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アイドル・ポリス26 #1

 

 ファンファンファンファン……ウシミツ・アワーのネオサイタマ市街を、一台のパトカーがけたたましく駆け抜けていく。前方の強盗と思しきボロ車を追っているのだろうか。パトカーの軌道は右に左に蛇行し、危うく接触しかけた乗用車が道を逸れ、街路の謎めいたオブジェにぶつかって爆発炎上した。

 賑やかな一般道に比べ、その上のハイウェイは実際静かだ。異常なほどに。……音もなく黒い車両が道を滑り来る。それはハイデッカーと呼ばれる特殊治安維持機構の専用車だ。夜闇に紛れるよう偽装が施されているのだ。その後ろに大型車両を挟み、もう一台。二台のクルマは護送車の警護に当たっている。護送車の中、メットを着用したハイデッカー達に監視され、一人の拘束着姿の少女が檻に閉じ込められていた。少女の名はシホ・キタザワ。ロックバンド『国家機密』のボーカリストだ。彼女はアンタイセイを謳う反社会的存在であったが、今日のライブにおいてこのような仕打ちを受ける謂れはなかった。

 ライブハウス『和三盆』でのライブ中、突如踏み込んできたハイデッカーは客に向かって非殺傷武器で襲い掛かり、彼らを理不尽に逮捕した。『国家機密』のメンバーも例外ではなく、むしろ彼女達は囲んで棒で叩くなど更なる残虐行為の対象となった。その中で、シホを庇った相棒は……おお、ナムアミダブツ。

 虫の息で生き残ったシホは何も分からないまま朦朧とした状態で連行された。全身の強烈な痛みが気絶を許さず、麻痺した感覚の中で悪夢めいた光景をリフレインさせている。拘束着などなくともシホは指一本動かせないだろう。放っておけば実際死ぬ重症である。

(((……私は……死ぬの?)))

 脳裏にバンドメンバーを打ちのめしたチーフハイデッカーの姿が浮かぶ。あのジゴクめいた警棒捌き。嗜虐心に満ちた笑み。怒りが込み上げてくる。だが彼女に復讐を果たす力はない。彼女は死ぬのだ。


(((いいや、死なないさ)))


 薄れゆく意識に声が響く。

(((ジュリア=サン……?)))

 それは彼女を守ったギタリストの声か、ただの幻聴か。シホの拘束された手が動く。(((あたしらのロックはフジミさ。そうだろ? シホ=サン)))在り日の相棒はそう言って笑い、指を独特の形に曲げて天に掲げた。彼女の得意のポーズだ。シホは折れた指を震わせ形を作る。抵抗の証、キツネ・サインを!

 急停車した護送車の窓にフラッシュが瞬く。防音仕様の車内からくぐもった銃声が数発。そして不気味な沈黙。ややあって、護送車のドアが開き何者かが天井に飛び上がった。両手をついて身を震わせるシホの拘束着がざわめく。それは波打ち姿を変え、白黒のアイドル装束となった。「……ハ、アアア……」

 全身に歪な活力が満ちる。沸き上がる衝動が彼女の怒りに引火し燃え上がる。霧掛かった世界がクリアに映る。傷付いた身体が再構成され、別の何かに成り代わって行くのが感じられた。素晴らしい万能感。「……これが、アイドル」二台のビークルからハイデッカー達が下りてくる。

「ザッケンナコラー!」

 今の彼女になら分かる。彼らは人工的に生み出されたクローンヤクザだ。元は闇組織の兵士だった筈。それがなぜ。シホは彼方を仰ぎ見た。ネオサイタマに君臨する威容、今やハイデッカーの巣窟である警視庁ビルを。仇敵はあそこにいる。シホは奪い取った二挺の銃を構えた。暗黒武道ピストルカラテ。生まれて初めて握ったグリップは、十年来の付き合いのように手に馴染んだ。忌々しい快感。怒りと喜びに捩じれる口元を白黒柄のマフラーが覆い隠す。闇の中にジゴクのサイリウムめいた白い灯が瞬いた。

「ドーモ、ルーントリガーです」

 復讐者はアイサツし、引き金を引いた。





 ネオサイタマの街角に一軒の交番あり。ネオサイタマ警察ミリオン署三九課。そこはオフィスを与えられてはいるものの、本庁から体よく追い払われた曲者達のデッドエンドである。今夜詰めている者は一人。ノートPCに向かい合って眉を寄せているのは、眠たげな眼のアンナ・モチヅキである。

