自分のこと 書いてみた Part3 鍼灸学校へ~臨床

鍼灸学校には3年通って、最終的に国家試験を受けて「免許」を交付されることとなるんだけど、その間もたまに関西の先生のところには足を運ばせていただいていたんだけど、ある時、その先生の施術を受け終え先生の施術所の台所でコーヒーをいただきながら雑談していた時のこと。

施術中、さだまさしさんの「冬の蝉」って曲がずっと頭の中を流れてたんだよねーなんて言われて、家に帰ってきてからさっそくCDを探しに出かけ・・・

どんな曲だろうかと思ったら(日テレ系の年末時代劇の「奇兵隊」の主題歌になったそうなので、ご存じの方もいるのでは)、生まれる時期を間違えて、ちょっと早く出てきてしまった蝉のことになぞらえている歌詞(だったかな・・・)の曲で。

それを見たときに、施術を受けている時にその曲が流れてたってことは自分は一体・・・とかなり悩んだ記憶がある。

いまでも覚えているくらいだから、それなりにインパクトあったんだろうなあ。

それから、もう一つ鍼灸学校を語るうえで、自分にとっての出来事としては、時間を少し巻き戻した鍼灸学校入学直前のこと。

それまでは就職してそこで貯めたお金で入学金も払ったものの、貯金のほとんどをそこに費やしたため、はたして学校行く前に、生活していけるんだろうか、という漠然とした恐怖とかを覚えてた気がする。

その恐怖心は学校に行き始めてからもあって、東京駅から歩いて学校に行くんだけど、冬至の東京駅の周辺には、まだ浮浪者がかなりいて、その方たちを横目に通学することも。その方たちの横を通りながら、自分自身がそこに行くようなことにならないよう頑張ろうとは思いつつ、そこ対する恐怖心を抱いていたっけ。
今となっては、たんに自分の恐怖心が招いた幻想であることはわかっているけど、当時はほんと、怖かった。

時間を少し早送りして、国家試験を終えてあとは合格発表を迎えるだけとなった3月初旬、高野山の奥の院に一人でいってきたっけ。奥の院の空海さんに向かって、これから鍼灸師として一人でも多くの方を「助けるため」に頑張るということを誓ったんだけど、後にこの「助ける」という表現、そしてそもそもの心の持ち方がちょっと違うことに気づかされるんだけど、その時は意気揚々と高野山に行ってきたんだよね。。。


さて、鍼灸学校を卒業して4月。周りのみんなは治療院に就職なり、学生時代のバイトをそのまま継続したりなどしている一方、自分は「往診」というスタイルで何となく臨床を始めたのでした。

さすがに生活できないから、治療院のバイトなんかも掛け持ちながら。

でもさ、なんでみんな治療院に就職するんだろう、ってはなはだ疑問だった。もともと自分が鍼灸師になろうとしたきっかけもさることながら、人が「経営」する鍼灸院に勤めようなどという気は全く起きなかったんだよね。
不思議と。今でも不思議に思うけど。

患家と患家の間の移動に3時間くらいかかるときがあったり、何気に往診は自分への負担が大きかったけど、それなりに充実してたかもしれない、この時期。

臨床編はちょっとながくなりそうなので、今回はこの辺で。

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