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インターネット黄泉比良坂

托鉢する人を見かけたら、なるべく喜捨をするようにしている。ひと声かけて小銭を鉢に入れると、持っている鈴を鳴らして何やらぶつぶつと唱えてくれる。
その瞬間、許されたような気持ちになる。何に許されたのかはわからない。
鉢には他にも小銭が入っている。お札が入っていることもある。そこに私以外の誰かのやりとりを意識する。喜捨をするとその日一日幸運が訪れ……と言いたいところだが、大抵は良くも悪くもなく終わる。寝る前に、街中でひとり佇む修行僧の、その周りにぽっかりと穴が空いたような不思議な空間を思い出しながら眠りにつく。

真・女神転生というゲー厶がある。1992年にアトラスから発売された古いRPGである。舞台は199X年の東京であり、仲間にした神や悪魔を合体していくゲームシステムや、「メシア教」と「ガイア教」という二つの宗教の対立に巻き込まれていくストーリーなど、当時流行していた剣と魔法の西洋風ファンタジーとは一線を画す作品である。
私はそこに出てくるロウヒーローというキャラクターが好きだった。ロウヒーローは主人公の仲間の一人であり、もう一人の仲間のカオスヒーローと三人で魑魅魍魎がはびこる東京の街を闊歩する。
ロウヒーローのロウとはLAW、すなわち法と秩序である。彼はその名にふさわしく、真面目で清廉だった。行方不明になった恋人を探していた。柔らかい茶髪に優しげな顔をした彼を初めて見たとき、こんな素敵な男性が存在するのかと驚いた。平成初期に小学生だった私の周りには、汗と泥と手で拭った鼻水の跡が顔と短パンにこびりついた男子しかいなかったからである。
しかし私は当時クラスで一二を争うほど背が高く、そして太っていた。それがたまらなく恥ずかしかった。ニキビだらけの脂ぎった顔に毛深い手足、そして初潮を迎えたばかりの生臭い身体。小汚い猿のような男子たちよりも遥かに大きく醜悪な私は、一体何の化け物だというのだろうか?
でもきっと、ロウヒーローは私よりも背が高い。体重も私の方が軽いだろう。もしかしたら、私みたいな可愛くない子でも守ってくれるかもしれない。そう思うと、なんだか許されたような気がした。

主人公たちにはデフォルトの名前が無い。そのためプレイヤーはゲームスタート時に好きな名前をつけることになる。もしかしたら、ロウヒーロー(とカオスヒーロー)に友達の名前をつけた者もいるかもしれない。
しかしそれは悪手である。どちらも最後には死ぬからである。特にロウヒーローは二度死ぬ。

物語のターニングポイントとして、「アメリカ政府が東京にICBMを投下する」という今では考えられないようなイベントが発生する。主人公たち三人は金剛神界という異空間に飛ばされ、元いた世界に戻るために修行を積む。ようやく地上に出ると、三十年が経過していた。202X年の東京はすっかり荒廃し、持っていた円は紙屑と化す。
そしてロウヒーローは探していた恋人との再会を果たす。恋人は行方不明になった時とまったく同じ姿をしていた。彼女はゾンビにされ、三十年もの間その場に留まり続けていたのである。
今思うと、人間としての彼の生はここで終わっていたのかもしれない。恋人の末路を見届けたロウヒーローは、その後主人公を敵の攻撃から庇って死ぬ。一連の動向を見ていた神の使いがロウヒーローの行いに感銘を受け、彼の魂を神の元へと送る。これが一度目の死である。

一度だけ、神になったことがある。
小学五年生の林間学校だった。キャンプファイヤーの際にちょっとした寸劇を行うという。内容は、火の神が精霊たちに自分の火を分け与えて焚き木を燃やすというものだった。火の精霊は各クラス一人ずつ、火の神役は学年で一人だけである。
クラスで役決めをした。私は火の神役をやってみたかったが、きっと他にもやりたい人が沢山いるだろうと思うと気が怯んだ。
だが予想に反して誰も手を挙げなかった。火を扱うのが怖かったのかもしれない。そういえば理科の実験でアルコールランプに火を点けるのもみな嫌がった。誰もやりたがらないので仕方なく私がやった記憶がある。
私は平気だった。マッチの先で燃え続ける火を持つことも、沈黙する教室の中でたった一人手を挙げることも。

