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【アイドル・アンド・ハリセン・ライブ】

 どんよりと澱んだ曇り空は、ここネオサイタマにおいてはもはや常識と化した風景である。むしろ、人体に悪影響を及ぼす重金属酸性雨が止んでいる今日のような日こそ珍しいだろう。それ以外は普段通り、街頭スクリーンの中では流行のアイドル達が最新曲を披露し、スパークドリンク売りが通行人に声をかけている。

 天を衝く一等地高級ビル群の中に一際高く聳える建物あり。広大な敷地に巨大ビルだけではなく、レッスンスタジオ、コンパクトな劇場から大容量を誇るアリーナまでも完備したその空間こそ、ナムコ・アイドルプロが所有する本拠地だ。ビルにある事務所には事務員が常駐し、膨大なデスクワークに追われつつアイドル達にチャやオカキを供することを生き甲斐としている。最上階には社長室があるが、実際謎めいた存在であり、彼こそはニンジャや天狗である、などという噂が実しやかに囁かれているが、実態を知る者は多くない。

 地上13階では、給湯室や応接間、ザゼンルームが備えられ、時間の空いたり帰還したばかりのアイドル達の憩いの空間となっている。今日も何人かのアイドルが暇を持て余していた。

「ミライ=サン! 今日の収録お疲れ様でした!」
「うん! お疲れ様セリカ=サン。楽しかったね!」

 ミライとセリカはナムコ所属アイドルだ。彼女達は番組の収録を終え事務所に帰って来たばかり。そこにはもうひとりアイドルがいた。ソファに腰掛けている黒長髪の少女に二人がアイサツする。「タダイマ、シズカ=サン」「ドーモ、オカエリ」シズカは奥ゆかしく微笑み、湯気を立てる湯呑を差し出した。

「そろそろ帰って来るころだと思って」
「ヤッター!」
「アリガトゴザイマス!」

 少女たちはチャを飲みながら他愛のない話に花を咲かせた。アイドル稼業の花道は狭く、バランスを崩せば容易く転落してしまう。そんな日々の平安は友人達との交流によって保たれている。ユウジョウだ。

「でね~、今日のセリカ=サンは絶好調だったんだよ! 3人抜きだもんね!」ミライが興奮してまくし立てるのに相槌を打ちながら、シズカが視線を移す。テーブルの上にはセリカが置いた台本。「で、ミライ=サンはどうだったの。『トッテタタク』は?」「私もいいところまで行ったんだけど……」

 トッテタタクとは平安時代から存在する対人ゲームである。両者の間にハリセンとヘルメットを置いて向かい合って正座し、ジャンケンを行う。勝ったならばハリセンを取り相手を打つ。この時、守り手はメットを以てこれをガードする。見事アタックが成功したならば攻め手が勝者となる。

 ハリセンとヘルメット。このシンプルな組み合わせが生み出す攻防が人気を生み、今やアイドル番組でも目にすることは多い。起源は果し合いであり、使用されるハリセンは鋼鉄製であったが、現在では紙のため打たれても安全だ。適度なスリルも観客の興奮に一役買っている。

「それでですね、シズカ=サン。この後スケジュールはありますか?」「え? 後は……もうないけど」「それじゃあ! 第1回ミリオントッテタタク大会~!」そう叫ぶと、ミライはカバンからハリセンとヘルメットを取り出した。「ちょっと、それどうしたの?」シズカが目を丸くする。

 セリカがハリセンを手に取りピコピコ振る。「番組のスタッフさんがくれたんです!」「……そう」「はい! それじゃあやろう!」「待って、3人じゃ1人余るじゃない」「シードでいいよね?」「でも……」シズカが渋る。その時、休憩室のドアを開けて一人のアイドルがしめやかにエントリーした。

「……ドーモ」

「あ、シホ=サン! オハヨウゴザマス!」「シホ=サン! オハヨ!」「……オハヨウゴザイマス」シホは3人にアイサツすると、そのまま前を素通りしようとした。だが「イヤーッ!」その眼前にミライが立ち塞がる! シホは踵を返し出入り口へ「イヤーッ♪」その眼前にセリカが立ち塞がる!

