いろいろあり いろいろ考える(3)(ワーキング・ホリデー・ヴィザ)
ワーキング・ホリデー・ヴィザ。Working Holiday Visa。知っている人、知らない人、色々いると思うのですが、通称を‘ワーホリ’。で、そのヴィザを所得し、海外に出る人は、英語圏だと‘ワーホリ・メイカー’。覚えている限り、日本は最初、オーストラリアとの間で、1980年にこの制度を提携しているはず。よく考えてみると、歴史で習った白豪主義のお国ではないか。今になって、昔取った杵柄、歴史の1ページを思い出す。
19歳の大学生だった。下宿の自室で6時のニュースを観ながら、夕食を食べていた。急にこの制度の事が話題に上り、嬉しいショックだった。一生懸命メモを取った。 で、それから6年後、ワーホリを使って、オーストラリアへ。
ところで、現在のワーホリ・メイカーさんは、日本の社会環境が変わり、当然行く理由も変わって来たそうで。なんだって??? 日本では稼げないから、海外へ行って稼ぐ!へ~、そうなんだぁ~。でも甘く見過ぎか? 足を棒にして、なん十件もの所へ、履歴書を持って行くガッツは認める。
でも先ずは、言語。英語圏へ行くなら、必須は英語でしょ。日本にいるなら、日本語必須なわけだから。ここがポイントだよ!じゃなきゃ、話しが前に進まない。挙句の果てに、今は競い合う異国の人達が、多すぎる。ヨーロッパ、南米、インド、南太平洋の人、東南アジア…。人種が入り乱れている。
あちゃ~、どう見ても英会話の能力で、劣っているのは日本人。小さい子供ならまだしも、成人した大人が、外国語の会話もおぼつかない状態で行っても、出来るわけがない。ファウンデーションがない所に、積み上げていけない。最低限、日本脱出する前に、勉強しようよ。それと職歴も作ろうよ。それが自分の売りになったりするわけだから。
1980年代のワーホリ・メイカーは、色々な理由で、ほぼ日本を捨ててきたような輩が、結構な割合を占めていた。あくまでも知っている限りで考えると、みんな多かれ少なかれ、コミュニケーションをとれる程度の英語力はあった。時代も良かった。日本人の海外団体旅行、真っ盛り。引く手あまたとは言わないが、ある程度英語が分かれば、仕事は見つかった。
みんな、それなりの金額の所持金を持っていたんじゃなかろうか。別にパートで働いていても、楽しくハッピーに暮らしていた。サーフィン中毒の人達は、サーフィン三昧で、お金は二の次のようだったような。それでも、毎日サーフィンして、食べて、しゃべって、シャワーも浴びて、寝床で寝る。人としての最低限の生活は、成立していた。本当にハッピーで、自由を満喫。
とか楽しみながら、結構みんな、虎視眈々とワーキング・パーミットや永住権獲得を、狙っていた。ある意味、貪欲だった。
現代の子達に、貪欲になれとは言わない。でも、大事な事をする前に、もうちょい準備しようか…飛躍するために。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?