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想像と想像と想像 #32

「カニと愛」

おせちを毛嫌いしている我が家の正月料理。
たっぷりつゆと出汁の入った鍋の中には、前もって気持ちばかりのネギと白菜が入っている。
残念ながら、彼らにあまり出番はない。
罪悪感を打ち消すための、前菜でしかないのである。

前菜を即座に片付け、冷蔵庫から本日のメインをうやうやしく取り出す。
そう、カニである。
高1の時から一人暮らしをしている僕にとって、めったにお目にかかれない代物である。
カニ2匹分が、すでにカットされた状態で食卓に運ばれてくる。
足の部分の殻が半分剥がされた状態なので、手でぼきぼきやる必要もない。
ただ身を、箸で削ぎ落とせばよいだけなのである。
そんな無防備なカニたちを、人数分ずつ鍋の中にぶち込んでいく。
ぐつぐつと煮えたぎる出汁の中で、カニの身が少しずつ赤みを帯びてくる。
この時間の飯テロに耐えかねてしまった読者の皆さんには、心から気の毒なのであるが、カニの身が僕を呼んでいるようなので、ここは失礼させてもらうとしよう。

ただ、今年は大きな問題が発生した。
小5と小1の従兄弟が横に座っているのである。
10年程度しか生きていない彼らにとって、カニは非常に魅力的なのである。
当然、人数分茹でたのに関わらず、もう一個食べたいとせがんでくる。

「申し訳ないが年功序列でやらせてもらってるんだ。僕より先にかぶりつけただけありがたいと思ってくれ。」

そう言おうとした矢先、僕は目をか輝かせる小1に自分の身を差し出していた。

しっかりしろ自分。
カニだぞ。

そう自分を怒鳴りつけながら、うまく箸を扱えない未熟者のために、僕は殻を手に取った。
カニの身がほろほろと汁に溶けていく。
その様子を、昼寝で体力を全回復させた未熟者は嬉しそうに眺めている。
その顔を見てしまった僕は、ひたすらカニの殻剥き係に徹するしかなかった。

少しして自分の皿を見ると、二本の足が入っていた。
母が、カニ剥きに徹する私を見かねてしれっと入れておいてくれたのだ。
母もろくにカニを食べられていないはずである。
そんな暖かな母の慈愛を感じながら、僕はカニを貪った。

未熟者たちが満足げな表情を浮かべ出し、大人たちもある程度カニを平らげた後、本当のメインディッシュが残されていた。
そう、蟹味噌である。
ただ、2匹しかいないため蟹味噌は2つしかない。
これから起こるであろう激しい争奪戦を予期した僕は、

「妹って蟹味噌苦手だったよね?」

と少しでも競争相手を減らす作戦に出た。
我ながら機転が効いたものである。

「あー最近食べられるようになったんだよね。わさびとかもさ。」

僕の妹の記憶は、小6で止まっている。
今年18歳になった妹は、僕の想像を超えるほど成長していた。
こうして僕の奇策は不発に終わったのである。

すると、母がおもむろに2つの蟹味噌を手に取り、鍋に投下した。
なんたる悪行であろうか。
これには、世界を驚愕させた独裁者たちもびっくりである。
ただ、我が家の独裁者の権限は、そんじょそこらの独裁者よりも強い。
おそらく、金なんたらも母の前では一言も発することはできないであろう。

ただ、我が家の独裁者は非常に聡明であった。
この蟹味噌スープの中に、大量のご飯を投下した。

蟹味噌雑炊。

これは、上手く使いこなせば天下を取れる代物である。
選挙の公約で「蟹味噌雑炊プレゼント!」と言えば、総理大臣だって夢ではない。
そんな地球最高の食べ物を、残った大人たちで均等に分け合ったところで、我が家のカニ戦争は終結した。

カニは、人に慈愛の心を学ばせるために生まれてきた生物である。
人々が分け合うことの重要性を学ぶために、カニの足は何本も生えているのである。

カニを無我夢中で貪っていた10代の頃とは異なり、僕にも慈愛の心が芽生えてきたのかもしれない。
そんな自分の成長を嬉しく思うと共に、偉大なる母の愛と知恵の素晴らしさを、カニの身と僕の身をもって実感したのである。

神は二物を与えずというが、カニには身と味噌という宝物が2つ揃っている。
神が作った完璧な創造物。
神様ではなく、もはやカニ様である。

カニと母の愛に浸っていると、我が家の独裁者の指示が僕の耳に飛び込んできた。

「けんたろう、今洗濯機鳴ったの聞こえたでしょ。2階に干してきてよ。」

カニ鍋に思いを馳せながら、僕は極寒のベランダという新たな戦場へ足を向けた。

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