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僕は何のために生きるのか

まず初めに断っておきたい。僕は非常に思い込みが激しい。それから妄想癖がある。その上気分屋で天邪鬼だ。だからここにに書いてあることはほとんどフィクションだと思ってもらえると嬉しい。


最近何かをしたいという感情が薄くなってしまっていた。何をしても自分は楽しいと感じられないだろうという漠然とした感覚が僕を支配した。今自分が何のために生きているかわからない。自分は空虚だと感じた。そんな中、僕の初恋の人が(おそらく)僕のことについて書いた文章を見つけてしまった。きっと彼女の中で僕は過去になっていて、過去の事だと清算できているのだろう。それを素直に羨ましいと思った。正直に言うけれど、僕は久しぶりに胸が苦しくなった。そしてその胸の苦しさが、僕がどう生きてきたかを思い出させることになった。


僕は何のために生きていたのだろうか。

笑ってしまうかもしれないけど、僕にとってそれは「恋」だった。

小学二年生の時に初めて好きだと思った人を今の人生で数えてもの3分の1以上の期間好きだったのだから自分でもあきれてしまう。始まりは彼女の片思いだったが、結局僕が彼女に片思いしていた時間のほうがよっぽど長い。ほとんどストーカーだったと言っても過言ではない。クラス替えの度に落ち込んだり喜んだり。中学校に入ってクラスが離れてしまった時に同じ編集局にわざわざ入ったりもした。高校受験の時には「第一志望に合格したら彼女を夏祭りに誘う」という誓いを勝手に立てて、他の全てを投げ捨てて努力して、合格発表の日に誰よりも先に電話をかけて苦笑されてしまったのを覚えている。卒業アルバムに何を書いてくれたかを忘れたことは片時もない。そんなふうに僕の行動の根っこには常に彼女がいたんだと思う。

違う高校に進学した僕たちは高校二年になるころには疎遠になっていた。今思い返してみると、そこからの今までの人生で胸を張って努力をしたと言えることは1つもない。なんとなくで生きて、なんとなく行けるところへ行って、生を浪費した。彼女が僕の中で少しずつ過去になっていって、だんだん僕は空虚になっていったのではないだろうか。その時には人生のほとんどの行動原理が彼女にあったのだから、他の生き方など知るはずもない。そこで僕は行動原理を失って、その失った行動原理の代わりを見つけられないでいるのかもしれない。今はまだその隙を何で埋めたらいいのかわからない。そもそも隙があることに今やっと気づいたのだから当然だ。

ここに書いたことは、本当は墓まで抱えていくつもりだった。しかし、彼女が過去を懐かしんでいるのを見て、僕もそうしなければ前に進めない気がして筆を執ることに決めた。


果たして僕は次に彼女に会った時、背筋を伸ばして、目を見て、笑って言うことができるだろうか?

「君のことが好きだった。」

と、今はもやのかかった頭でそんなことを考えている。










P.S. こんなことを書いているが結婚願望はあったので、実は最近結婚した。恋愛の終着点だ。もしかすると僕の今の空虚さの原因はこれかもしれない。そんな気もする。