櫻井敦司はもういないじゃない

(長年のファンの方を怒らせそうなタイトルですいません)


 去年の12月あたりから突如BUCK-TICKにハマりました。

 最近BUCK-TICK公式がBUCK-TICK SUNDAY LIVE STREAMINGという企画をやっていて、毎週日曜日夜20時から過去のライブを配信してくれている。昨日は第5週目でした。


 昨日は2022年の35周年記念ライブの横浜アリーナ公演でとても楽しかったです。
 でも反戦歌(らしき歌)を連続で演奏した時はどんな気持ちになればいいのかわからなかった。もちろん平和への思いが強いのは素敵なことなんだと思うけれど、共感を強制されているような、あるいは大きな共感の波にのまれて自分を乗っ取られそうな感じがしてすごく怖くなってしまうんですよね。

 とはいえ、それがBUCK-TICK(というよりあっちゃん?)の叫びたかったことならば、音楽という形で存分に叫んでもらえたらなと思います。きっとそれがどこかに届いたり広がったりすると思うので。



 あとこのライブ配信の前日(2/24)に、櫻井敦司がいなくなってから初めてのライブであるバクチク現象2023がWOWOWで放送されていて、それに絡めたコメントも多かった。
 「昨日のあの放送の後だから今日のライブは安心する」とか、「やっぱりBUCK-TICKの真ん中はあっちゃん」とか。

 長くBUCK-TICKを見てきてあっちゃんのいたころを知っている人だからこそ、やりきれなかったりなかなか気持ちに折り合いがつかなかったりしますよね。


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 フロントマンである櫻井敦司のいなくなったBUCK-TICKは、ヒンメルのいなくなった後のヒンメル一行を見ているみたいだなと思う。(葬送のフリーレンという漫画の話をしています)
 その意味ではフレディ・マーキュリーのいなくなったQUEENも同じかもしれない。


 勇者を失った喪失感はあまりにも大きい。
 でも、ヒンメルの思いとヒンメルの守った世界はこれからも続いていくし、フリーレンの旅はこの先も途方もなく続いていく。フェルンやシュタルクがいなくなっても多分続いていく。
 メタな話をすると葬送のフリーレンはヒンメルが1話で亡くなってから始まる物語なのだから。

 QUEENだって、70代のブライアンとロジャーはアダム・ランバートという新たな希望を連れて現役で活動してる。



 だからきっと、櫻井敦司がいなくなっても世界は続いていくし、BUCK-TICKは生きている。ついでにわたしたちの人生も終わってはくれない。
 櫻井敦司の死と入れ替えに、残された4人のBUCK-TICKの物語がたった今はじまったばかり。


 きっと物語はどんな風に進んでいってもよくて、例えばQUEENのジョン・ディーコンのように船を降りることを選ぶのもひとつの物語なんだと思う。
 あっちゃんのいないBUCK-TICKはやっぱり聞けないと離れていく人の選択も尊重されてほしいと思います。

 でも、櫻井敦司がいなくなってからBUCK-TICKに出会ったいちファンとしては、残された4人がまた物語を紡いでいくことは紛れもない希望なんです。
 若い世代にまでQUEENの音楽を届けたアダム・ランバートがQUEENの希望であるように。


 どんな形であってもいい、
わたしはこれからのBUCK-TICKの物語を楽しみにしています。

ここまで読んでくれたあなたがだいすき!