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まさかの人生(3)(結婚は突然に…ホリデー・イン・ジャパン)

 ニュージーランドでは、1年の間にまとまった2-3週間のホリデーを取るのは当たり前。それも結構前から、みんな計画をしている。ジェイと暮らし始めてすぐ頃、私の次のホリデーの日取りは決まっていた。日本へ帰国、2週間。取り敢えず話しておかなければ…
「次のホリデー、日本へ2週間帰るんだけど。あなた、どうする?」
「出来たら行ってみたい。日にち決まってるの?」
「12月○○日出発。1月○○日、こっちに帰ってくる。フライト空いてるか、チェックしてみれば。」
「分かった、やってみるよ。」
 と、話してから1週間、ジェイはフライトも無事に取り、ちゃんと会社にホリデーの申請を出していた。

 別に口喧嘩をすることも無く、特別これと言った事も起きず、ジェイと私、淡々と粛々と仕事に勤しむ。まさに一緒に暮らす時の条件通り、パッションを求めない、静かな生活が続く。唯一住んでいるフラットからの私の楽しみは、遠景に少しずつ高くなっていく、スカイ・タワーだ。キッチンで料理を作っている時に見える。朝に、昼に、夕に、その日の天気や、日光の加減で、見える雰囲気が変わる。好奇心旺盛な私にとっては、その少しずつ変わっていく姿は、毎日見ても飽きることの無い対象、大いに楽しませてくれる。
 そうこうしている内に、12月がやって来る。南半球では、夏に入って行く時期で、観光業関係の仕事は全て、かきいれ時になる季節である。それでも12月から2月に掛けて、ホリデーが取れるのは、なんとなく同僚の間で、暗黙の裡に、交代でこの時期のホリデー取得を調整。売り場ごとに、みんなの予定をすり合わせる。この作業は、9月頃から徐々に始める。私の仕事の1つが、まさにそれ。20人近くいるスタッフの希望を聴き、時に交渉をし、12-2月末までのシフトを作り上げる。不服の場合、スタッフ同士で話し合い、その結果をあげてもらい、修正。夏期のみの学生パートタイマーは、大きなヘルプ。彼らに働く時間を与え、フルタイマー達に、出来る限り希望の休みをあてる。毎日の人員確保ができていれば、とりあえず行ける。

 ジェイの家族とクリスマスを過ごした後、日本へホリデーの日がやって来た。家族へは、ジェイの事は言ってある。だが、竹馬の友には、サプライズってことにした。家族にこの事は、口止めを頼む。

 空港近くの長期の駐車場に自動車を置き、そこからは無料のバスに乗って空港へ。朝出発で、日本到着は夕方。10時間半ほど掛かる。お隣の国、オーストラリアとはずいぶん違い、時間が掛かる。フライト中、用もないのに、トイレの方まで歩いて行ったり、座りながら、足首をグルグル回してみたり、首を回したり、まぁできる限り体の部分を動かす努力。あとは、食事を食べ、ヘッドフォンを付けて、音楽聞いたり。で、その内ウトウトして、寝入ってしまう。

 成田空港へのアプローチのアナウンスが流れる。いつも緊張する時。(日本の人の波に乗って移動しなくてはいけない)と、思ってしまう。イミグレーションは、いつも混む。日本国パスポートの列は、それでもドンドンと進んで行く。海外からの渡航者の列と言ったら、いつもノロノロ。顔写真と本人を、ちゃ~~んと確認の上、渡航目的を問われる。待っているのも面倒臭いので、ジェイをひとり、イミグレーションに残し、私は荷物の方へ移動。 乗ってきた飛行機の便名を確かめ、ターンテーブルの近くで、荷物の出てくるのを待つ。かなりの数の荷物が、回り始めた頃、15分遅れぐらいで、ジェイが合流。ふたり並んで、荷物を待つ、待つ、待つ。やっと出てきた~。はいはいサッサと取って、空港を後にしましょう。と荷物を持って、税関へ移動。簡単である。どこから見ても、善良な日本人とキウイである。税関職員に飛行機内で記入済みの用紙を渡し、口頭で質問に答える…
「他に申告する物ありませんね?!!」
「ありません。」ふたり分、私が答える。ハイ終了。
 これで本当の日本の雑踏の中へ吐き出される。まだまだ電車のある時刻、強行軍でそのまま電車に飛び乗り、まずは東京を目指す。着いたら新幹線で熱海へ、伊東線に乗り換えて実家を目指す。
 ちょっと遅い夕食の時間には、実家到着。家族にジェイを紹介し、みんなで近くのファミレスへ。ここでジェイが私の助言を無視、好きな物を食べた結果、次の日に、具合が悪くなる。長旅の後の脂っぽい食べ物は、とにかく禁物。今でもはっきり覚えている、ジェイが食べたのは、鶏の唐揚げとフレンチフライ。量の問題じゃないんだよ…あ~~~思いやられる。