 アンナは画面端の時刻を確認した。もうじきウシミツ・アワーだ。調査は難航している。同僚からタレコミがあった、昨夜ハイウェイで起こったハイデッカー殺害事件。犯人は逃亡。その詳細は不明。マッポ・ネットにさえ情報が上がっていないということは、上層部が隠蔽していることは間違いないだろう。これ以上は危ない橋だ。

 だが彼女には引けない理由があった。事件を追わねばならない。特に護送されていた人物について。アンナの瞳に危険な色が浮かび、もうしばらく使われていない脳のスイッチが「ドーモ、アンナ=サン」「アイエッ!?」突然声を掛けられアンナが飛び上がる。そして訪問者を見て再び叫んだ。

「シ、シホ=サン!?」更にその人物を包むアイドル装束を見、三度悲鳴を上げた。「アイエエエ!?アイドル!? アイドルナンデ!?」アンナは転がるように椅子の後ろに隠れ、ガタガタと震えた。無理もない。アイドルとは半神的な存在であり、モータルには畏怖の対象でしかないからだ。

「ダイジョブ。私を見て、アンナ=サン」

 穏やかな声に告げられアンナは陰から覗いた。そこには親しんだ友人の姿があった。アンナの目に涙が溢れる。「シホ=サン……よかった……」駆け寄って抱き合う二人。「……ゴメンね……シホ=サン。ゴメンね……」謝り続ける少女の背中を、シホはただ優しく撫でた。


「あの検挙は実際電撃的で……ハイデッカーの一部でしか知らされてなかったみたい……ここにだって……何も……」二人はデスクでチャを飲みながら話した。「最近のハイデッカーはヒドイ……うちのボスは喧嘩上等って感じ……でも、よくない……特にあの警視……」アンナはシホの形相に気付いた。

「アイエッ!?」

「……スミマセン」

 顔を覆った指の隙間から静かな吐息が漏れる。「アンナ=サン。頼みがあるの」「アンナに……?」「そう、貴女に。伝説のヤバイ級ハッカー、『国家機密』のベース、アンナ・モチヅキに」その瞬間、アンナの目が輝き薄暗い表情が一変した。

「……オーケイ。何でも言って」

 そう、アンナはマッポだが、以前はシホらと共に『国家機密』の一員であったのだ。その時に鳴らしたハッカー・ビビッドラビットと言えば今や伝説となっている。「私はこれから復讐を果たす。その為には貴女の助けが必要なの」シホは全てを語った。ライブ襲撃、相棒の死、アイドルへの目覚め。

 アンナは唾を飲んだ。危ない橋どころの話ではない。これは綱渡りだ。命懸けの。「いいよ、やろう」「……いいの?」「うん、予定が早まっただけだから」そして二人は笑い合い、少しだけ昔を偲んで語り、友人の為にカンパイした。




 厚い雲越しの月光が埠頭を気だるげに照らす。寂れた港は波に浸食されるままに朽ち果てていた。しかし、この夜はそれだけではなかった。潮風に混じり鼻をつく硝煙の香り。激しい銃撃音。

「あらあら~、すっかり追い詰められちゃったわ~。モモコ=サンどうしましょう~?」

 まったく緊迫感を伴わない口調で頬に手を添えたのは、三九課のマッポ、アズサ・ミウラだ。『暴走女神』と恐れられる彼女にカーレースを挑んで無事だった犯人はいない。そして巻き込まれた民間人の数は知れない。

「ちょっと!アズサ=サン!モモコのことはボスって呼んでって言ったでしょ!それに……」

 小柄な片割れが打ち捨てられた船舶の陰から二挺拳銃で撃ち返す。「少しは手伝ってよ!」彼女はモモコ・スオウ。三九課の実質リーダーだ。『リトルタイガー』はその名に恥じない猛勇ぶりを発揮している。彼女たちは巷を騒がす強盗団を埠頭にて検挙し、見事な逮捕劇を披露するはずだった。

 だが、どこから情報が漏れたか、強盗団はマッポの襲撃に備えており、マッポコンビは危機的状況に陥った。「ハイヨロコンデ~! モ……ボス、今チヅル=サンに応援要請しましたから、あと少しガンバロ~! オ~!」アズサは身を乗り出して発砲した。銃口は見事に真上を向き、弾は音速で雲の彼方へ消えた。

