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コーヒーについて思う事。ブラックで飲まないコーヒーなんて...

コーヒー(漢字では珈琲と書く)は、実は果実である。ようするに果物を乾燥させて日に炙り粉々にして湯を注ぎ香りを落とす。そしてそれを飲む。このコーヒー豆が果実であることを最近知った。実際に木になっているコーヒー豆(実)は甘くないらしい。固くて渋いと。渋い果実としては渋柿が日本では有名である。なので渋柿は乾燥させて干して食べると渋さが取れて甘くなる。コーヒーとの共通点がありそうだ。不思議なものだ。さて日本でコーヒーは明治維新以降、エリートや皇族達、もしくは西洋の思考を軸にする方々にだけ愛されてきた。一種の日本人固有の西洋のライフスタイルの憧れのようなものだろう。なかなか手に入らない高額なものであることも影響している。日本でこんなにもコーヒーが普及してきたのは、戦後GHQの政策として、日本の学校給食でコーヒー牛乳を出すようになったからと思われる。米と味噌汁の文化から牛乳(コーヒー牛乳を含む)とパンの文化への浸透だ。これには日本にパンの小麦とコーヒー(日本で生産不可能)の全国民への米国のビジネスが絡んでいる。そうしてコーヒーは甘い飲み物として、50年くらいは国民に浸透していった。話は変わるが、日本人は緑茶を飲み慣れている為に、砂糖を入れる人はほとんど居ない。しかし緑茶は欧米では、渋くて飲めないらしく砂糖を入れる。ダイエットとして緑茶のカテキンなどが効果があるそうだ。本当か? その逆が日本でも起こっていた。日本では子供からコーヒーを飲ませるには砂糖やミルクを入る必要があった。まあ、コーヒー通にとっては邪道らしい。もちろん、子供には渋くて飲めないからもある。コーヒーの浸透が目的なのだから当たり前かもしれない。欧米でコーヒーと言えばブラックが支流だ。日本でもここ15年くらい前だろうか、ブラックコーヒーの自販機が増えてきた。ようやく、コーヒーをブラックで飲むことに抵抗が無くなってきたのだろう。私がアメリカンコーヒーで無糖なのに甘い香りで美味しいと感じたのは、とある会社社長の自宅に招かれて飲んたコーヒーだった。煎りたてなのもあるが、渋いだけの無糖コーヒーがとても美味しく感じたのだ。それ以降、果糖入りのコーヒーと無糖のコーヒーをバランス良く飲むようになった。それが丁度15年くらい前だろうか?そうして、ここ10年はブラックコーヒーが当たり前になる。もちろんコーヒーの美味しくなる製法も技術も向上したこともあるのだと思う。パウダーからのインスタントコーヒーではまだ加糖する癖がある。さあ、今日はなんのコーヒー豆にするのかな。楽しみはつきない。


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