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優しさって何?本当の優しさって?

この話はわたしが極真空手をやっていた時に経験した実話です。「人に優しくするってどういうことだろう?」「優しい人ってどういう人なんだろう?」って思いを巡らせている人に参考になればと思います。

1・おない年の大先輩

24歳の時、極真空手をやっていたわたしの帯の色は黄色でした。

帯の色は、白→水色→黄色→緑→茶→黒という順番で上がっていきます。憧れの黒帯はまだまだほど遠かったです。

この時、Yさんというおない年の黒帯の大先輩が同じ道場にいました。Y先輩は道場唯一の二段で、極真空手本部若獅子寮・寮長経験者という物凄い肩書を持っておられました。どれだけ凄いかということは、極真空手をやっている人間でなければ分かりません。俗に言うブランドです。それだけ凄い先輩でした。

そして驚くべきことにY先輩の妹さんが、当時わたしが勤めていた会社で事務員をしていたのです。こういう縁でわたしは雲の上の大先輩と少しづつ話をするようになっていったのです。

2・Y先輩と週2回の実践稽古開始

2カ月後に色帯別の県大会開催。そんな話が飛び込んできました。通常の大会は参加者は黒帯がほとんどで、少しだけ茶帯が参加するようなものです。

県の支部長が全体のレベルアップを図るため、帯別の大会開催を決めたと思います。実際に殴る蹴るするフルコンタクト空手。参加者は恐怖心から目の色を変えて稽古します。

大会参加を決めたわたしに思いもよらぬ朗報がありました。全日本大会に向けての稽古を始動したY先輩から「週2回、大会用の稽古を一緒にやりましょう」と声をかけていただいたのです。

まさに渡りに船。全日本常連の先輩と一緒に稽古をさせてもらえるなんてこれほど心強いことはありません。わたしはすぐに「よろしくお願いします」と頭をさげていました。

今考えるとこの時は極真空手の全日本大会常連選手の凄さというものを全く分かっていませんでした。本当に甘ちゃんでしたね、イヤイヤお恥ずかしい限りです。

3・足をひきずりながら仕事をする

火・金とY先輩との大会に向けての稽古が始まりました。参加者は高校生2人を加えての計4名。初日は実践的なスパーリングや組手はなく、サンドバック、キックミットなどで2時間弱で終了。それでも初めて実践的な稽古に終始した時間に物凄い高揚感を覚えました。

中2日あけて2回目が金曜日に行われました。前回やった稽古に加えてこの日からいよいよY先輩とのスパーリングがメニューに加わりました。

右も左もわからぬままY先輩に向かっていくわたし。月とスッポン、天と地。それくらいの差がありました。そしてY先輩のローキックがわたしの太股をとらえるたびに激痛が走るのです。もう痛いのなんのって。内心「いい加減にせんかい!」と叫びたいくらい悲鳴をあげてました。

その日の稽古終了後、両足をひきずりだすわたし・・・。生まれて初めての経験でした。翌朝おきたら両太腿がものの見事に真っ赤にはれ上がっていたのです。

それからしばらく足をひきずりながら仕事をしました。

足をひきずる

4・足が弱い!弱すぎる!と、どっちかられる!

足をひきずりながらも次のY先輩との稽古に向かいました。道場につくとY先輩からの書置きがありました。「今日、少し熱があるので稽古は中止です、軽く自主練してください。ぼくはトレーニングジムでウエイトトレーニングをします」と書かれていました。

それを読んだわたしはトレーニングジムに車を走らせました。Y先輩に挨拶しないとあとが怖いと思ったのです。

ジムに着きY先輩をみつけ、挨拶に行きました。わたしを見て驚くY先輩。「気を遣わなくてもいいのに・・・」っと温かいお言葉。その様子をみて気が緩んだのか「足がこんなに腫れあがってしまって」と蹴られまくって真っ赤になっている太腿をY先輩にお披露目。心のどこかで「Y先輩のせいだよ!」と思っていたんでしょうね。

腫れあがった足を見て「そうなりましたか・・・」とY先輩。少し間があり「足が弱い!弱すぎる!まともに入ったのは数えるほどでしょう。森さんは足が弱すぎる!そんなんじゃ大会でたって足蹴られて終わりだよ!」と、超厳しいお言葉をわたしに浴びせかけました。

優しい言葉を期待していたわたしはY先輩に「押忍、すいませんでした」と表面を取り繕いましたが、内心「ふざけんじゃね~よ~!誰のせいでおれが足をひきずっていると思ってんだよ~!ガオ~!」と、烈火のごとく怒り大怪獣と化しました。

5・どんなに蹴られてもへっちゃらへっちゃら鼻歌だよ

Y先輩の罵声でスイッチが入ったわたしは、翌日から足の強化に乗り出しました。スクワットを定期的に始めたのです。それもちゃんとメニューを組んで。

始めはヘトヘトでしたが、足に筋肉がついてくるとだんだんと疲れなくなってきました。そして空手でもその成果が現れ始めたのです。足をどんなに蹴られても全く痛くないのです。

足を蹴られる瞬間に「フン!」と力を入れるタイミングも分かってきました。「もうどれだけ蹴られても足は痛くならないな」っとたんたんと思えたのです。

その後もY先輩と稽古を続けたわたしは、帯別の大会でオール一本勝ちという華々しさで優勝したのです。全日本クラスの先輩と稽古を続けていたわたしは自分でも信じられないくらい強くなっていたのです。

6・エピローグそしてY先輩に向けて

翌年、Y先輩は本部に呼ばれて本部指導員になりました。わたしは空手を続けてましたが、大会に向けての稽古は何をやっても物足りませんでした。Y先輩との稽古がそれだけ充実していたからです。

それから数年後、体力の衰えを感じたわたしは空手を辞めました。極真空手で帯の力を維持するには私生活の全てを空手に捧げなければなりません。それがあってなかったんでしょうね・・・。

空手を離れて何年後かに、わたしはY先輩のことを考えました。「足が弱い!弱すぎる!」と叱咤激励してくれたんだと。あそこであれだけ厳しく言ってくれたから足を鍛えようと本気になった。

結果、メチャクチャ足が強くなって自分にとっては天からの言葉、まさしく足を強くしてくれた恩人です。

稽古中もああしろこうしろとは一切言われませんでした。たまに「だいぶ良くなってきましたね」と言ってくれるだけで。きっと、本人がその気にならない限り何を言ってもムダだということを知っていたんでしょう。

今思えば道場に書置きしてあった「今日はぼくが熱がでたので自主練してください」というのも、わたしの足を気遣ってくれてのことだったと思います。

その場その場でいいこと言って「イイ人」とか「優しい人」と思われることは簡単です。相手をイイコイイコしてあげればいいわけですから。でも、本当の優しさって言うべきことは言う。たとえその時、相手が怒って怨みをかったとしても伝えるべきことは伝える。

それが本当に相手のためになるなら、あえて嫌われ役をかってでる。きっといつの日か分かってくれる日がくると信じて。

本当の優しさってその時はわからなくても、あとからじわりじわりと心に沁みてくる。そういうものではないでしょうか。短い交流でしたが、わたしはおない年の大先輩Yさんの生き方からそのことを学びました。

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