 その銃弾を目で追い、シホはまた暗い港を俯瞰した。

 彼女は廃船の傍のクレーンの頂上に佇んでいる。状況はアンナが案じた通りだ。強盗団はその実クローンヤクザ、即ちハイデッカーと闇の繋がりがあると見てよいだろう。『うちのボスを助けて』アンナは今日のガサ入れが漏洩していると心配した。

 シホは承諾した。マッポに良い感情はないが、彼女達は一応の義理は通した。悪人ばかりではない。その敵がハイデッカーなら尚更だ。リトルタイガーは健闘しているが、二人に対し相手は十数人。モータルの身には重すぎるだろう。ではシホなら? 考えるまでもない。カラテだ。シホは宙に身を投げた。

「ザッケンナコラ―!」

「スッゾコラー!」

 銃声とヤクザスラングが近づいて来る。モモコのリボルバーがカチカチと虚しい音を立てる。アウト・オブ・アモーだ。「チィーッ! チヅル=サンはまだ!?」弾倉を装填し吼える。アズサは通信機を確認したが、首を横に振った。

「スッゾコラー!」
「ッ!?」

 強盗団員の一人が刃物を手に、銃弾の雨の中を駆け込んできた! 真っ当な精神の持ち主では有り得ない自殺行為! だがモモコは不意を突かれた。両者の距離はタタミ三枚、モモコの銃は引き金を引いたばかり。銃弾が男を掠めるが突進は止まらない! 「モモコ=サン!」アズサのフォローは間に合わない!

「アバーッ!?」
「アイエエエ!」

 モモコは頭を抱え蹲り、衝撃に耐えた。「アバーッ!?」「ザッケンナアバーッ!」「グワーッ!?」「……エ?」モモコは恐る恐る顔を上げた。自身に負傷はない。あの刃物男はすぐ傍で絶命していた。頭部を銃弾で砕かれて。「……ナンデ」闇にぼんやりと白い輝きが浮かぶ。

 そこにいるのは一人の少女。その顔は白いマフラーに覆われて窺えない。だが、何故か、モモコには見覚えがある気がした。「あなたは……」「イヤーッ!」少女は両手の拳銃を放ち、次々に強盗団員を仕留めていく。超人的な動き! その時、港の入口に一台のパトカーが停車した。降りてきたのは三人のマッポ!

「ドーモ、皆さん! 助太刀に来ましたわ!」「ねえねえ、次回作に手を着けないでこんなのやってていいの? ねえねえ!」「レイカ=サン……何言ってるの……?」チヅル、レイカ、そしてアンナの到着により、マッポ達が勢いを増す。アンナは視界の端に飛び上がる影を見つけ、感謝を込めて小さくオジギした。



 倉庫の屋根に飛び移ったシホは油断なくカラテ警戒した。ここから明らかな敵意を察知したのだ。果たして、錆びた煙突の陰から何者かが姿を現した。

「あーあー、困るでー自分。私らの計画をぶち壊さんといてーな」

 トレンチコートにソフト帽を被ったその少女もまた……アイドル!

「ドーモ、クイックドローです」
「ドーモ、ルーントリガーです」

 刑事めいたアイドル装束を纏った少女はアイサツし、手を合わせてオジギした。ルーントリガーは両銃を胸の前でクロスさせアイサツした。

「やっぱりあのバンドの生き残りかい。うちのモンが世話になったな」

 クイックドローは脇に吊ったホルダーからピストルを抜きクルクルと回した。

「……貴女達の目的は何?どうして私達を襲ったの?」
「理由? 私は知らへん。命令に従っただけや。文句はうちのボスに言ってな。ま、自分はここで死ぬんやけどな!」

 BLAM! BLAM! クイックドローのピストルが火を噴いた! 「イヤーッ!」ルーントリガーは側転回避! 「私らは正義! 悪人をお縄に着けるんがお仕事や!」驚異的連射速度!ハヤイ! ルーントリガーは屋根の遮蔽物で銃撃をやり過ごし、相手の僅かなリロードの隙を突いて飛び出した。

「イヤーッ!」

 BLAM! BLAM! BLAM! BLAM!

 二挺拳銃が吼える。クイックドローが回避行動を見せた瞬間に接近し、ピストルカラテを叩き込む算段だ。「ぬるいで!」

 BLAM! BLAM! BLAM! BLAM!

