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日ノ本横断空駆競走顛末記

人生三十余年。
与助は西の空から真っ直ぐに此方を目掛けてくるそれを初めて見た。
甲虫とも蝙蝠とも異なる羽。骨ばった腕が二本。その手には八尺前後の槍。白焼きにお誂え向きの尻尾。そして甲高い鳴き声。その上には……齢二十にも見えぬ若武者が1人、跨っている。
「な、な、なんだありゃあ……」
蜥蜴か。蜥蜴が飛ぶものか。おれにもとうとうお迎えが来たのか。でなければあんな代物、見えるはずがない。
阿呆のように口を開けた与助が『それ』の巻き起こした突風に煽られ、木に頭をしこたま打って気を失うまで数瞬とかからなかった。


「見えたぞ、薫風丸!」
その若武者、田辺泰頼は手綱でもって薫風丸の飛行軌道を僅かに北へ正した。
彼等が追う熊八は西田藩と付き合い深い呉服屋に火を放った下手人である。この辺りでは悪名高い破落戸であったが、流石に薫風丸への備えはないと見えた。
「えぇい、このっ!このっ!」
破れかぶれの熊八、小枝に石にと投げつけるものの薫風丸の体に傷一つ付けることはない。それどころか薫風丸はじわりと熊八を袋小路へ追い込んでいた。熊八の目の動きから迷いを見抜いた薫風丸の目と幼少からこの森を走り回ってきた田辺の経験が成せる技だ。

「これでも……食らいでかぁっ!」
薫風丸の狙いに気づいた熊八は最後の力を振り絞り、近くの倒木を抱える。差し渡し一尺六寸、先まで六尺はあろうかという巨木を更に担ぎあげ、薫風丸目掛けて投げつける!
びぃい!
薫風丸はひと鳴きすると左にぐいと逸れ、更に右腕を大きく振るう。風切り音を立てて槍が飛び、倒木へと突き刺さった。玄人はだしの釣り人にも似た軽い腕の動き。槍を離れた倒木は、鮮やかな放物線を描いて山中へと消えた。
「もう逃がさんぞ、熊八!」

西田藩「騎龍」隊付藩士、田辺泰頼。
彼が駆る薫風丸こそは、10年前の「開国」で日の本に秘密裡にもたらされた戦力であった。
名を、「わいばあん」と言う。

【続く】

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