 朝だぁ。日本の寒い家屋での、冬の第1日目。ジェイは、胃がもたれて気持ちが悪い。食欲無し。近くのコンビニで、シリアルとパンを買ってきて、少しでも食べてもらう。まぁ具合が悪いとあっては、どこにも行かれない。(私だけ楽しむというチョイスもあったのだが…)日がな一日、家でテレビを観て、ゆっくり過ごす。しかし、ホリデー!時間の無駄はしていられない。竹馬の友に連絡を取り、明日のプラン’ドライブ’決定。

 第2日目、竹馬の友のヤスが、約束した時間10時に迎えに来てくれた。ジェイと二人、玄関で待っていた。ヤスは見てびっくり。
「あんた、何にも言ってなかったじゃないのよぉ~。」
「こちら、ジェイさん。こちら、ヤス。」
2人が挨拶を交わし、さぁ~ドライブへGO!(不思議と私の友達には、気合で英語が話せてしまうものがいて、ヤスもその一人)
 街を抜けて、海沿いの道に出て、クネクネと景勝地の方へ。(海沿いの道は、とにかくクネクネの伊豆半島)景勝地と言うのは、景色がキレイな所で、往々にして標高や海抜が高かったりするのが当たり前。自慢じゃないが、高所恐怖症。そういう所は、ヤス頼み。私はひとり、足が地に着く所で、ジェイとヤスを遠くに見ながら、のんびりする。ヤスも気合で、一生懸命英語で会話しているようだ。(ガンバレ)話が弾んでいるようで、なにより。これで、私の他の友達とも、大丈夫だと確信する。(この時は、まだ知らない。何を話しているのか。)
 そうそう思い出した、この冬は変わった気象状況で、海沿いは小春日和のとっても気持ちの良い天気で、そこから15分山に入ると、雪が積もっていた。変化に富んだ景色が見られて、ジェイはラッキー。ついでに山頂まで登ったりして、景色は最高。だが、吹きっさらしなので、まぁ寒い!(どうぞ風邪になりませんように…)町の周りの観光地を回り、ランチを食べ、実家に送り返してもらう。

 何だかんだしている内に、日にちは過ぎて行く。特にホリデーの時は、時間の流れが速い。東京へ数日遊びに行った時は、横浜のいとこの家に滞在し、ホテル代を浮かせる。横浜は、父の出身地なので、地の利が分かっていて動き易い。プラス、東京も数年暮らしていたので、大丈夫。遊ぶにはもってこいである。
 ショッピングで東京へ。ジェイの買いたい物と、私のそれは違うので、先ずはジェイを有楽町のピックカメラへ落とし、それから私ひとりデパート巡り。2-3時間それぞれ、好きな事をしたあと、ビックカメラの入り口で待ち合わせ。ジェイが日本語は全く分からないにも拘らず、ちゃんと欲しい物を買っていてご満悦。システムエンジニアの彼の買いたい物は、ずばりコンピューター関係の物ばかり。お店のスタッフも、英会話が出来なくても、英単語は分かり、お互い話が通じる。(これは、どんな分野でも同じ事が言える)よって、ジェイは欲しい物が買えたのである。私はと言うと、何も買わず。理由は簡単、物が多すぎて選べなかったのだ。日本のデパート、小売店、どこもそうだが、選択肢が多すぎる。似たような物が多すぎる。あれもこれも良い。じゃー、どれを買う?決まらない。全部を買えないのなら、何も買わないと言うチョイスをするしかない。で、私は何も買わなかった。空手で帰った私を見て、いとこも驚いた。
「何にも買わなかったのぉ?!」
「買えなかったの」と、あとは説明。

