見出し画像

ちょっと重い話になってしまうかも

小学校一年辺りで時計の見方を習うと、時間割やテレビ番組の時間を意識するようになることで、ここから死ぬまで時間に縛られながら一生を過ごすことになる。生前に時間から開放されるには呆けるしかない。
記憶とヨダレは垂れ流し放題な上に、括約筋の活躍もなくなり時々パンツの中におしっこの一滴も垂らしたりする。弛みもなかなかのものでニワトリの顎にぶら下がった肉垂のように顎の下の肉は垂れ下がる。
ものごとを理解するのに時間がかかり、話を聞いていても若者たちの早口は聞き取れず何を言っているのかさっぱり解らないし、年寄り同士の会話も舌が回らない上に喋っている本人がいったい何の話をしているのか分からなくなってくる始末。
疲れてくると思考も鈍り、初期アバターではないが表情が全く無くなる。
街なかでばったりと現役時代の同僚に出会ったりする、「久しぶり」と少しばかり話し込んで「じゃ」と別れた後まで名前を全く思い出せない。
目は霞み、時々有りもしない黒いものが横切って見えたりする。
最近になって突然喉がイガイガしてえづくことが頻繁に起こるようになり、若い頃に時々えづいている父を、ああいう年寄りになりたくないなと思って冷めた目で見ていたものだが、今自分がそういう年寄になってしまった。
68歳でこれだ。数年後後期高齢者になった暁にどうなっているか今から楽しみである。
ところで・・・・
一警備員がこういう話をしていいのかどうか。重い話で、ここではっきりと書いて良いものかちょっと二の足を踏むが、駐車場管理室内でB警備員と監視していると、警備員Aさんから、要注意お爺さんの車が立体駐車場に入ったと無線で連絡が入る。…この要注意お爺さんとは、駐車場から出るときハンドル操作が曖昧で出口のゲートバーを破損させたり、幅寄せしすぎて精算機に車体を擦ってしまうなど、我々警備員の間で要注意人物だったのだが…駐車場のどこに車を停めたのかを確かめるために場内の巡回を始めたところ立体駐車場の3階で車を発見。車から出てきたお爺さんは杖を突いて場内のスロープでよろけていた。よろけ方が尋常ではないのでそのまま介助してエレベーターまで案内しようとするがまったく聞く耳持たず階段を上り始めるが、目も当てられない程の足取りの悪さで杖まで落としてしまう始末。もう一人の警備員Bさんと介助をしながらエレベーターまで案内するも「放っておいてくれ!」と言わんばかりに終始悪態を突いて我々の介助を嫌がるお爺さんだったがエレベーターに乗る寸前に小さな声で「ありがと」と呟いていたのが聞こえた。すぐさまほかの警備員にもお爺さんの状況を伝え、今後の対応をお願いする。その一時間後、お爺さんが駐車場から車で出てきたところでその場にいた警備員Cさんが段差の少ない身障者用の駐車スペースがあることを伝えることができた。
これまで我々警備員はこのお爺さんに関して車の運転が危なっかしいということしか見えてなかったが、この時初めてこんなに不自由な体だったことを知ることになった。そして当然職員たちは駐車場でのこのお爺さんの状況を全く知らないということ。
雇われている身である一警備員がこういうことを言っていいのかどうか迷うところではあるが、これは市役所の駐車場での出来事なのだ。
付き添いもない体の不自由な人がわざわざ市役所に繰り返し出向かなければならない状況ってどうなの?と思う。
こういう状況の中で生活していればやっぱり気持ちがヒネクレてしまうものなのかもしれないなと思う。
なんだか後期高齢エリアに入った自分を見ているようで他人事ではないのだ。福祉って何?と思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?