかりの私はある分岐点を迎えている


【私である】という大切な価値観を基準に分岐点をどう進んでいくか考えていきたい。

そして、私の人生にとって必要不可欠な存在になってくれた仲間、社会人になって新しく出会い、これからの人生の師匠と仰ぎたい2人の先輩と楽しい議論ができる道を進みたいと思う。

さぁ、次はどんな気付きを自分の中に見つけられるか楽しみで仕方ない。

上記にある社会人生活で出会った2人の師匠の話、その2人と出会って考えが広がった瞬間の話もこれからゆっくり時間をかけてまとめていきたいな。



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