 ゴウランガ! クイックドローの早撃ちが、飛来する弾丸全てを弾き飛ばしたではないか! 何たる精密射撃! ワザマエ! 「ポッと出のアイドルが、まだイクサっちゅーもんを分かっとらんようやな!」クイックドローが腰溜めにピストルを構え左手を翳す。「イヤーッ!」 

 BLAM! BLAM!BLAM! BLAM! 

 たちまち銃撃の嵐がルーントリガーに襲い掛かる! 射撃と同時にアイドル器用さを発揮し装填! 隙を生まぬ! ルーントリガーは撃ち落としにかかるが損なった弾丸が身を掠める! 再び物陰に飛び込む!

「……ハァーッ……ハァーッ……ゴホゴホッ」

シホは銃を握り締めて深呼吸をし、上手く行かずに咽こんだ。敵の指摘する通り、シホはこれが初めての対アイドル戦となる。まだ己の能力さえ把握していないというのに、どうやって敵の力を測れるというのだろうか。見つめる銃口が小刻みに揺れている。復讐。成し遂げようとした気概はこの程度だったのだろうか。薄暗い無人のステージの光景が脳裏を過る。

 祈る様に両手の銃を額に当てる。不意に心が冷めた。シホは駆け出した。「血迷ったか!」BLAM! BLAM! クイックドローの連射が襲いかかる。ルーントリガーは冷静に撃ち返し、致命的な弾丸を弾きそれ以外は巧みに身を躱した。アイドル動体視力とアイドル判断力。冴え渡るニューロン。大腿から出血。調整。

 敵が出来ることは自分にも出来る。観察し、模倣し、調整する。己の性能を塗り替えていく。時計の針を合わせて行くように。一秒のズレを調整する。先程の倍を超える銃弾を察知。撃ち落とし躱し、それでもなお迫る弾を銃身で防ぐ。衝撃で歪んだそれを即座に手放し、スカートから新たな銃を引き抜いた。

 それはこれまでクローンヤクザから奪い取ってきたコレクションだ。ここに至りリロードする暇はない。撃ち終えたものから次々に放り棄て、絶え間なく銃撃を浴びせ続ける。「何やねんホンマ……!」クイックドローは相手の豹変にたじろいだ。急速接近する機械めいたアイドル。得意の銃が当たらない!

 タタミ十枚、五枚、ゴウランガ! 三枚の距離! 最後の弾丸がルーントリガーの頬を掠め彼方へ飛んで行く。水晶めいた眼がクイックドローを捉えた。恐るべき弾幕を掻い潜り、遂にカラテの領域!

「イヤーッ!」
「ンアーッ!?」

 クイックドローの右フックがルーントリガーの顔面を打つ! 復讐者が苦悶! クイックドローの拳には鋼鉄の手錠がナックルダスターめいて握り込まれていたのだ! 打撃力倍増! 

「これがワッパカラテや! イヤーッ!」

 ガシャン! ルーントリガーの右手に手錠が嵌る! ナムサン、片側はクイックトリガーの手に! 「喰らえィ!」銃口が突き付けられる。その瞬間ルーントリガーの左手が閃いた。撫でるように銃に触れると、クイックドローの手の中でピストルがバラバラに分解された。「なっ……」驚愕する彼女の腕に金属音。手錠が嵌っている!

「ナンデヤネン!?」

 その先はルーントリガーの腕! 手錠が二人を繋いだ! 「ハイクを詠みなさい」突き付けられる銃口。クイックドローは手を上げた。

「……タコヤキあげるから堪忍してくれへん?」
「……慈悲はない」



『サヨナラ!』

 モモコは遠く叫ぶ声を聴いた気がした。「どうしたんですの?早く連中を追いますわよ!」仲間に催促されパトカーに乗り込む。今はこの現実と向き合わなければならない。暗躍するアイドル。ふと浮かんだ疑念を振り払い、夜の街へ繰り出した。

 シホは去り行くパトカーを見送った。手にした焦げたコートを物色し、一枚のパスカードを発見。カードには『ナオ・ヨコヤマ』と記入されている。このパスがあれば更にアンナのハッキングが有利になるだろう。決戦は近い。シホはイクサの余韻に浸る暇もなく跳躍し、闇へ飛び込んだ。

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