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想像と想像と想像 #26

「マスクの表と裏」

みなさんも記憶に新しいと思うが、1年ほど前まで、年がら年中マスクをつけていなければいけない時期があった。
この3年ほど、僕は大きな苦痛を味わい続けていた。

この一文からも分かるように、僕はマスクが大嫌いである。
あつい、むさくるしい、耳がぎゅっとなって痛い、鼻が擦れる感じがする、唇がばかみたいに乾燥する。
あげていけばキリがないが、何よりも耳にモノがぶら下がり続けているという事実が嫌であった。
全国民の耳が2ミリくらい下にずれたという報告結果があってもおかしくないくらい、耳に負担をかけていたと思う。

コロナになる前から、インフルエンザの時期などにマスクをつける風習はあった。
学校のルールというほどではないため、僕は健康優良児であることを盾に、このマスク圧力に対抗し続けた。

花粉の時期も同様である。
春の時期に襲来する花粉により、僕の目と鼻は惨状をもよおすこととなる。
鼻水が止まらず、常に鼻声になる危険に晒され続けるのだ。
この惨状を経験してなお、僕はマスクに抗い続ける。
鼻水よりも、マスクの不快感の方が精神的なダメージが大きいからである。

ただ、僕にはこのコロナ禍で大きな心境の変化があった。
マスクをする理由について考え直したことである。

一年生の2月ごろ、コロナにかかりあの苦しさを経験した。
普通の風邪とさほど変わらないものではあるものの、一人ぼっちで熱に浮かされた。
その孤独感は、相当のものである。

今までは自分の不快感だけを優先していたが、他の人に対して想像力を持つことの重要性をこの一件から学んだのである。

自分の境遇と倫理観。
この2つの事柄を比較し、選択することは非常に困難である。

例えばある駆け出しの役者の話。
その役者は、友人と自主制作映画に没頭していた。
その活躍が認められ、大手芸能事務所からオファーを受ける。
ただ、そのオファーを受けるには友人との関係を切ることを意味する行為を行わなければならない。

このような場合、あなたならどうするだろうか。
1つは友人を優先し、映画を作り続ける道。
もう1つはオファーを受け入れる代わりに友人を売る行為をする道。

何度も考えてはみたが、僕はこの2つの道はどちらも正しいもののように考えられる。
倫理観を優先して、友人を大切にしながら映画を作り続けても、再び脚光を浴びるとも限らない。
そのため、倫理観を捨てて利己的になることも、チャンスを活かすしかないこの業界では、必要な能力であるように思える。
いや、このチャンスを逃してしまうような人はそもそも向いていないのかもしれない。
ただ、友人に対して想像力を持って接することも、人として重要な要素である。

どちらも正解とも言える選択ではあるが、選択をした以上、責任を果たす必要がある。
将来のこと、恋愛のこと、友人のこと、仕事のこと。
世の中のどんな選択にも、責任はついて回るのだ。
責任を負う以上、責任を持つ必要のある事柄に対しては常に真摯に向き合わなければならない。

今回の例え話に出てくる役者であれば、倫理観を優先する場合はいっそう仕事に励むこと、自分を優先するのであれば、倫理観を損ねた分の相応の対価を相手に与える必要があるように感じる。

そんなことをふと考えていると、僕の目に携帯灰皿が飛び込んできた。
ポイ捨てなどをしないようにするための灰皿。
喫煙者の持つ唯一の倫理観の象徴とも言える。
彼は久しく家主に携帯されず、行き場を失っていたようだ。

僕は彼に、選択しなかった倫理観を補う役目を命じ、ポケットの中に忍ばせることにした。


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