「……何ですか」
「シホ=サンもやりましょう。トッテタタク!」

 セリカがハリセンを振りアピールする。彼女の眩しい笑顔に当てられシホは目を細めた。「私はいいです」素っ気なく答え、シホはセリカの脇を通り抜けようとした。セリカは慌てて手を広げる。「……あれ?」シホはドアノブに手を掛けた。「シツレイします」そのままドアを開けた。


「逃げるの?」


 シホの動きが止まる。「……何ですって?」静かな怒りを湛えた眼差しがシズカに向けられる。ニュービーなら失禁を免れぬであろう殺気が湧く。彼女は鼻で笑って続けた。「ゲームで私に負けるのが怖いんでしょ?」「あとで吠え面かかないでよ」シズカを睨み付けたまま、シホはテーブルのヘルメットを鷲掴みにした。

「シホ=サンヤッター!」

 無邪気にミライが歓声を上げる。シホとシズカが犬猿の仲であることは有名であり、殊更取り沙汰すことではないのだ。セリカも笑ってザゼンルームのフスマを開けた。ザゼンルームはタタミが敷き詰められた中部屋である。ここは仕事前のアグラ・メディテーションや、簡単なミーティングをする為に利用される。壁には「人生」「百万運命」「疾風迅雷」などのショドーがあり、静謐なアトモスフィアを醸し出している。

「ルールはマッタナシの一本勝負」
「途中、膝を浮かした場合も負けだよ」
「優勝者には私が持ってきたオカシをプレゼントです!」

 ミライとセリカのルール説明はシンプルだった。「じゃあ、オミクジを引いて」4人は各々のクジを示した。ミライとシズカのクジに聖獣アルパカの印。第一戦目の組み合わせだ。「シホ=サン」シズカの耳打ち。「必ず勝ち上がってよ。……私が叩きのめすから」不敵な微笑を残し、シズカとミライが向かい合う。

「ドーモ、ミライ・カスガです。ヨロシクオネガイシマス」
「ドーモ、シズカ・モガミです。ヨロシクオネガイシマス」

 向かい合えばオジギからのアイサツ。これはアイドルの絶対の礼儀だ。古事記にもそう記されている。再び視線を交わすとミライの手が揺らめき、次々と妖しげな形を展開させた。これは古代ローマカラテの型! ミライの特技であるカラテを高める演武だ! ハッケヨイ! シズカは厳かに手を膝の上に置き、虚空を見つめる。危険な沈黙! ミライが動いた!

「イヤーッ!」

「「ジャンケンポン!」」声を揃えたジャンケンシャウト! 繰り出される両者の手! ミライがパー、シズカがチョキ! ミライがメットに手を伸ばし「イ「イヤーッ!」「ンアーッ!」ゴ、ゴウランガ! 何たることか!? ミライの手がメットに触れもしないうちに、シズカのハリセンがイポンを取った! ワザアリ!

 ハヤイ! ハヤイ過ぎる! それはアイドル反射神経のみで成し得る神速の一手か!? 否、それは! 「シズカ=サン~いきなりジツはヒドイよ~」額を押さえ、涙目でミライが訴える。「甘いわよミライ=サン。アイドルライブは貴女の実力発揮を待ってはくれないの」

 然り。この反応速度はただのアイドル反射神経ではない。それは己のニューロンを加速させ、何倍もの体感時間の中でアイドル判断力とアイドル反射神経の強化を可能にするジツ。その名もプレシャスグレイン・ジツ! 「シズカ=サンの勝ちです!」セリカが宣言し、2人はオジギした。

 シホとすれ違う時、シズカは挑発的に口元を歪めた。これは『タイガーはウサギを狩るにも全力を尽くす』というコトワザに則った挑戦だ。望むところ。シホも負けてやるつもりもない。シホとセリカは向かい合って正座した。

「ドーモ、シホ・キタザワです。ヨロシクオネガイシマス」
「ドーモ、セリカ・ハコザキです。ヨロシクオネガイシマス」

 シホは油断なくセリカを見つめる。ニコニコ微笑む少女からは何の覇気も感じられない。だがシホのオーラを前に微塵も憶した様子はない。やはり一筋縄では行かないようだ。

「それでは行きますよ!」何の構えもなくセリカが手を上げる。「「ジャンケンポン!」」初手はシホがチョキ、セリカがパーだ。「イヤーッ!」シホがハリセンを振り上げた時、セリカはヘルメットに触れてもいなかった。(((トッタ!)))シホはセリカを見た。セリカもシホを見た。微笑みながら。

「イヤーッ♪」

 セリカがメットを被り身を竦める。その必要はなかった。シホはハリセンを構えたまま固まっていたからだ。「……!?」シホは驚愕に目を見開きながらハリセンを置いた。あのタイミング。確実にイポンをとれたはず。なぜ。観戦しているシズカとミライは笑みを浮かべている。

 彼女たちは知っているのだ。今何が起こったのか。シホは違和感を抱えたまま再びシャウトを発した。「「ジャンケンポン!」」出し手はセリカの勝ち。シホはメットに手を伸ばし、一瞬だけセリカの笑顔を見た。カワイイな笑顔。実際カワイイ……「イヤーッ♪」「イヤーッ!」シホは間一髪アタックを防いだ。アブナイ!

