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愛すればこその、ほろ酔い文学

誤解を恐れずに言うのであれば、お酒が大好きなんです。
こういう言い方をすると、ふしだらとか、だらしがないとか、いい加減とか、ネガティブなキーワードが片っ端からつきそうな感じがします。
大人になるかどうかくらいの年齢からお酒と出会うのが楽しくて、ちょっと背伸びした場所に入り浸り、時にはお酒に飲まれて正体を失くし、反省することばかりが増えていくけれど、お酒をやめることは考えられません。
お酒をやめられないというと「アル中なんちゃうの?」と人は問いますが、どんなにアルコール依存症のチェックを行い、結果を確認してもそうではないようで、ある人から「お酒が好きで仕方がない人」と言われた時に、ああ、そうなのかも知れないなあと初めて自覚するようになりました。

貴方好みの女になりたい

私にまつわるお酒の話として、切っても切れないなと思ったのが、ワインについての話です。
ワインが好きなんです。
どのくらい好きかというと、20代の時にワインの魅力に目覚め、どっぷりと沼に浸かり、25歳でジョブチェンジし、ソムリエを目指したくらいには好きです。
ソムリエの資格を取るまでの間、いろんなことがありましたが、私はトラットリアに勤めていたり、外食チェーン上がりのオーナーとホテルのシェフが勤めているワインバーで働いたということもあって、イタリア料理のことや、ホテルフレンチについてだったり、外食チェーンばりの原価計算の方法なんかを勉強できたのは、とても良かったことだと思っています。
ワインや料理について学んでいると、必然的についてまわるのが「マリアージュ」という言葉です。
料理とワインが出会うことで、おいしい変化が生まれることをこう言いますが、それに遭遇した時に感動というのは、なにものにも代えがたいものがあります。
マリアージュを感じ取ることができる瞬間って、そうそうないと思うのです。
それはワインというお酒の性質上仕方のないものかもしれませんが、なるべくその瞬間を飲み手が切り取ることが出来るよう、考えるのもサービスする側の努めだといえるかも知れません。
振り返って見ても、本当の意味でのマリアージュと呼べる瞬間に立ち会ったのは数えるほどだなと思います。
最近はマリアージュと呼べるほどではない、相性の良い組み合わせのことを「フードペアリング」なんて呼んだりしますが、そんな甘ったれた言葉でごまかすのではなく、やはり「おいしい変化」を追い求めたい。
だからこそ、五感を研ぎ澄ませておきたいし、常に準備が整っている状態でありたいなと思ってしまうのです。
そう、ワインが好む感覚器官を持っていたい、そんなふうに思ってしまう私は変態かもしれません。

必要なのはストーリーではなく実際の「味」

ワインにどっぷり浸かり始めた頃からライフワークになっているのは、日本ワインのワイナリーを訪ね歩くことです。
とはいえお給料がいいとはいえない飲食店従業員の収入では、そうそう遠くへは出歩くことが出来ません。
なので、東京から近い山梨県周辺のワイナリーを訪ねることが圧倒的に多かったです。
そんなことをしているうちに、ワイン業界の人達から目をつけられ、そのうち日本ワインの醸造コンサルをしていた会社に誘われ、入社しました。
その会社は日本全国の仕事を請け負っていたので、全国各地のワイナリーの立ち上げやら、ブランドリニューアルに立ち会ったりしてきました。
その会社で経験したことはとても貴重なことばかりで、当時誘ってくれた元上司には感謝しかないのですが、その頃を思い返し、今の日本ワインの状況を見ると、いろんなことを考えてしまったりします。
確かに、当時に比べたら品質的に向上しているのだと思うし、いいなと思うワインも増えました。
でも、ある意味で変わっていないなと思う部分もあります。
相変わらず、飲み手に甘えているなということがそれかも知れません。
今、少し具体的な言葉を綴ろうとしたら、ものすごく強い言葉ばかりが出てきたので、そうした言葉を連ねるのはやめておこうと思います。
夜遅く、お酒を飲んだあとに書く言葉は、冷静になって読み返さないと良くないのは自明の理ですし。
ただひとつ、言えることがあるのだとすれば、個人的にはもう、ストーリーは必要ない、実際の「味」で打ち負かしてみろ、と思うのです。
いろんな人に言ってきたし、これからも言うと思うけれど、ワインは世界商品なのです。
世界中のワインが飲める日本で、世界中のワインを飲みながら、感服することや、驚きをもってそのワインとの出会いを祝福したくなるようなワインには、日本ではまだ出会えていません。
だからこそ、もっと頑張ってほしい。
そんなふうに思ったりするのです。