 東京界隈での楽しみの一つは、はとバスツアー。英語、中国語、スペイン語などの話せる、国家試験を通ったガイドの人達によるツアー。これはとても便利。ジェイの為に通訳をする必要がない。半日観光は、丁度良い。家から駅への徒歩時間、駅から目的地までの徒歩時間が、ことごとく省略されて、目的地へ横付け。尚且つ、プロのガイド付き。歴史的なことから、下世話な事まで教えてくれる。お客様の質問には、真摯に答えてくれる。お値段以上は間違いない。渋滞の状態によって、裏通りを通ったりする。来たこともないような道で、見たことのない風景を目にする。明治神宮を皮切りに、国会議事堂を横目に通り過ぎ、皇居東苑を散策、浅草仲見世・浅草寺を見て、銀座のど真ん中で解散。ジェイとふたり楽しんだ。
 もう一つのツアーは、夜のゲイバーツアー。(今は無いかも)ホテルでの夕食が付いて、六本木のゲイバーのショーを観る。友達姉妹を誘って、4人で参加。もう楽しいだけの一言。ニュージーランドにはない種類、規模の大人の遊び場。2時間弱のショーが短く感じるぐらい、入り込める内容のステージ。プロフェッショナルのゲイの芸は、お見事!で、ジェイに聞いてみた…(因みにツアーのチョイスは、私の好み)
「彼女たち(生れた時は、彼たち)キレイでしょ。何か感じるわけ?」
「キレイだけど、何も感じない。男だから。」と、あくまでもこれはジェイの私見。

 実家へ戻り、残された数日で、伊豆半島半周をしてみた。運転手はジェイ。行きは半島のど真ん中を縦走し、帰りは海沿いで帰ってくるコース。行きは、私のナビゲーションで、迷うことなく、中伊豆から、南伊豆を通り、石廊崎まで到着。少々寒いが、灯台まで歩いてみた。下田から稲取へ。山間にあるただ歩くだけの、気持ちの良い場所がある。これが思ったより長く掛かり、帰りは実家に近づくまで、何と私は、気持ちよく寝てしまった。目が覚めた時、見慣れた風景だったので、びっくり。
「良く道間違わずに、ここまで来れたわねぇ?」
「だって道路標識に、アルファベットで書いてあるから。」
 日本人は、道路標識を見た時、最初に漢字・ひらがなに目が行き、海外から来た人は、アルファベットを目が行く。言われるまで、アルファベット表示を意識していなかった。だから私が居眠りをしていても、無事に実家へたどり着いた。

 始まったホリデーは終わりに向かって行き、私は、日本食品と書籍の買いに走る。海外で購入する日本食品は、輸送コスト、課税等が上乗せしているので、目が飛び出るほど高い。書籍は、日本人グループで回って来たりするが、いつも好みの物を読めるわけではない。雑読である。文庫本や雑誌を、スーツケースの蓋に満遍なく敷き詰め、内側を食品と衣服で埋める。いつものように、スーツケースは半開きの状態。その上に上手く乗り、ぐるりのジッパーを閉める。

 『行きはよいよい 帰りはこわい』状態の重~いスーツケースを引きずり、これまた重くなってしまったキャビン・バッゲージ背負って、来た道を戻り、空港へ。家族、いとこ、茨木在住の友達も揃い、賑やかなお見送り。早めに空港へ着き、カステラを買い、お寿司を食べる。これは日本を発つ前の私の習わし。出国する前に、その辺を歩いている人に頼んで、総勢十人の集合写真を撮って頂く。じゃ~~またね~~。飛行機は一路、ニュージーランドへ。

 到着の次の日、朝一でした事は、カフェでのブレックファースト。とにかく食事が恋しくて、帰って来てから一週間ずっと、こちらの食事でした。ホッ…
 
 
 

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