 シホは訝しんだ。己の方がカラテのワザマエは上。なのにどうして後手に回っている? あのセリカの笑顔を見ると、つい意識が割かれ……意識が? ……察しの良い読者の皆さんはもうお気づきになられただろう。そう、セリカの笑顔は小悪魔の誘い。それを見つめてしまった者は実際カワイイな笑顔に見入ってしまうのだ。

 その名もトキメキ・ケン! この本人さえ無自覚な攻防一体の構えこそセリカの最大の武器! この強力なカラテを破らずして勝利はない! どうするというのだシホ!? ……無言で向かい合うこと三秒、両者は同時に動いた。「「ジャンケンポン!」」シホがグー!セリカがチョキ! シホがハヤイ!

 セリカは手を出したまま動かない。まだジャンケンの勝敗がニューロンに行き渡っていないのだ。故に発揮されるはトキメキ・ケンの魔力! 人を例外なく魅了する笑顔は健在! ではシホは? ナムサン! ハリセンを取り振り上げた! 顔はセリカを向いている。このままセリカの笑顔にほだされてしまうのか!?

「イヤーッ!」「ンアーッ!?」

 パン! 小気味よい音が鳴り、セリカが悲鳴を上げた。シホのアタックが成功したのだ。イポン! 観戦席に衝撃が走る。シホは如何にしてトキメキ・ケンを破ったのか? シズカはシホの顔を見た。ゴウランガ! その目は固く閉じられている!彼 女は目を瞑っていたのだ!

「『どんなに明るくても、目を閉じていれば同じこと』……ミヤモト・マサシもそう言っていたはず」

 油断なくシホが目を開ける。トキメキ・ケン敗れたり!「シホ=サンの勝ち!」ミライの宣言。「実際良いイクサでした。ドーモ」そしてオジギ。セリカも頭を下げた。これで勝者は揃った。シホとシズカの視線が交錯する。

「えーと、それじゃあ先に3位決定戦を…」「スミマセン皆さん!」ミライの進行を遮り、セリカが素早くドゲザした。「実はこのあとに収録があるのを忘れていて……」「そうだったの。ならまた今度遊びましょうね」「アリガトゴザイマス! では皆さん、オカシは戸棚にありますから! オタッシャデー!」セリカは去った。

「……え~っと」

 残されたミライは、己がどれほどの窮地に立たされているか理解した。2人のアイドルの間に凄まじいプレッシャーが生じている。ミライが震え上がらんばかりの睨み合い。そしてどちらともなくタタミに正座した。相手から片時も目を逸らさず。

「ドーモ、シズカ・モガミです。ヨロシクオネガイシマス」
「ドーモ、シホ・キタザワです。ヨロシクオネガイシマス」

 両者の視線がぶつかり合い火花を散らし、ザゼンルームに油断ならないアトモスフィアが満ちる。そして、お互いに譲れないイクサが始まった。

「イヤーッ!」
「イヤーッ!」

 ハリセンがシホの頭上から襲い掛かる。間一髪メットが滑り込み頭部を隠す。「ヌゥーッ!」重い! メット越し、しかも紙で叩かれたとは思えない衝撃が走る! 「「ジャンケンポン!」」シホがチョキ、シズカがパーだ。

「イヤーッ!」

 だが、シホがハリセンを構えた時には既にシズカはメットを被っていた。それは当然ニューロンを加速させるプレシャスグレイン・ジツの為だ。シズカは出し惜しみすることなくジツを行使している。シホはその差を埋めるべく、己のアイドル反射神経とアイドル洞察力を駆り出す。

「「ジャンケンポン!」」「イヤーッ!」「イヤーッ!」シズカがハヤイ!「「ジャンケンポン!」」「イヤーッ!」「イヤーッ!」シズカがハヤイ!「「ジャンケンポン!」」「イヤーッ!」「イヤーッ!」シズカがハヤイ!「「ジャンケンポン!」」「イヤーッ!」「イヤーッ!」シズカがハヤイ!

