自分のこと 書いてみた Part5 臨床
ディープなインパクトのことは書かなきゃな・・・。
勤めていた治療院に来ていた患者さんなんだけどね、いわゆる視える人で、プライベートでもお会いするくらいに親しくなったところまでは良かった。
細かいところは文章にするのが難しいので省くけど、ぶっちゃけると、自分はその人の言うこと・指示をすべて受け入れ、そしてその通りに動くように、つまりは自分の主観的な言葉でいうところの、「洗脳」状態になって
しまってた。
治療の道は向いていないから、治療に関するものはすべて処分するようにということで、鍼灸学校に通っていたころのノートはすべて捨てたし(でも実は、テキストも含め、一部のものは実家に送ってた)、鍼灸関連の書籍やパルス治療器はすべて、学校に寄付。
さらには、私の性格を指摘され、常に上から目線の心根を直す必要があるということで提案されたのが建設現場で働くこと。
はい、一切治療から離れて鉄筋工になりました。
もちろん全くの素人なので、鉄筋持って歩くのもふらふらするし、毎日毎日親方からは怒鳴られてばかり。日雇いの人たちよりも仕事ができない。
ある意味、ここでの経験は、自分にとってはとてもプラスだった。
鉄筋工やっていて、結構早いうちに両手の指がしびれるようになり、ボタンも留められない状態になったので、今度は解体業での仕事。まあここでも毎日怒鳴られていたよ。
そんな建設現場での生活も1年たたないうちに、視える人、に対して疑問を持ち始め、そしてきっぱり決別をして一般企業に転職。
コンサルタントと顧客の間に入って研修をコーディネートして人材育成をするところ。
4年?5年?勤めたかな。
そしてITの展示会を主催するところに転職。
結局一般企業にいる間は、知人や身内の往診を再開してた。
視える人との一連のことは、当時の自分にとっては嫌な記憶でしかなかったけど、よくよく「今の自分」を見ると、その間に経験したこと、感じたこと、考えたこと、すべてが糧となってたんだよね。人間万事塞翁が馬、とでもいうところかな。今は、「ありがとう」で。
さてさて、ここからもう一つの展開が待ってるのでした。
次回に続きます。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?