キャンプファイヤー当日、私は画用紙で作った金の冠を被り、四人の精霊と共に立っていた。杖に見立てた長い棒の先にはアルミ缶の器が取り付けられ、中に火種が入っている。
傍らの教師が私の杖に火を点けると、アルミ缶から一気に炎が噴き出した。アルコールランプの細く弱い火とは違い、暖かい国の果実のような生命力があった。夜の闇は黒一色ではなく、藍色と深い緑が混ざった有彩色であった。
緊張はしていたが、恐れは無かった。火の神としての口上を述べ、精霊たち一人ひとりに火を移していく。彼らは自分の持っている杖に火がつくと、口元を引き締めた。最後に精霊と一緒に中央のキャンプファイヤーに点火し、役目を終えた。
暗がりの真ん中で煌々と輝く炎の前では、誰もが同じ姿形をしているように見えた。

ロウヒーローは救世主として「復活」を遂げる。命を落とす前の面影はなく、剃髪に僧帽を被り、血の気のない人形のような顔で主人公たちの前に現れる。
彼を復活させたのは、メシア教という宗教団体である。メシア教は神の統治により地上に平和をもたらす千年王国の実現を目指している。
真・女神転生はマルチエンドであり、ルートによってはロウヒーローと戦うことになる。戦わない場合はもう一人の友人であるカオスヒーローに殺される。どちらにせよ、彼は千年王国へは辿り着けない。主人公が引導を渡すと、「僕は生贄に過ぎなかったのか」と絶望し息を引き取る。これが二度目の死である。彼は神の傀儡としてメシア教に利用され、捨てられたのだ。
対してカオスヒーローは悪魔と共存し弱肉強食を良しとする「ガイア教」を体現する存在である。悪魔と合体し力を手に入れ、かつて自分を虐めていた不良を殺し、最後まで自分のやりたいことを貫いて「いい夢だった」と満足げに絶命する。恋人も救えず、何も成し遂げられなかったロウヒーローとはあまりにも対照的である。
いつだって統制された秩序ある世界は悪で、混沌の中で自由を求めることは正義だ。自らを犠牲にして友を救う勇気もないくせに!

年を経るごとに現実は忙しくなる。成人してからは彼を思い出すことも無くなった。好きだったことすら忘れていた。それでも、無意識のうちに彼に似た存在が現れるのを待っていたような気がする。柔らかい茶髪に優しい顔をした人。困ったときに助けてくれる人。マンガ、アニメ、アイドル、俳優、バンドマン、スポーツ選手、お笑い芸人、Youtuber、そんな人はいくらでもいた。そしてどこにもいなかった。

いつまで待っても来ないなら、こちらから行くしかない。

そう思えるようになるまで三十年かかった。その間に結婚した。出産もした。栄養と脂が程よく抜けた身体は昔より遥かに身軽で、醜い獣から枯れ木のように変化した。人は歳を重ねると動物から植物に近づいていくのかもしれない。
三十年とは、丁度東京にICBMが投下されたのち金剛神界で過ごした年月と同じである。円はまだ紙屑にはなっていない。伊耶那岐命は黄泉比良坂で変わり果てた妻の伊耶那美命の姿に慄き逃げ帰ってくるが、私は彼がどんな姿でも連れ帰ってみせる。

しかしどうやって?