 シホは相手の手の内を読み取ろうと試みた。しかしシズカの知能指数は高く、先読みは不可能だ。(((ふふ、私のアイドル反射神経にジツをかけて100倍よ。分かるかしら? この算数が。フーリンカザンは私にあり!)))彼女のアイドル反射神経は実際高くはない。しかしジツが加われば話は別だ。

「「ジャンケンポン!」」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「「ジャンケンポン!」」「「イヤーッ!」「イヤーッ!」紙一重の攻防が続く。辛くもシホは凌ぎ続けるが、シズカに有効打を打ち込むことも出来ない。このままではジリー・プアー(徐々に不利)は必至。(((何か打開策を……いえ、カラテあるのみ!)))

「イヤーッ!」
「イヤーッ! ……ヌウッ!?」
「イヤーッ!」
「イ、イヤーッ!」

 一打ごとにシホの打撃が早く、そして重くなることにシズカは気付いた。(((それだけじゃない。反応速度も上がっている……?)))ジャンケンをしてからのコンマ数秒の間が、シズカの為の刹那がシホに切り崩されつつある! ゴウランガ! これは如何なることか!? 答えはカラテだ。シホはアイドルセンスを研ぎ澄まし、相手の呼吸、視線、肩の動きを観察し、常に彼女の一手先を行くシズカに追い縋っているのだ! 何たる予知能力めいて瞬間的観察行為を実現させるアイドル動体視力とそれを補うアイドルイメージ力か!

(((コシャク!)))シズカは毒突き、さらにジツを重点! 「イヤーッ!」「イヤーッ!」既にジャンケン・シャウトは消え、繰り出す手はモチツキめいてシンクロし乱れることがない。同時に、互いのカラテが共鳴し高まって行くのが感じられる。まさにゴウドウ・レッスンの如く!

「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」ハリセン! メット! ハリセン! メット! ハリセン! メット! マッタナシ!

 ゴウランガ! おお、ゴウランガ! 2人の手は残像を残さんばかりに繰り出され、高まり合うカラテが完成された小宇宙的空間を作り上げた! もしもこの場に緑色事務員が迷い込んだなら、一瞬で鼻血を噴出し卒倒するだろう! 「……ワオ……ゼン……」傍らで見守るミライの目に涙が光る。一体何が彼女らを駆り立てるのか? 秘されたオカシ? 否。負け難きプライド? 否。それは……カラテだ。カラテなのだ!

「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」そして!

「「イイイイイヤアアアアアアアア!」」

 両者の動きが停止した。その手は互いに大きく開かれている。パーだ。「……スゥーッ……ハァーッ……」「……スゥーッ……ハァーッ……」乱れた息を整える。その息遣いはただの呼吸ではない。それはボイス・トレーニングにも使われる平安時代より伝わりし神秘的呼吸法・フクシキ! 2人のカラテが練り上げられる!


「「イイイイイイイヤアアアアアアアアアア!」」


 一撃必倒の意思を込め、両者の手が振り下ろされた! カラテ粒子を纏った拳が陽炎めいて大気を歪める! ……超常の風が止んだ。2人は相手の手を凝視する。シホの視線の先にはグー。そして、シズカの視線の先には……パーだ。

 ドクン。両者の主観時間が鉛めいて鈍化する。アイドルアドレナリン過剰分泌がもたらす異常集中現象だ。ゆっくりと2本の手が動き、それぞれの得物に向かっていく。ここでシズカが内心でほくそ笑む。彼女はジツによるニューロンのブーストを得て、更なる停滞した時間の中を幻視している。

 シズカは確かに目撃した。目の前で泳ぐように腕を突き出しているシホが、ほんの僅かに出遅れたことを! それは0コンマ1秒にも満たぬ隙かも知れない。だがアイドルのイクサではその一瞬が命運を分かつのだ! ショッギョ・ムッジョ! (((しょせん演技派気取りのヴィジュアルタイプ。この私の敵でじゃない!)))

 ナムサン! このままシホはイポンのチャンスを失ってしまうのか!? この機を逃せばシズカのジツに絡め取られ、じわじわとスタミナを奪われ敗北あるのみ! 無慈悲にも鈍化した時間の流れが戻る! シズカの手は既にメットを掴み胸の位置まで……


「「イヤーッ!」」


 振り下ろされるハリセン。徐々に持ち上げられるヘルメット。下がるハリセン。上がるヘルメット。ハリセン。ヘルメット。ハリセン。ヘルメット。ハリセン。ヘルメット。ハリセン。ハリセン。ヘルメット。ハリセン。ハリセン。ハリセン。ヘルメット。ハリセン。ハリセン。ハリセン。ハリセン! 


