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240416(タブー視しないで)


あの人の一人目の子供は、本当に一人目ですか?


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ずっとずっと思ってることを書きます。


《 流産・死産を語ることをタブー視しない世の中になってほしい。 》

世の中、友達や先輩後輩、職場を含めて、身の回りで流産や死産のことがあまりにも語られないから、語ることがタブー視されているんじゃないかと思う。


もちろん話したくない人は、無理に話す必要はない。


話すようなことじゃないって言い張る人もいるかもしれない。


ただ、私みたいに、『誰かに話すこともグリーフケアの一つ』になってる人にとっては、話しづらい世の中やと感じるし、話せないことがストレス。


心配してくださる言葉があっても、泣いちゃうからそれ以上は話聞けないよ〜〜〜って言われたこともあるし、こっちとしては複雑な気持ち。


辛いことを経験した人だけが生きづらいよな〜言いたくても我慢しなあかんよな〜っていつも思う。


 
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話すようなことじゃないって風潮もあるくらいやから、話したところで聞き手を困らせてしまう可能性もある。


けど、聞いて返事に困るのも、タブー視されていて話を聞く機会が少ないから?とか、経験しないと分からない気持ちやから?って思う。


話を聞く機会が少ない分、知らない間に誰かにとって軽率な発言をしたり誰かを傷つけたりしてる可能性もあるから、ちゃんと話せる世の中に変わったほうが良いと私は思ってるんやけどな…


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そう思った、ある出来事。

(以下、身バレ防止の為に話を一部変えています)


死産があったことを友人に話したとき、実は友人も流産を2回経験してた、とカミングアウトがあった。


付き合いは長いけど、そんなこと初めて聞いた。


同じ経験をしたからこそ教えてくれたと思うし、共感できる話がたくさんあった。


その話の流れで、一言でまとめると軽率な発言やなって思うことも日常生活で感じることがある、と教えてくれた。


言葉を選ばずに要約すると、周りの人からの妊娠・出産報告で


『二人目の赤ちゃんが 簡単 に妊娠できた、 簡単 に産まれた』


と解釈せざるを得ない言い方をされたことがあるらしい。


2回流産を経験して、やっと一人目を妊娠・出産した友人は、その報告を遮って


『そんな 簡単 なことじゃないのにな』


なんて言えなくて、グッと飲み込んでた、と教えてくれた。


この話を聞いて、


《もし流産や死産を話すことがタブー視されていなければ、そういった経験を周りの人に話しやすくなって、話を聞く機会が増える分だけ経験者へ配慮のある世の中に変わって、軽率な発言や誰かが傷つくことは無くなるんじゃないか?》


って思った。


さっきの報告の言葉に落とし込むとしたら、


『二人目を授かって、無事に産まれたよ』


と、その言葉を伝えるだけで良いと気づけるようになるのでは?と思った。


どうか語ることはタブー視せず、話したいと思える人たちが自然に話せる世の中、話を打ち明けられても返事に困らない世の中、聞き手も周りの人へ配慮が持てる世の中になると良いなぁ…



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