私たち
私のお腹の中には、第一子の愛しい娘がいました。
妊娠が分かってから、すぐにかかりつけの産婦人科へ通いました。妊婦健診はいつも順調でした。
元気な心臓の音を聴く度に、小さな命が自分の中で一生懸命に生きているんだな、と思い、自分よりも早い鼓動が愛おしくてたまりませんでした。
安定期に入れば、
"当たり前のように元気な子を産むことができる"
と、そんな風に思って日々を過ごしていました。
パパとママと娘と同じ家の中で、楽しく賑やかな暮らしになるんだろうなと楽しみにしていました。
でも、別れは突然でした。
妊娠24w0d(7ヶ月の始まり)の日の検診で、
医師より
" 心拍が止まっています… "
と言われました。
しかも、エコーで診れる娘の顔周りのむくみの状態から推定すると、1週間ほど前に心臓が止まっているとのことでした。
その頃は、検診の間隔が2週間になったばかり。
この2週間の間に何があったのか、なんでこうなったのか、わけが分からなくなった。
1週間も前に心拍が止まっていたのに、私自身には何も自覚症状が無かった。
胎動も感じづらい週数で、出血も破水も腹痛も何も無かった。
体調不良を起こすほど、無理をして過ごしたつもりもなかった。
…と、死産が発覚する前の日々では思っていた。
(死産が発覚してからは、あの時のあれが良くなかったのかな、って後付けだったらいくらでも思い返せるのが不思議で、自分が憎くなりました)
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" 心拍が止まっています… "
この言葉に辿り着く数秒前ほどから、
『いつもの検診と違う、何か嫌な予感がする』
って思った。
エコーで娘を診ている時、いつもより時間がかかっていたし、
悲しいことだけど間違いなくちゃんと伝えなきゃ、と医師が思ってくれていたのだとしたら、その気持ちが医師の声のトーンに出ていたからだと思う。
だからか、悲しいことを告げられてパニックになったのに、今すぐに泣きじゃくりたいのに、
心のどこかで "あぁ、やっぱり" と、妙に納得してしまっている自分がいた。
そして、まさにこの日に、私が考えていた
"当たり前"
が全て崩れ落ちました。
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それからすぐに紹介状を書いてもらい、総合病院へ転院。
もう一回診てもらっても、別の医師に診てもらっても、やっぱり心拍は止まっている。
"子宮内胎児死亡" の結末は変わらなかった。
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2024.1.23、誘発分娩で、
産声のない出産を経験しました。
妊娠24w4d の日でした。
娘に会えた時は私が泣くと思ったけど、
娘の顔を見たら会えて嬉しいという気持ちと、
数日間で急にいろんな出来事が立て続いていたから頭が追いつかず、どこか冷静という状況が混じっていました。
でも、何より、娘のママとして産んであげることが出来て良かった。娘にちゃんと会えて良かったよ。
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2024.1.25、朝一番に火葬しました。
こんなに早く、最愛の子とお別れするなんて
思ってもいませんでした。
声もまだ聞いていないのに。
骨はしっかり残ってくれて、骨壺に入れて一緒に帰宅しました。今も手元供養しています。
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1回目の月命日も経験し、時間が流れていく中で、少しずつ元の生活に戻りつつあります。
そんな中でも、お別れしないといけなくなった悲しい出来事を走馬灯のように思い出しては、急に涙することもあります。
悲しみは一生癒えないけど、日記を書いたり、同じ境遇の方の本を読んだりして自分を元気づけて、少しずつ前向きに頑張っていこうと思って、今を過ごしています。
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今日までで感じたことは、
"とにかく娘が可愛い"
"パパもママも親としての自覚を持っていたし
今も変わらず持っている"
"世の中は死産や流産のことが
知られなさすぎている"
ということ。
noteをはじめようと思う "きっかけ" になったのは、3番目に挙げたこと。
悲しいことだから語られにくいのは分かるけど、
そのせいか、
当事者としては自分が死産を経験する側の人間になるとは思ってもいなかったから、どういう顔をしてどういう気持ちで過ごせば良いのかが分からないし、
周りとしては、もし声をかけるならどういう声をかけたら良いのかが分からないって気持ちになっていると思う。私の両親でさえ、言葉に詰まっていたから。
逆に、どういう言葉だと当事者を傷つけてしまうかがたぶん分からないのだろうな… と感じることもしばしば。
私自身、決して言葉を綴るのは上手ではないし、発信力も影響力も何もないけど、
当事者なりに、死産や流産という経験に対して
世の中にこんなことを知ってもらいたい、
ということを記せたら良いなと思っています。
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それから、最初に投稿した
『はじめまして』
に書いたことを転記しますが
" 悲しい言葉も、前向きな言葉も全部含めて、誰かの体験が誰かに寄り添うことが出来るのなら、
私も誰かに寄り添う側の人にもなれるように、言葉を綴っていこう、そう思ってはじめました。"
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