 パァン! 乾いた音が室内に響く。「……エ?」シズカの目が驚きに見開かれた。おお、見よ! 振り下ろされたハリセンは、ヘルメットを握り締めた彼女の艶やかな黒髪の上に乗っているではないか! そしてコンマ1秒の間を置いて衝撃が脳を揺らす! 

「ンアーッ!?」

(((ありえない! 一体何が…!?)))シズカはシホの出遅れを目撃したはずだった。しかして現にイポンを取られたのは己の方だ。まるでハリセンが急加速したかのように見えた。パニックに陥るが、ジツの名残か冴えわたるニューロンが答えを浮かび上がらせた。「……ライアールージュ・ジツ」

「ライバル倒すべし。慈悲はない」

 厳かに言い放ち、シホはハリセンを下ろした。然り、彼女のジツは己の仕草を一瞬だけ偽る力を持つ。ハリセンはシズカの観るほんの少し先を行っていた。永続的ではないが、アイドルのイクサでその隙は致命的となる。実際シズカは勝利を確信し油断した。インガオホー!

「『切り札を最後まで見せるな』。師父の教えです」「誰よ、師父って……」額の汗を拭いシズカは嘆息したが、自信過剰になって相手の思惑に乗った己のウカツを責めはしなかった。負けたが、全力を尽くした。よいイクサであったという達成感があった。「さ、オカシは貴女の物よ」

 シホはしばらく思案した後、シズカとミライに言った。「折角だから、オカシは皆で食べない?」「いいの?」「別に、オカシが欲しかった訳じゃないから」「オカシヤッター!」ミライは諸手を上げて喜んだが、シズカは不服気であった。

「私は」「シズカ=サン。よいイクサだったわ。ヘンに拘る必要は無いんじゃない?」自分と同じ様に汗を滲ませたシホに促され、シズカは躊躇った。そこへミライが声を掛ける。「シホ=サン、シズカ=サン、ユウジョウだね!」「そうね。ユウジョウ」「……ユウジョウ」

 シズカも渋々といった様子で頷いた。これぞアース・アフター・レインのコトワザ通りか。3人のアイドルは和やかに微笑み合った。それは夕暮れの河原で殴り合った後のヤンクめいて、実力でぶつかり合った者たちのみ通じるゼンの極致と言えよう。「それじゃあオカシ取って来るね!」

 ミライが戸棚に駆けていくのを見遣りつつ、シホとシズカは視線を交わした。「次はこんな風には行かないから」「ええ、望むところよ」口数は少ないが、そこには確かなライバルへの尊敬と信頼が込められていた。何かと諍いが絶えない2人だが、互いに良い競争相手だと認め合っているのだ。

「でへへ~! はい!」ミライが和風の箱を持ってきてタタミに置いた。高級感溢れる装いに期待が募る。「さ、どんなオカシかな~?」涎を垂らさんばかりに満面の笑みを浮かべたミライが勢い良く蓋を開けた。その中にあったのは……タイヤキだ。アイドル達が凍りつく。

「……あ」咄嗟に逃走を試みたミライのアイドル判断力は実際見事であった。しかし、それを阻むようにエントリーする者あり!

「イヤーッ!」「ンアーッ!」

 顔面をアイアンクローめいて鷲掴みにされ宙吊りになるミライ。アンブッシュ者の手は万力のように掴んで離さない!

「……サヨコ=サン」

 そのアイドルは、眼鏡の奥の目をマグロめいて暗く濁らせて呟いた。「そのタイヤキ、私のですよね……?」「ち、違うんです!これはミライ=サンが間違えて……!」「アイエエ! 決して盗ろうとしたのでは……」シズカとシホは震え上がり言い訳を並べる。「アバッ……」その眼前でミライは瀕死!

 サヨコは2人の言い訳を聞き流し、眼鏡を外すと丁寧に懐に仕舞い、言った。

「……モンド・ムヨ」
「「アイエエエエエ!?」」


どんよりと澱んだ曇天に悲鳴が響き渡る。だがその程度ことは、このネオサイタマではありふれたチャメシ・インシデントに過ぎないのであった。



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