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「イラッ」の奥にかくれていたのは、思いがけない記憶だった

広島の大下です。

夏のような暑さが続いた後、急に冷え込んだ日の朝。
小学校2年生の娘が、「制服のポロシャツの上にセーターを着ていきたい」と言い出しました。
「ポロシャツにセーターだけ着て行くのはダメよ。制服の上着を着て行ったら?」と、私は答えました。

1年生の時の三者懇談で、「ポロシャツにセーターだけで登校している子がいるのですが、本来の基準服はポロシャツに制服の上着です。セーターは冬の寒い時期の防寒で着るようにしてくださいね」と、担任の先生に言われていたからです。
私の言葉を聞いて、娘は不機嫌そうに「だってみんなセーターだけ着ているよ?先生何も言わないもん」と答えました。

その時、そばで私たちのやり取りを聞いていた夫が、「みんなも着て行って何も言われていないんだったら、セーターだけでもいいんじゃない?」と言ってきたのです。

私、イラッ。
「前の担任の先生に『セーターだけ着て行くのはダメ』と言われているから上着にしよう、って言ってるのに、なんで反対のこと言うかなぁ?」と夫に言い返し、娘に「だから上着にした方がいいよ」と、少し不機嫌な顔で伝えました。
すると、娘がちょっと半べそをかきながら「だって、寒いのは朝だけで、昼間は暑いから脱ぐし、帰る時も脱いで上着は邪魔になるから…」と言ってきたのです。

おお。不機嫌そうな母に対しても、ちゃんと自分の考えを伝えてきた!…と、内心娘の成長を喜びつつ(親バカ)、セーターだけで登校する娘を見送りました。

娘が学校に行った後、夫が「あんなに言わなくてもいいじゃん。娘を泣きそうにさせてまで守らないといけないルールじゃないでしょ?」と一言。
またまたイラッ、とした私は、
「そんなのわかってるけど、先生から直接言われてるのに守らせてないって、何か言われるのは私なんだから」と、夫に言い返しました。

…そうなんですよね。
そもそも制服なんて、その日の気温や体調によって個人が調節すればいいものだ、と私も思っています。
けれども私は、自分が悪く思われるのがイヤだったのです。
「私は悪くないのに!」と。

それから少しして夫は仕事に行き、私はさっきまでのことを思い出しながら洗濯物を干していました。
その時ふと、「ん? どうして『私は悪くないのに』という場面でイラッとするんだろう?」と思ったのです。
そこで、「前に何かあったっけ?」と、なんとなく自分の中の記憶を振り返ってみました。

すると、思い当たったのが中学校時代の思い出でした。
中2の夏、自分はもう終わらせていた夏休みの宿題のワークブックを、友だちに見せてあげたことがあったのです。
そして夏休み明け、友だちが答えを写していたことが先生にバレて、私たち2人は学年室に呼び出され、散々怒られました。

しかも、写した友だちよりも私の方がひどく怒られ、「いつも先生たちに気に入られていると思って、いい気になっていたんじゃない?」みたいなことまで先生に言われたのです。
大好きな先生だったのに、そんなことを言われるなんて…。
信じられない気持ちとショックで、しばらく人間不信になったあの思い出。

そこかぁ…。
もうすっかり忘れていた中学校時代の経験が、いまだに自分の心に影響を与えていることに驚きました。
と同時に、「自分の言葉も、誰かの心にずっと傷を残しているかもしれない」という恐れと後悔がボロボロと出てきて、恐ろしくなりました。
あの先生と同じように、子どもたち(とくに次男)や知り合いなど、私の何気ない言葉で傷つけてしまうことがあったからです。
自分自身も間違ってきたことを思い出し、先生を責めることはできないよね、と、今は落ち着いてそう思えました。

…そっか。完璧じゃないんだよな。
中学校時代にヒドイことを言ったあの先生も、私自身も。

自分の至らなさを改めて感じ「あーあ」と落ち込みそうになりましたが、同時に心を温めてくれるような嬉しい言葉の記憶もたくさん思いだしました。
家族からの優しい言葉や友人たちからの思いやりあふれる言葉、仕事をしている時に言われたねぎらいや感謝の言葉などなど。

そういえば、完璧ではないけれど、私も目の前の誰かにそのような言葉を伝えようとしてきた気がします。
優しい言葉や感謝のやりとりって、元気が出るし、気持ちも明るくなるからです。

時には間違ったことを言ってしまうかもしれないけれど、できるだけ人の気持ちがほっとするような、嬉しくなるような言葉を使おう、と改めて思いました。

それこそ、先週桜井さんが日記に書かれていた、「今からだって、遅くない!」ですね^^

2021年11月1日
広島県/大下倫子
NPO法人ハートフルコミュニケーション認定ハートフルコーチ


 


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