日本語なのに覚えられない

好きなお酒は、ワインだけではないんです。
むしろ嫌いなお酒を挙げろと言われると、考え込んでしまうくらいには、あらゆるお酒が好きです。
なので、日本酒ももちろん好んで飲みます。
最近は、家で飲むワインと日本酒の割合は半々くらいかも知れません。
なのに、それなのに、全然銘柄名が覚えられないんです、日本語なのに。
あんなに長いカタカナ表記を、ワインはちゃんと今でも覚えているのに、日本酒の「獺祭 純米吟醸 磨き二割三分」とか、そんなに長くないのに「磨き何分だっけ?」となります。
別に年をとって物覚えが悪くなったからではなく、若い頃からずっと同じなので、単純に音として日本酒の銘柄名が入ってきにくいのかなと思っています。
きっと同じような人がいるに違いないと信じていますが、どうなのでしょうね。

旅先で地元の酒を飲みたい

日本酒もワインと同じ醸造酒であり食中酒なわけですが、ひとつ残念なことがあります。
それは日本酒の質に関することではなく、サービスをする側の問題点だったりします。
旅行に行き、旅先の宿で食事をする時のことなのですが、その地域にはいい日本酒蔵がいくつもあるのに、その蔵のおいしいお酒を出さずに、扱いやすい180ml程度の小さな瓶の冷酒しか出さなかったりすることが残念でならないのです。
お酒を出す側は「売れなかったら困る」というかも知れませんが、「なんのための原価計算なのですか?」と問いたいです。
もっと旅先の宿で地元のおいしいお酒が飲みたいなと思うし、そのために足を運んでいる部分もあるので、頑張って欲しいです。
地の料理と地の酒で一献、とかいいと思うんですよね。
食事と切っても切れない関係にあるのが日本酒の良いところだと思うし、そこを生かしてもらえないものかと思います。
そういう宿にとても弱いです。

加水量を減らしていくという、一種のゲーム

ハードリカーももちろん好きです。
近所に行きつけのオーセンティックバーがあるくらいにはウイスキーやラム、ブランデーなどを嗜んだりします。
好きな銘柄を挙げろと言われると、なかなか悩ましいものがありますが、スモーキーだけれどほっこり系が割と好きで、バルヴェニーなんかが好きなんですけれど、コロナ禍でバーとの距離がちょっと開いてしまい、家飲みするのに1本欲しいなと調べたら、あらいいお値段、って感じでサイトをそっ閉じしました。
行きつけの店での飲み方は、ハーフロックに始まって、ストレートまで、加水量を減らしながらお酒を変えて楽しむことが多いです。
あと何杯飲むかを頭の中で計算しながら、バーテンダーさんとやりとりするのは、一種のゲームのような感覚があります。
大概向こうも、次は何を出そうか、あと2杯ならこれとこれ、みたいなことを考えているので、時々脇道にそれる注文をしたりすると驚くようです。
ここのところコロナ禍も落ち着いていますが、しばらく行きつけの店にも行っていません。
外飲みの機会そのものが減ってしまったので、こうしたやりとりが出来るお店が近くに頑張っていることを感謝しないといけませんね。

ウイスキーの話を少ししたら、ウイスキーが飲みたくなってきました。
明日はまだ木曜日で、仕事もたっぷり。
少しナイトキャップに飲む程度にして、ほろ酔いを保ったまま終えることにします。
文学なんて大それた文章は書けやしません。
それより、今飲んでいるお酒に耳を傾け、その文学を感じようじゃありませんか。
きっと今より、お酒が好きになるはずだから。

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