“ ない ” 幸せがある
祖母の家
(私は小さい頃から父方の祖父母をお父さん、お母さんと呼ぶ。母方はおじいちゃん、おばあちゃん。なぜか分からないけど、それが私の4人の祖父母)
山の中腹から見下ろす夜景は、本当の贅沢を感じさせてくれる。
仕事休みの連休を使い、群馬県高崎市へ。
お正月に来れないけど1月中には来たいと思い、近年はよく行っている。
そこにあるものは、
自然と美味しいご飯とキリッとした空気、何気ない日常。
あ、後はコタツ。
とにかく山の中にあるココは寒くて寒くて、家の中なのにダウンを着ながら生活してるほど(笑)
家の中で白い息が出るのもあたりまえ。
前回の投稿でも書いたが、
携帯やSNSから少しでも離れた日々を過ごしてた私には、
例年の『お母さん家』とは、また違った時間を過ごしていた。
↓
小さい頃のお母さん家に来た楽しみと言えば
美味しいご飯をたっくさん頂くこと、夏でも冬でも山の中(庭)で遊ぶこと。
竹で弓と弓矢を作ったり、木登りしたり、虫を探してみたり。子供にとっての自然遊びは無限大。
だけど、大人になるにつれて
外遊びはなくなり、いつの間にかコタツで美味しいお母さんのご飯を頂いて、また頂いて、たまにコタツで寝ちゃったりして。。。
そりゃ太るわぁ(笑)まぁそんな時間も幸せだったりして。
後は外遊びの代わりに増えたこと、
携帯を見る時間 なんだよね。
今は携帯の中に沢山の娯楽が詰まってるから、携帯一つ持ってたら暇することはない。
今回はそれを
なるべくデトックスしてたから(デジタルデトックス)
暇ができたんだよね。
でも 暇 によって得た幸せがあったの。
お母さんのお料理を見に台所に行ってみる
人生で何度かした読んだことない新聞を読んでみる
自然の中へお散歩に行ってみる
お母さんに自分のルーツや歴史を聞いてみる
(コタツで)早〜い時間に寝てみる
いつもだったら暇さえあれば、携帯を見ていたけど
暇があるから、時間があるから、お母さんから得る学びが沢山あった。
都会や携帯が “ない“ からこそ
見つけれる幸せがあって
便利な調理器具が “ない” からこそ
手間がかかるご飯が美味しくて
家の周りにビルや家が沢山 ”ない” からこそ
空が広くて綺麗な星と夜景が見えたりして
あ〜何もないって、
本当はめちゃくちゃ ある って事なんだなぁと。
必要なモノは全て揃っていたし、
本当の豊かさとは何かを教えて貰った気がする。
そんないつもとは違ったお母さん家が
今年は凄くすごく、充実した場所に感じた。
最後にね
お母さんって最高ーーーー!✨✨✨
世の中のおばあちゃんって皆んな素敵。
私にとって大好物づくし!な最後の晩餐を頂いて
東京へ帰ります…。
❤️LOVE & PEACE🌏
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