一つだけ当てがあった。
正史扱いではないが、公式で「ICBMが東京に投下されなかった」というルートが存在するのである。東京が滅びなければロウヒーローは主人公を庇って死ぬこともないし、救世主として復活させられることもない。
真・女神転生のリリースから数年後、「真・女神転生if…」というスピンオフ作品が発売される。これが真・女神転生でICBMが東京に投下される直前の話なのである。ここから東京が滅びなかったルートが生まれる。その一つが後の大ヒット作となる「ペルソナシリーズ」である。
ペルソナシリーズはそれぞれ独立した話ではあるものの、同じ世界を共有していることが伺える。一作目の「女神異聞録ペルソナ」と二作目の「ペルソナ2罪/罰」には「真・女神転生if…」の主人公がゲスト出演しているし、三作目の「ペルソナ3」では前二作のキャラクターがテレビでインタビューを受けている映像が流れる。「ペルソナ4」ではペルソナ3の舞台になった街へ修学旅行で訪れる。そしてシリーズ最新作である「ペルソナ5」ではペルソナ4の仲間の一人であるアイドルのポスターが街中に貼られている。
勿論これらはストーリーに直接絡む要素ではない。おまけ程度のファンサービスであり、パラレルワールド扱いになっている。それぞれの世界が地続きであることの証左ではない。
しかし軽子坂に、御影町に、珠閒瑠市に、巌戸台に、八十稲羽市に、そして四軒茶屋に彼がいないという証拠もまた無い。無いものを証明するのは不可能なのだ。昔、真・女神転生のゲームを立ち上げると「すぐにけせ」という警告メッセージが画面いっぱいに表示されるという都市伝説があったが、公式で否定された。しかしその後も「すぐにけせ」を見たという者は後を絶たなかった。それを受けて女神転生シリーズの開発者である鈴木一也は「もしかしたら、こことは違う世界線ではそういうこともあるのかもしれないね」という粋なコメントを残してくれた。その鈴木一也も、数々のキャラクターや悪魔を生み出した金子一馬も既にアトラスを退社している。父と母はもういない。

小学生で初めて真・女神転生をプレイしてから今に至るまで、私は彼のことを誰にも話したことがなかった。話せる相手がいなかったからだ。当時は周囲にゲームをやる女子は殆どおらず、男子も格闘ゲームやアクションばかりだったからだ。こうして記憶の断片をかき集めて文章に落とし込むことで、初めて輪郭を得た。
しかしインターネットなんざ黄泉比良坂と大差ない。どんなに大層なことを書いてもそこに実体は無い。怖くても自分の声で生きている誰かに伝えなければ、物語は伝承されないのだ。

私は夫に一連の話をした。
夫も真・女神転生をプレイしたことがある。先ほど話せる相手が誰もいなかったと言ったが、実は一人だけいたのだ。夫は普段から私のどんな荒唐無稽な話も聞いてくれるが、今回は流石に引かれるだろうと思った。はるか昔のゲームの死んだキャラクターがもしかしたら生きているかもしれないという自説を語る中年の妻の姿は狂気である。それでも話した。
私が話し終えると夫はすぐ口を開いた。夫はいつもレスポンスが異常に早い。

「俺の友達にもカオスヒーローに狂ってた奴がいた」

え、そっち??
私の渾身の冥界下りの感想は???

どうやら私の話は夫の思い出に吸収されてしまったようだ。夫曰く、その友人はカオスヒーローが好きすぎてカオスヒーローのイラストを描きまくっていたらしい。まあ、そうだよね。男子なら断然カオスヒーローだよね。私はそんなことも知らなかった。夫とその友人が少しだけ羨ましかった。私が本当に欲しかったのは、真・女神転生の話ができる友達だったのかもしれない。もしロウヒーローが生きてるならカオスヒーローも多分生きてるよ。良かったね。私は何だかんだでカオスヒーローも嫌いではないのだ。だって一緒に戦った仲間だから。

この話を書くにあたり、色々と調べている中でロウヒーローがマエストロを目指していたことを初めて知った。彼にも人間としての夢があったのだ。
199X年に恐らく学生だったであろう彼は、今生きていれば四十を超えている。もしもどこかで柔らかい茶髪に優しい顔をしたマエストロの中年男性がいたら、ぜひ私に教えてください。
必ず会いに行くので。


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