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#3 人間らしさ〜私たちはなぜ分かり合えるのか〜



1 人間としての共通性

多様な人々がうまく共存できる社会を目指そうと、今、ダイバシティが重要なキーワードとなっていますね。東京2020オリンピック・パラリンピックはその象徴的舞台でしたが、二つの競技会を合同開催するというのは、何とも素晴らしく画期的なアイディアだと思いました。人々がこうして立場の違いを超えて集うと、「多様性の手前にある、人間としての共通性」に気付きますが、人種や民族の多様性においても、鍵となるのはまさにこの共通性だと思っています。

「人間らしさとは何か 生きる意味をさぐる人類学講義」

 人種や肌の色、障害の有無などに目を向ければ、人々の差異は浮き彫りになり、違いが大きく目立つ。違いを受け止められる、理解できる土壌がある場合は、いいのだろうが、そうでなければ、差別の対象になるのだろう。しかし、人間の共通性に目を向ければ、その差を意識せず、差に寛容になり、多様な人々が一緒に過ごしやすいのかもしれない。同じ人間でも、みんな違うのは当たり前です。その共通性に目を向けて生きていければいいですね。
 オリンピック・パラリンピックの合同開催には、そんな共通性に目を向ける大会だったとは、恥ずかしながらこの本を読むまで考えもしませんでした。

2 差を明らかにしてまう教育

 私の勤務する地域では、算数・数学に力を入れています。学力向上という名目で。もうかれこれ10年は、学力向上に取り組んでいます。力を入れて取り組んでいると、自ずと点数で子供たちを評価し、学力別の授業を行い、順位をつけ、算数・数学という領域だけで、子供たちの優劣を自然とつけてしまっているような気がします。算数・数学でその子供たちの全てが決まるわけではないのに、あたかもそれさえできればよいように勘違いしてしまいそうです。算数・数学で差を明らかにし、それで評価してしまうことって危険です。
 子供達は、生育環境も違えば、性格も違う。得意なことも違えば、見た目も当たり前に違う。その差異を受け入れ、お互いに助け合う、協力し合う態度や穏やかにコミュニケーションを取る力など、もっと必要なことがあるはずです。点数化されることも大事ですが、そればかりになってはいけません。差を受け入れ、寛容な人間関係を構築させたいものです。

3 共通性に目を向ける

 差を問うことばかりにならずに、共通性に目を向けることが大事です。世界広しといえども、「美味しいものは美味しい」、「綺麗なものは綺麗」、「美しいものは美しい」、「怖いものは怖い」、「楽しいものは楽しい」などと国や人種を超えて感覚は共通しているものがあります。日本人は、和食、洋食、中華などどの料理も人気店があり、美味しいと感じますよね。その逆も然り。海外では、寿司が人気があったり、和食がブームだったりします。それもまた、味覚・嗅覚等に共通性があるからです。
 国・人種が違えど、感じ方はにているものを持っているのです。料理の他にも探そうと思えば、まだまだ共通性はあるはずです。日本のアニメも世界では大人気です。「おもしろい」という感覚があるから人気が出る。
 きっと、たくさんの共通性に気づいた時に、差に寛容になれるのです。学校でも、周りの子供達との差ではなく、共通性に目を向けるような時間、学びがあるといいんですけどね。算数・数学ばかりでは、あまりに狭い世界で毎日を過ごしていて、寂しくなります。

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